2024年4月1日月曜日

転地療養

マーズから1か月以上経ち、今年もしっかり花粉症が出ている。
平日は関東平野で過ごすので、さすがに薬+マスクの装備なしでは辛いものがある。
が、週末に山の中へ帰ってくると一気に調子が良くなる。
関東は車体の色が変わるくらいなのに、やはり山奥は花粉が飛ぶ時期が遅く、量も少ないらしい。
なんなら週末を終えて月曜日まで体調がいい、気もする。

マーズ前後で野猿谷通いは続いていたのだけれど、毎度毎度、猿芝居にボコボコにされるばかり。
ノミーとふたりでトライしに行き、大セッションの末にムーヴすら解決できず。
「これやろ!」→「ちがうかー...」
「これに違いない!」→「ちがうかー...」
二人で10通りくらいムーヴのアイディアを出してみたものの、未だ登れていない。
これは本格的に初段ではないのでは、というのが通説になりつつある。

季節は少し進み、3/10、単身野猿谷へ。
2月の後半から毎週のように南岸低気圧が来たおかげで、日陰には相当雪が残っていた。
独り、しかもマットを1枚しか持ってこなかったので、高い課題は諦めてぶらぶらと8番のエリアに行った。
(ちなみにスマートフォンをうっかり車に置いていってしまったので、写真は一切撮れず)
実は前回このエリアで、重力波(二段)だと思って登ったラインは隣の1級だったことが後で判明。単にトポの見間違い。
このときは「見るからに得意系で、FLできた」とかなんとか書いてしまって恥ずかしい限り。
ということで、今回こそはきちんと重力波を登るつもりで行った。

すぐ上の岩にある凱風(3級)と黒富士(2級)にハマりかけながらアップ。
更に上の岩のトーダンス(2級)も登って、本題の重力波。
「これで一撃すればウソにはならん!」と意気込んだものの、あっさり落ちて、
それから1時間ほどムーヴをこねくり回した。
3月の強くなってきた日差しでヌメりを感じ始め、ちょっと焦ったものの、危なっかしく登った。とりあえず宿題(?)は回収。

これで下のエリアに戻ろうか、とも思ったけれど、ちょっと奥にある砂の本(二段)が気になったのでトライする。
前半のハングは風化でじゃりじゃり、後半は高さのあるフェースからカンテ、そして下地はかなり斜めで狭い。
チョーク跡はほぼなく、どうにも人気がなさそう。
が、それでもやっぱり気になったのでトライしてみると、感触は結構いい。
ハングから抜け出すあたりのムーヴをバラして、後半のカンテは現場処理することにした。
スタートからの繋げトライ数回で核心になる抜け口をこなし、フェースに突入。
ここからは下から見上げただけで、ほぼ未知。下地がアレなので落ちるのも嫌だ。しかも独りだし。
ただラッキーなことに、カンテに出てから悪いムーヴはなく、無事に登り切った。
こういう緊張感のある課題は、グレード云々を抜きにして、充実感があっていい。
良い拾い物をした気分だった。

それからは9番のエリアでアイアンモンキー(三段)、5番のエリアで猿の手(三段)をやったもののどちらも出来ず。
アイアンモンキーはトライされた形跡すらなく、かなり汚れていた。そしてムーヴも「???」だった。
さらに下って、これもまるで出来ないエクトロメリア(二段)をやって、やっぱりまるで出来なかった。

これだけで帰るのもなんだか...となったので、最後にエリザベスの岩にあるジャンキーモンキーLow(二段)をやってみた。
ハサマリング課題のジャンキーモンキー(初段)に右から合流するらしい。
トポを見てもスタート位置はイマイチ分からないので、どうやらそれらしいところからやる。
何通りかスタートとその後のムーヴを試すと、どうも思っていたより右から合流するようだ。
最後は「ハサマリング課題に合流」という内容をフルに活かしたシークエンスで登った。
エリザベスやらファンキーモンキーが目立つけれど、これはこれで面白い。
ということでそこそこ気分よく撤収した。


翌週の3月16日、今度はコミネムとブラックフラット(四段)をやりに行った。
知る人ぞ知る課題だけれど、登ったという話はほとんど聞かない。
数年前から何度も見に行っていたけれど、だいたいは雪の下かびしょ濡れで登れないかだった。

辺りには雪、しかしどうも暑い。日向は完全に春の陽気。
そして今回もクラックからは染み出し。やっぱり秋の終わり、雪が降りだす前でないとだめなのか。
中間にある顕著なガバから後半だけなら、水気を拭きながらギリギリトライできそうだったので、やってみることに。

周辺の詳細が分からない課題を数本登ってアップ。
それだけの時間でクラックが乾くはずもないので、ティッシュを詰めつつトライしてみる。
手も足もそれなりに掛かる、はずなのだが、濡れているせいなのかジャムがまるで効かない。
そしてその状態でなんとか効かせようと足掻くので、指がゴリゴリ抉れていく。
クラックが広がってくる上部に突入するところまで、いろいろと試して2通りくらいのシークエンスができた。
が、どちらも指先が濡れすぎてあまり繋がる気がしない。
最後はフィンガージャムで指の側面をゴッソリやられて撃沈した。
割れ目に生えるティッシュ

これを真剣に登ろうと思うなら、秋のツアーの日程をどうにかする方向で考えないといけないのかもしれない。
でも、それくらいに登る価値がありそうな一本ではある。

2024年2月26日月曜日

そこにあるものは

2月17日、城ケ崎のマーズ(5.13d)を登ることができた。

いわゆる「〇〇リスト」というものを頭の隅に持っている人は、多いことだろうと思う。
僕の中にも実に様々な類のリストがある。
そしてマーズはもう長いこと、「いつか絶対に登らなければならないルートリスト」の筆頭にあった。

マーズについて初めて知ったのは、Rock&Snowの24号、杉野さんのOldButGoldだった。
この号は2004年夏に発売されたもので、なんと今年で丸20年になる。もうそんなに経ったのかと驚くばかりだ。
読んだ瞬間に、それまで読んだ様々な記事とは明らかに異なるものを感じた。
ありがたいことに、実家には岩雪のバックナンバーも相当に揃っていたので、岩と雪の134号を手に取り、吉田さんの初登の記録を読むこともできた。
見るからに何もないルーフの角を、まるで明確なエッジがあるかのように押さえる吉田さんの姿に衝撃を受け、
当時通っていたジムのルーフで似たようなことをしてみた覚えもある。
ペンキとニスが塗られた直角なベニヤの角では、ろくにぶら下がれるはずもなかったけれど、サル左衛門と二人で「マーズごっこ」をした。
周りの諸先輩方には、いったいどんな風に見えていたのだろう。

2017年2月、Stingrayを登って抜け殻のようになった僕は、実家にある岩雪134号を再び手に取った。無心に、あの記事が読みたくなった。
当時のことを、僕はROCKCLIMBING誌にこう書いていた。
『そして読み返した後、「そうか」と思った。僕は白髪鬼とStingrayを登って、一先ずすべてやりきった気でいた。でも、自分はまだマーズにだって、コブラにだって、出会っていない。(中略)燃え尽きたと思っていた自分の中に、また小さな灯が灯った気がした。』

そして7年後、ついにマーズに向かう時がきた。
関東に移り住んでしばらく経つ。2年前に初めて行った城ケ崎の岩場は、驚くほど難しく感じた。
生まれも育ちも山の中だった僕にとって、背後や足元で波が砕け散る環境はどうも緊張を強いられるし、
そもそも城ケ崎の岩やルートに慣れていくのには時間がかかった。
この冬、やっと本腰入れて城ケ崎に通うようになり、タコやシュリンプなどのルートにも足を運んだ。
そうしていたとき、ついにあの不死鳥と名高い鉄人ウラノさんからお誘いをいただいた。
僕は、「今はまだ早い」と言っていられるほど若くもなければ、「今でなくてもいい」と言えるほど強いわけでもない。
ただ何となくの恐怖心で、マーズに向かうことを避けていたようだ。
しかしこの数年のクライミングが自分を変えてくれたらしい。今なら、きっとマーズに対峙することができる。
そう感じた僕は、ウラノさんに「よろしくお願いします」と返信をした。

2月10日、伊東の道の駅で集合し、海亀エリアへ向かった。
ウラノさんの案内で、民家の脇をポータレッジを担いで下りていくと、ほとんど藪のようなアプローチになった。
「ここだよ」と教えられたところを覗いても、チョーク跡すらろくに見えず、目に入るのは海面と、その向こうに揺れる海底の岩だけだった。
下降ポイントを教わり、ギアを用意し、ポータレッジを組み立て、ウラノさんが先に降りていった。
ポータレッジを下し、続いてラペルしていくと、目の前にあの海亀ケイヴが現れた。
想像していたよりも洞窟は小さく、ルートは短く見えた。
しかし、憧れのルートを前に興奮しながらも、「飲まれる」と思った。
またいつもの、シークリフで登るときに感じる湿気っぽい怖さが下りてきた。
「どうする?先にトライする?」と聞かれたけれど、「先にトライしてください」と答えるしかなかった。

ウラノさんが先に1トライし、その出来上がったムーヴとエイドダウンでの回収の様子をよく見て覚え、僕も恐る恐るトライしてみた。
当然、フラッシュを狙えるほどの勇猛さはなく、ダイモスと分岐するよりも手前のセクションでテンションをかけた。
水平のルーフクラックには未だに慣れない。
しかしテンションをかけながら少しずつ探っていくと、自分でも驚くほど早くすべてのムーヴを解決できた。
ウラノさんのムーヴを見ていたし、ハングドッグしながらセッションするようにあれこれと教わったことが大きい。
エイドダウン(というかほぼ水平移動)での回収も、思っていたよりずっと滞りなく済んだ。
この日はウラノさんも僕も3回トライし、それぞれに収穫を得た。
僕は2回目で曖昧だった中間のシークエンスを定め、核心のボルダーセクションも詰めた。
そして3回目、平日のジムで追い込んだ疲れも感じつつ、核心まで繋げてあと数手のところで落ちた。
核心前のガバからルーフを完全に抜けるまでで、僕の、ムーヴで8手。難しめの二段といったところだろうか。

ポータレッジを引き上げ、ヘッドランプを点けて帰る頃には、マーズに対する恐怖心はすっかり薄れていた。
それどころか、早くこのルートに戻ってきたい、あのルーフの下で過ごしたいと思っていた。
これは偏に、マーズに通いつめて完登をリアルにイメージしながら、常に前向きな姿勢を崩さないウラノさんのおかげだった。

続く週はできる限り回復に努め、2月17日、僕らは再び伊東の道の駅に集まった。
朝から小雨が降っていたが、それほど酷くはならないようだった。
それにウラノさんによると、海亀ケイヴは雨に強く、染み出しも驚くほど少ないのだという。
実際にルーフの下に入ってみると、本当にそのとおりだった。
風が強く、波も前回よりも高かったが、むしろそのおかげでケイヴの中の空気が動き、コンディションは良かった。

ウラノさんが1回目のトライを終え、ポータレッジに戻ってきて、すぐに僕がトライした。
アップは足りないはずだが、1回目から登るつもりでクラックに入っていく。
しかし、ダイモスから分かれる直前で決め方が雑になったフットジャムが抜け、あっさり落ちてしまった。
ここはカムを省いてランナウトするし、さらにこのときは右足がロープに掛かってしまい、
そこそこの距離を結構危ない体勢で落ち、下の壁に叩きつけられた。
咄嗟に右手を突いて腰などは打たずに済んだけれど、右の手のひらを切ってしまった。手首も軽く捻ったらしい。
しばらく「今日はもうトライできないかもしれない」と、あの瞬間の自分の迂闊さを呪った。
それでも時間が経って手のひらの血が止まり、多少痛みはあるものの手首も問題なさそうだったので、トライを続けることにした。

ウラノさんは2回目のトライで核心のシークエンスの最後の1ピースを見つけ、ムーヴの安定感が格段に増したようだった。
僕は2回目のトライで先ほど落ちたパートを慎重に越え、核心に突入、前の週の最後のトライと同じ1手で落ちた。
しかし、感触はやはり今回の方が良かった。
次で確実に登る。ウラノさんも、きっとそう考えていたことだろう。

ウラノさんがロープを結び、ギアを携えてポータレッジを離れる。
「浮遊感」という言葉が似あう、とても軽い身のこなしで淀みなくルーフを進んでいく。
ケイヴに反響する波の音に交じって、フーッ、フーッと呼吸する音が聞こえてきた。
核心の前で短くレストし、足ブラになったウラノさんの体がぐるりと回転する。
一瞬、少しだけ浮ついた足元を丁寧に落ち着け、核心に入っていく。波の音に負けないように、僕は声を張り上げる。
最後は細く閉じるクラックを渡り切り、ルーフの角の向こうにウラノさんの上半身が隠れ、すぐに歓喜の叫びが響いた。

さて、これで僕も登るしかなくなった。少しばかり、プレッシャーが増す。
しかしここで登り切ろうと逸る気持ちに手綱を渡せば、心のざわつきが大きくなってしまう。
それもあの杉野さんの文章を読んでからの20年で学んだことだ。

ポータレッジを離れる。
嫌でも力が籠る最初のセクションをこなして、カムを固め取りしてから少し戻ってレスト。
呼吸が落ち着くまで待つと、思考もクリアになってきた。
緊張感と、少しばかり残る恐怖心と、トライすることへの楽しさが同居し、次第にその境目がなくなっていった。
ダイモスのパートを慎重にこなし、核心前のガバで止まる。
第5登したミヤシタさんやウラノさんは、ここまでではほとんど消耗しなくなったらしい。
僕はまだそこまでではなく、緩やかなパンプを感じていた。
でも大丈夫、この程度であれば走り切れる。そう確信して、足を切った。
ビレイしてくれているウラノさんが視界から消えた。ぐるりと体を回し、核心のパワフルなムーヴに入る。
一瞬でも速く抜け出したい気持ちを抑え、ゆっくり確実にムーヴをこなす。
最大の核心になる1手を捕らえ、やっと声が出た。そこからは何度も叫びながら、コーナーに這い上がった。

2日間、6回目のトライだった。
前回が終わった時点で、「次回絶対に登る」と決めていた。今シーズンが残り短いことも分かっていた。
しかし、これだけ早く決着がついたことに驚いているところもあった。
ホールドを掃除しながらエイドダウンでポータレッジに戻り、ウラノさんと互いの完登を喜び合った。

マーズを登ったことについて、大きな喜びと共に、残念に感じている部分もある。
ゼロに近い地点からあのルーフの出口を目指す過程を踏み、登ることができたのなら、どんなに素晴らしかっただろう。
僕は何から何まで、ウラノさんのサポートを受けて登ってしまった。お膳立てをしてもらったようなものだ。
勿論、それは心からありがたいことで、ウラノさんと核心のムーヴについて議論した時間は忘れられない。
第一、その後ろめたさだけで目減りしてしまうほど、マーズというルートの持つ価値は軽くない。
だから、願うだけ詮無いことなのだが、マーズというルートをもっと冒険できていたら、と思う。
それは今なお残る自分の未熟さとして、このルートの素晴らしさと共に覚えておこう。


OldButGoldの記事で、杉野さんはこう綴っている。
『このルーフに込められた情熱のかけらが消えてしまうほど、日本のクライミングは浅くないと思いたい。』
何度も何度も読んだはずのこの一文の意味するところが、今になってやっと分かったように思う。

僕はずっと、クライマーの紡ぐ言葉を読むのが好きで、これまでそれなりにいろいろな人の文章を読んできたつもりだ。
そのうえで、冒頭で書いた吉田さんと杉野さんのマーズを巡るふたつの手記を越えるものには、未だ出会っていない。
そして僕の中では、読むことと同じくらいに自分で書くことも大切で、好きだと感じている。
そこにもまた、二人の先達が遺したこの文章たちから強く影響を受けていると言っていい。

『定宿となったオーシャンの駐車場で、ナイターでテニスのボールを打つ音をイライラして聞きながら、僕はうめく。「たのむ、登らせてくれ」』
そう書かれた吉田さんの手記に、狂気じみたものを感じた人は少なくないだろう。僕もそうだった。執念であり、あるいは妄執のようなものがあると。
しかしそれは、紛れもない情熱から生じる献身だったのではないか。


吉田さんは、青い鳥を追いかけてどこまで行ったのだろう。
杉野さんは、この磯で感じたものを誰に届けたかったのだろう。
僕にとっての青い鳥は、このケイヴの中には居なかったけれど、またひとつ大切なものを学ぶことができた。
それはカバンの中に入れた石ころのようで、誰の目にも美しく映るものではないけれど、今の僕にはその美しさが分かる。
そしてその重みが、僕の背中をそっと押して支えてくれることだろう。
だからこそ、まだ進み続けたい。自ら登り、読み、書き続けたい。
受け取り、考えて、誰かに繋いでいく、その営みの中。そこに情熱と名の付くものがある限り。

ウラノさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

2024年1月24日水曜日

伊豆の年始2

1/6 なみだち
この日こそはと、なみだちへ。
エリアに下りていくと、先客がいた。流石に3連休だし、登りに来る人はいるよな。
タコに取り付いていたけれど、核心でエイドアップしている様子だったのでムーヴは特に見ず。
アルタミラフェース・迷いルート(5.10d)を登ってアップ。
上部に1本だけあるハンガーボルトは、下から見上げた印象よりも腐っていなかったので、
しっかり悪くピリッとした核心も安心して突っ込める。
どれくらい登られているか分からないけれど、結構面白かった。
波をかぶって靴を濡らしたりしつつ、取りつきに上がってタコにトライ。
風が強く、波飛沫が飛んできた。
出だしのルーフ越えで2、3度行きつ戻りつして、意を決してクラックに突入。
先にトライしている人がいたおかげか、クラックのヌメりは全く気にならず。
ムーヴ、プロテクションともに、ハングに入ってからは上手くはまっていき、OSできた。
暑さも大したことなく、むしろ風のおかげで状態は良いようだった。助かった。
その後はながねケイヴに移動したものの、覗き込んでみるとあちこち草だらけ。
これは出直してしっかり掃除した方がいいということになり、
おとじろう、南の国のピリカなどを見て回って、周辺の概念を把握して帰った。

タコをトライする前、準備を整えながら考えたことがあった。
今年は「気持ちを前へ、上へ向ける」ということをテーマにしたい。
そう決めてトライし結果を得た以上、忘れず、大切にしたい。


1/7 ながね
ながねケイヴの掃除。
シュリンプ(5.12c)だけは流石に人気があり、綺麗になっているどころかチョークがしっかり載っているので、
その周囲のルートに生えた草をひたすらにむしった。
エビデンス、アバロニ、ビッグジュンと風吹ジュンのラインがこれで掃除完了。
これだけ傾斜のある壁だと、上からラペルしてカムを入れるのにも一苦労。
弁天岩の開拓を思い出すようだった。
草むしりを済ませて微妙な時間になってしまったので、かんのん浜とオーシャンのエリアを見に行って場所を把握して帰った。


1/8 ながね
シュリンプをトライしに行った。が、この日も先客あり。そりゃそうか。
幸いというのか、チョーク跡はくっきりなので、1トライをものにするために待った。
ハングボードでアップし、取り付きの側壁に短いクラックを見つけて二人でボルダーしたりした。
順番が回ってきていざトライすると、前半の前傾シンハンドでかなり手間取った。
どうにも苦手なサイズだったので、結局フェースにあるホールドとリーチでかなり強引に突破。
カムを固め取りしてレストした後、抜けないパンプを諦めて最後のフェースムーヴに入り、
捨て身で出したラスト1手を止め損ねて吹っ飛ばされた。
惜しかったような、そうでもないような。かなりギリギリのパンプだったので、あの捨て身では駄目だったのだろう。
ともかくムーヴは探らずそのまま下りて、しばらくレスト。
パンプが抜けたところで、ロープは抜かずにヨーヨー状態で繋げて登った。
ヨーヨーだとかロワーダウンだとか、いろいろなスタイルがあるけれど、
今回の場合、OSトライで取った以上のカムはその後セットしなかったので、
これはピンクポイントですらなかったということになる。
グレードを抜きにして考えてもこれはOSしたかった。
しかし、充実感もあった。
パンプしてもある程度冷静さを保ってムーヴをこなし続け、視線は上を向いていた。
そのことは収穫だったように思う。

昼過ぎに撤収し、また富士山の裾野を抜けて家へと帰った。

伊豆の年始1

年始はあさこさんと2人、城ケ崎へ。
このところ毎年のように、というか実際に毎年西日本へ出かけていたけれど、今年はあまり遠くへは行かず。
とはいえ、実際日帰りできる距離ではないので、そこそこ遠出という感じ。

元旦、初詣等々を済ませ、ゆっくりと出発。
ほぼ全部下道で、沼津経由で伊豆を目指した。
元旦に富士山を見るという、縁起の良さそうなドライブだった。

1/2 雨のためレスト
まだ登っていないけれど、雨が降ったので仕方なくレスト。
釣り具を持ってきたので、小雨の中一応釣りもした。
唯一の釣果

1/3 日蓮崎
なみだちでタコ(5.12a)をやるつもりだったが、あさこさんが風邪気味だったので、
いがいが根に置いて行ってもらって単身ボルダーに切り替えた。
日蓮崎のボルダーには、歩いて20分くらいで着いた。結構混んでいた。
アップで易しい課題を数本登り、波浪(二段)をやったら少しハマった。
久しぶりの城ケ崎で、微妙なフリクションの感触を掴むまで時間がかかってしまった。
ほどほどのトライ数でフックの効かせ方にも慣れ、登れた。
ずっと奥から出てくるサティアグラハ(四段)もやりたかったけれど、
先にやっていたグループが帰ってしまい、マットが足りず断念。
まだ時間が早かったので、マット2枚でもできそうなディスチャージ(三段)をやった。
初めは波浪への合流までのムーヴが???だったけれど、
ムーヴが分かってからしばらくかけてバラし、繋げて数トライでギリギリ登れた。


1/4 浮山橋
エリアに行ってみると、1組だけ先客あり。
岩を見上げていた一人が振り返ると、なんとお懐かしや、ガチオさんだった。
相変わらず声と口がデカかったが、僕も人のことは言えない。
アップでゲルニカとトラベルチャンスをゆるゆると登り、しばらく逡巡。
というのは、前回ここに来た時にスコーピオンの洗礼を受け、えらく苦労して登ったからだ。
今回はタランピオン(5.13a)をやることにしていたけれど、結構怖気づく。
で、散々勿体つけてやっとトライしたものの、当然のように一撃はできず。
時間をかけてムーヴをバラした。
しかしフォローでカムを回収していると、核心手前に決めた0.2と0.3が立て続けに抜けて吹っ飛ばされた。
これで一気に萎えてしまい、この日はそれ以上トライせず。
後になって、もう1トライできなかったことを酷く後悔した。
「なんか餃子食べたいな」ということで、大量に作った

岩のスケッチをする

1/5 シーサイド
知らぬ間にバムになっていたガチオさんが、「パートナー難民なんだよお」ということで、
8時にいがいが根に集合して3人でシーサイドへ。
前に来た時は気分が悪くなるくらい混んでいたけれど、今回は空いていて安心。
風に吹かれて(5.11a)でアップ、クラックが登りたいガチオさんとサンライズの方へ。
アーリータイムズ(5.10c)とホワイトクリスマス(5.10c)を登った。
ガチオさんとオンサイトじゃんけんをして、2連敗したのでどちらもFLということになる。
それにしてもどうしてこんなに勝負事が弱いのか。
コロッサス(5.13a)にも興味があったけれど、季節外れに暑い日差しと下部のランナウト、
中間部以降のボルトの芯がどう見ても茶色いのにまた怖気づき、トライせず。
前々日に天気が悪くてもトライしていたらしい泥攀氏とはえらい違いで、一人気恥ずかしい。
その後、サンセットでドラゴンフライ(5.11c)もやってみた。
100岩などでは無星、魅惑のトラッドでは三つ星と、随分差がある。
1本だけあるケミカルボルトは、白い粉を吹いていた。
ボルトの直後が核心なので危なくはないのだけれど、傾斜に体を投げ出していく決心がつかずテンション。
使うホールドが分かると呆気なく解決して、2回目でRP。
が、フォロー回収を面倒がってロワーダウンで回収しようとしたところ、ロープがクラックに入り完全にスタック。
風に吹かれてを登って上に回り、外しに行く羽目に。
どうにもいいところ無し。ハードなルートもトライせず、ただのんびりとしてしまった。
こんな日があっても悪いことはないが、勿体なかった気がする。
ドラゴンフライはリードしたくなかったらしいガチオさん

この日の鍋の具


2024年1月9日火曜日

~年の瀬

あけましておめでとうございます。
ヨセミテのことをまとめているうちに、もう年が明けてしまいました。
帰国後から年の瀬までのことを、簡単に。

11月は、瑞牆と馬瀬でボルダー。
瑞牆では、数年ぶりに黄金虫(初段)を登ったりした。
実はヨセミテであまりにも行動食を少なくしたせいか、ガリガリに痩せてしまっていた。
でも、アップでやったフォーマルハウト(初段)がさらっと2回目で登れたりして、
どうも花崗岩(の緩傾斜)の調子はそれほど悪くないらしい。
流れで、やったことのなかったねじ式(四段)にも手を出したものの、指を裂かれて撃沈。
やっぱり調子は悪くない、でも良いはずもない、という程度らしかった。
馬瀬ではいましさん、オカモチと三次元(三段)をやってみたものの、
こういうフィジカルな課題はさっぱりできなくなっていた。
いや、そもそもこの傾斜のこういうタイプが苦手なのかもしれない。
川原特有の、午後遅い時間に来る湿度によるところもあったと思いたい。

12月某日、イイダマンに誘われてマラ岩のペタシマン(5.13c)をやりに行った。
なにかと悪名高いこのルート、「まあやってみるか」程度の気持ちで参戦。
アプローチ途中のボルダーで軽くアップして、イイダマンの掛けたヌンチャクを借りてトライした。
1回目はシルクロードから分かれたところですぐにテンションがかかった。
その先のオリジナルパートは、核心以外すぐにできた。
核心のデリケートな数ムーヴも、1時間ほどあれこれ試して解決。
が、これはイイダマンのヌンチャクが無かったらできなかった。うーむ。
日中は日差しが熱すぎるくらいだったので、日没後にもう1トライしたものの、
核心まで繋がって、我慢が足りずに体が剥がされて落ちた。
ムーヴをバラした感触は悪くなかったけれど、流石に2トライで登れるほど簡単ではないか。
帰りに夜行性(二段)を必死で登って、終了。

クリスマス前後くらいから、今シーズンも野猿谷通いを始めた。
初日はゆっくり昼前に着いて、百日紅(三段)の後から気になっていたストーンモンキー(四段)の掃除。
近くの課題でアップしてトライ。予想通り、リップへ伸びる部分ができず。
このアンバランス具合をねじ伏せていくのが面白い。いや、面白い気がする。

その後ノミーが「悪いっす」と言っていた猿芝居(初段)もやって、しっかり敗退。
さらにCandy Crush(四段)もやってみたけれど、これもバラせず。
どうも自分は、今ある保持力で単純に押し切れる範囲でのみ登っているらしく、
それ以外の要素が入ってくると途端にできなくなる。
当然と言えば当然か。
指以外のフィジカルをきちんと強くするために、数日がかりで登れるくらいの課題を、
しつこく打ってトレーニングする日が必要なのだろう。
最後に、昨シーズン敗退していたサンシャインスーパーマン(初段)を回収して、坊主は免れた。

2日目は8のエリアに初めて行ってみた。
峠を越えていくと、そこそこ遠かった。川沿いを上がってきた方が実は速い?そんなこともない?
月面〇〇という名前の課題がたくさんある岩でアップして、スローターハウス5(三段)にトライ。
OSトライで核心まで行ったけれど、結局落とされる。
ムーヴはほどほどで解決したものの、スタートから繋げるとどうにもできない。
4通りほどあれこれとムーヴを変えて、結局一番手堅くチマチマ刻むムーヴでシークエンスを組んだら、登れた。
ムーヴ単体ではなく、きちんと流れるシークエンスにする前提で意識することが大事、と痛感。
ヨセミテでスマートフォンのレンズにひびが入ってしまい、逆光だと映りが酷い


その後は明らかにウェルカムな見た目の重力波(二段)をやったら、これはOSできた。
それから大きく移動して、またストーンモンキー。
リップを再度しっかり掃除して、2,3トライで想定していたムーヴがハマり、リップに手が届く。
で、リップのホールドをマッチして悪さにビビり、「こんなの返せるかー」とマントルに入らずに飛び降りた。
むしろここからが核心なのか?とりあえず、深追いするのはやめておいた。
最後に猿芝居をやって、またしっかり敗退。これもマントルに入れる気がしない。

2023年12月27日水曜日

Yosemite23 その④

11/8(水) Chapel Wall
あさこさんとCosmic Debris(5.13b)をトライしに行った。
しばらく前に、あさこさんがN村さん(a.k.a.落武者)とトライに行ったそうで、
「ひとつひとつのムーヴはできるんやけどなぁ」という言葉にムムムと惹かれてトライすることに。
取りつきでラジオ体操とハングボードでのアップだけして、フィックスを上がり、
OSトライをしてみたものの1/3くらいのところで呆気なくテンション。
クラック使用になりきっていない指に、この傾斜のフィンガージャムは効く。
ほどほどのハングドッグでムーヴはバラせたものの、2トライ目もOSトライとほぼ同じところでテンションがかかってしまった。
ジャムにしろエッジにしろ、足下が常に悪いので上半身への負荷が高くなる。
歴史的ルートに触れたことは良かったけれど、悔しさも残る。

夜はカリービレッジで、ノミカシを含め6人でピザ。
フライングで食べる人、写真を撮ろうとする人、そちらを向いてくれない人


11/9(木) Cascade Fall Left
あさこさんとCascade Fall Leftへ。
昨年ここにあるFish Crack(5.12a)を登った。今年は右のCrimson Cringe(5.12b)をやった。
珍しくオンサイトじゃんけんで勝ったので、ひとしきり変な喜び方をして、いざOSトライ。
出だしの特大ノブが並ぶ易しいフェースから、慎重すぎるくらい慎重に登り、
見るからに悪そうなフィンガー~シンハンドのセクションを行きつ戻りつしながら越える。
中間から上はハンドサイズになるかと期待していたのに、ずっとシンハンド気味で、
日差しの暑さも手伝って心を折られそうになった。
が、Freeriderでの悔しさからか、それとも昨年から1年間の期間で少し強くなったのか、
どうにかこのパートも逃げ切って、最後のレイバックを駆け抜けてOSできた。
50メートルの持久力勝負で満腹になる。
半年間リードの登り込みをしていてよかった。


11/10(金) ロサンゼルス往復
一足先に帰るハカセを、ロサンゼルス国際空港まで送り届ける。
朝早くにCamp4を出て、渋滞などもあり、空港まで片道7.5時間。
空港ではトイレに寄っただけで、あとはBW氏の懐メロプレイリストを堪能しながら帰路に着いた。
2人なので運転の負担は大したことなかったが、流石にこの往復は長い。
来年はサンノゼにしようかな。

11/11(土) レスト
朝起きて、あさこさんを含めて今後のプランを相談。
El CapのWest Faceを、1泊2日で登ってみることになった。
それからは買い出しとパッキング。残った時間は各自好きに過ごした。

11/12(日) West Face day1
夜明け前にEl Cap Meadowを出てアプローチしたものの、ルートの取りつきに着くのに3時間近くかかった。
壁の下に沿って西へ回り込むだけ、と思いきや、案外分かりにくく迷ったせいもある。
とにかく、日が当たり始める前にWest Faceに取りついた。

West Faceは、トポに『所謂「El Capのルート」として数えられることはないが、そんなことは誰も気にしていない』とある。
つまりは、スケールが比較的小さいけれど、それを補ってあまりある内容がある、ということだ。

1P目(5.11c)、2P目(5.11-)は僕、3P目は(5.10a)BW氏、4P目(5.10a)はあさこさんがリード。
3人パーティーで、軽いとはいえ荷揚げもしているので、ここまでで日が傾いてきた。
2P目までは手が悴むほどだったのに、日が当たると一気に灼熱。
5P目(5.10a)は再び僕がリードしたのだけれど、ピッチを切るところを見逃し、
そのまま6P目(5.11c)までリンクして登ってしまった。
10aのつもりで登っていたので、いきなりジャムが効かなくなって失神するかと思った。
続く7P目(5.11c)も沈む夕日を浴びて無事OS。ここで日没となった。
ヘッドランプを点けて8P目(5.7)を登り、下り気味のトラバースという変則的な荷揚げもして、
10メートルほど下のEl Cap Armsというレッジで泊まることにした。
BW氏がハンモックを持ってきていたので、全員横になって眠ることができた。





11/13(月) West Face day2
朝イチから9P目(5.10d R)をリード。いやでも目が覚める。
Rが付いているからかなり慎重になったが、登ってみれば意外と素直だった。
10P目(5.10b)をBW氏、11P目(5.8)をあさこさんがリード。
ルートの後半はボルトアンカーがなく、ピッチを切るところが分かりにくくなり、
「もうちょっとでテラスなのに!」というところで切らざるを得なくなったりした。
これはトポの読み込みが甘かった、という反省もあるし、いわゆる勘のようなものも必要だろう。
BW氏が10メートルほどロープを伸ばしてGrand Terrace、
その上の12P目(5.10d)、13P目(5.7)を僕が登ってThanksgiving Ledgeに上がった。
Thanksgivingは、水さえあれば永住できそうなくらい広かった。
ビレイ点を移して14P目(5.7)をあさこさんが登ったところで日没。
またもやBW氏がロープをもう1ピッチ分伸ばしたところで、真っ平なテラスが見つかったので、
行動食を食い延ばしてもう1泊することになった。
El Capの頂上へは明るい時間にトップアウトしたいし、ということで。




11/14(火) West Face day3
朝イチで、トポでは表記が省かれているスラブ(5.7くらい)を3ピッチほど登って、頂上に出た。
El Capの上からの眺めは、想像していたよりももうちょっと素晴らしかった。
とりあえずHalf Domeを指さしてみる

しばらく景色を楽しんでから、初見では迷いやすいらしい下降にかかる。
East Ledgesの下降路は、そこへと続く踏み跡に入れば、あとはひたすらケルンが積んであった。
今後、何度も通るであろう(と期待したい)下降路なので、よくよく確かめながら降りた。
頂上から4時間ほどで車に戻った。
疲労感はあったけれど、余力もあるように感じた。
なにより、ルートは違ってもEl Capの上に立つことができた。それだけでも随分と嬉しかった。
買い出しをして、2日分の夕食を一気に作って食べた。



11/15(水) 移動日
朝から曇り空。
天気予報が変わり、この日からもう雨が降る、ということだった。
本当はCosmic Debrisにもう一度トライしたかったけれど、それは諦めJoshua Treeへ移動することに。
各自の荷物で車がパンパンになったがどうにか詰め込み、一路南へ。
道中、天気はずっと雨模様だった。こんなカリフォルニアは初めてだ。
夜中まで走り、Joshua TreeのHidden Valleyに到着してテントを張った。
Panda Express。どうもアメリカでは中華もファストフードに分類されるらしい

11/16(木) Real Hidden Valley
起きると、Joshuaには珍しく曇り。霧がじめっと出ていた。
前日の雨で岩も濡れていたので、午前中はテントの張り直しや荷物の整理、車の掃除など。
レンタカーのクリーニング代をがっぽり取られてはたまらないので入念にやった。

午後、BW氏をStingrayに案内した後、Real Hidden Valleyで少しだけ登った。
Clean and Jerk(5.10c)を登り、トップロープルートのLobster(5.12b)もOS。
トップロープということで前回は素通りしていたけれど、やってみると内容は面白かった。
夕飯後、そうは言っても登り足りなかったので、Asteroid Crackをワークしに行った。
ルート右脇のチムニーから上に回ってフィックスを張り、1時間ほどでムーヴとプロテクションを確認。
最終日は昼前に出発したかったので、翌朝の早朝アタックにかけることに。


11/17(金) Asteroid Crack →ロサンゼルスへ移動
夜明け前に起きて、早朝からAsteroidへ。

時間は迫っていたけれど、確実にものにするために近くのボルダーで入念にアップ。
フィックスで掃除とプロテクションの確認をして、ロープを抜き、リードでトライ。
核心のレイバックから最後のフィンガージャムを叩きこんで、無事にRPできた。
トライの仕方としては、ラペルしてのワークありきで、あまり褒められたものではない。
それでも、ツアーの最後に駆け込みで、少ないチャンスをものにして登ったことは、素直に喜んでもいいことだろう。

それからキャンプを撤収し、ロサンゼルスへ向かった。
懐かしのコヨーテコーナーではシャワーを浴びられなくなっており、
結局体は洗えず買い物だけしてそのままロサンゼルスへ。
車を返却して、機内で隣になるどこかの誰かに早くも申し訳なくなりながら、Terminal Bで空港泊。


11/18~19 LAX→羽田→自宅
ツアーが残り1か月あさこさんは車を借り直してJoshua Treeへ、
BW氏とは使う航空会社が違うので、朝起きてちょっとしたら全員さよなら。
帰りの飛行機ではどうにも眠れず、結局映画を4本観た。
羽田からは自宅近くの駅までバス。
帰ってから、なぜか妙に元気があって腹ばかり減ったので、スーパーで買い物をして夕飯をしっかりと作った。

2023年12月25日月曜日

Yosemite23 その③

 11/1(水) Freerider day1
夜明け前、4時過ぎに取りつきに着いて、同日にゴーアップするノミカシペアのすぐ後ろで登りだした。
前の2人について行くつもりだったけれど、こちらは3人。当然すぐに差が開く。
前日と変わらず、前半が僕、後半がハカセの担当。
まず核心になる4P目(5.11bc)のスラブを、日が当たり始める直前に首尾よく抜けた。
1年前に登っているので当然と言えば当然、しかし落ちられないプレッシャーはむしろ今年の方が高かった気がする。

そのまま5P目(5.11a)も無事に登って、Triangle ledgeでハカセにバトンタッチした。
ハカセはもちろんすべてOSトライなので、かなり迷いつつもノーフォールで越えていった。
ハカセ on Half Dollar

実際やってみるとなかなか恐ろしいらしいダウンクライムを終え、Heart Ledgeに到着。
心配していたデポ品は、僕の行動食が食い荒らされたのみで、とりあえずはなんとかなりそうだった。

カメラを向けられてニカニカしたら、「どこかの駐屯地に居そう」と言われた

Heart Ledge上の11cは僕がリード。日に焼かれた岩が相当暑くて焦ったけれど、落ちずに越えた。
1ピッチ分荷上げをして、最後に次のピッチにロープをフィックスして、Lung Ledgeで泊。

11/2(木) Freerider day2
朝イチ、薄明るくなる中で荷上げ。この日はハカセのHollow Flakeからスタート。
1年前、相当気合を入れておっかなびっくり登ったなぁ、と思い出しつつ応援。
ハカセは1度落ちた後、すぐに登り返してきて、2回目のトライでRPしていった。


そこからのトラバースを含む荷揚げで相当に時間を食ってしまった。
そこからのMonster Offwidth手前までのピッチはすべて僕がリード。
グレードは易しいピッチが続いたものの、荷上げの遅さに加えて、
ロープの短さによってピッチを切る位置を迷ったり、ラインを間違えてクライムダウンするなどが重なる。
最終的に、Monster Offwidthの手前までで日没。
Monsterを担当することになっていたハカセが、暗闇でこれをリードする自信はない、とのことなので、
大きな荷物は上の支点に残して1ピッチ下降、名前もない狭いレッジで泊まることに。
この日ばかりは、ポータレッジを持ち上げていて助かった。

11/3(金) Freerider day3
長いFreeriderの中で、一番初めに日が当たるのが、実はMonster Offwidthだった。
前日張ったフィックスを登り返し、朝日が当たる中、ハカセがMonsterに挑む。
が、前日荷物を背負って散々ユマールし、荷上げの手伝いまでしてくれたからか、お疲れの模様。
4トライするも、本題のワイドに入り込むことは叶わず、バトンタッチとなった。

正直、自分にMonsterが回ってくるとは思っていなかったけれど、
「これがリードできなくては、自分にこの先はない!」と強引に奮い立たせてリード。
全力で力んで10センチほどしかずり上がれないわけだが、「心を折るな」とだけ念じて、ひたすら藻掻き、
なんとか中間にあるアンカーまでたどり着いてピッチを切った。
途中の小レッジに30分くらい留まって休んだ気がする。

相変わらず重い荷上げをこなし、Monster後半は再びハカセに交代。
2トライでテン山になりつつ抜けていった。
後半もあの苦しいサイズのオフウィズスが続くのかと思うと、少し気が遠くなった。

Monsterを完全に抜けて荷上げも終えた頃には、スタートからなんと8時間が過ぎていた。
そしてハカセがもう1ピッチ登ってAlcove、さらに僕が1ピッチ伸ばしてEl Cap Spireに這い上がった。
最後の荷上げを終えて夕飯を食べつつ、天気予報をチェック。
2日後に雨が降る、との予報が出ていた。
今の自分たちのスピードでトップまで抜けるのは無理だと判断し、敗退を決めた。
トミー・コールドウェルはEl Cap Spireがお気に入りのビバーク地なのだそうだが、
真っ平なテラスから見上げる星空を楽しむほどの気持ちの余裕は、正直なところ無かった。

11/4(土) Freerider day4
ゆっくりと起き出し、荷物をパッキングしなおしてラペルを開始。
荷物が多いので、1人目と2人目の間でホールバッグをひとつ吊り下ろす作業が入った。
僕は70Lのホールバッグを腰から下げていった。
流石にこれだけ重さが加わると、長年使っているセミオートロックの下降器も、制動が弱くなって恐ろしかった。
SpireからHollow Flake Ledgeまで5ピッチ。この日も変わらず日差しが強く、暑かった。Hollow Flake Ledgeからは、真下に上がってくるBarmuda Duneのラインを下降。
初見で、行き先が見えず怖かったが、BW氏が先陣を切ってラインを探し出してくれたおかげで助かった。

実際、ラインさえ分かればほぼ直線で、Heart Ledge方面に降りるよりもスムーズだった。
Hollow Flake Ledgeから5ピッチで地面に降り立った。
壁の下でしばし呆然として、それから荷物をまとめ、車に戻り、キャンプへと帰った。


11/5(日) レスト、ベースを移す
キャンプを撤収し、Camp4に引っ越した。
午前中は使用したギアの整理と、荷上げしたけれど不要だったものの仕分けに充てた。
結果、すべて合わせて30キロ近いと思われる無駄があったことが分かった。
ポータレッジを持っていくことの是非は別としても、信じられない失敗だった。
しかし、この経験とデータはこれからの宝になるとそれだけ信じて、前を向きたい。

なくてよかったと判断されたものたち(水、食料も一部ある)


11/6(月) レスト
パートナーたちが帰国してしまったあさこさんを入れて、4人でOakharstへ出かけた。
ハンバーガーを食べ、買い物と給油。

11/7(火) レスト
3人でMariposaへ出かけた。
昨年2回も行ったクライミングミュージアムへ、今年も行った。
スタッフのお姉さん(相当な長身)が「あなた、去年も来たわね!」と迎えてくれて驚いた。
展示は、何度見ても面白いし、ショップもやっぱり楽しかった。
How to Big Wallと、ブラッド・ゴブライトの伝記を買った。