2019年9月8日日曜日

Charakusa その5

8月16日
BC撤収〜バックキャラバンday1。
ポーター軍団が凄い勢いでBCを畳んで、担いで、出ていくのを見ながら、ゴミやら食料の余りやらを処理した。今朝は冷え込んで、テントのフライが凍っていたくらいだった。
が、日中はやっぱり日差しが厳しかった。その中での下りはスムーズで、BC入りの日のしんどさが嘘のようだった。とはいえ、距離はあるし、氷河の上はやはり歩きにくいので、Saichoに着く頃には疲れていた。
K7BCの方を、何度も何度も振り返りながら下ってきたのだった。
Saichoでテントが建って落ち着いてから、ポーターが何人も「靴ズレに何かつけてくれ」とやってきた。そりゃあ、サンダルみたいな靴であの荷物を背負って、あの道を来たらそうなるって。
マキロンを吹き付けて、ケアリーブを貼ってあげた。


お花畑のイサおじさん

8月17日
バックキャラバンday2。
Saichoからいよいよ下界へと下る日。天気が心配だったが、ずっと曇りでもってくれた。
フーシェの村が近づいたところで、イサが道端に生えているエンドウマメらしきものが食べられることを教えてくれた。なるほど、ほのかに甘かった。先に行ったポーター軍団が片っ端から食べたらしく、道にカラが点々、いい実はあまり残っていなかった。
フーシェのゲストハウスでひと休みして、ランチも頂いた。ここのご主人は気さくさの結晶のような人だった。
下山してきた人で多国籍ごった煮状態の中に、Little Karimというおじさんがいた。イサに「とても有名な人」と紹介されたけれど、存じ上げず。あとで調べて、生きる伝説的な人だと知った。
ポーター軍団とはここでお別れ。特急で駆けつけてくれたので、多めに払ったら、皆大喜びでお礼参りの列が出来た。
この日はジープでイサの故郷Machuluまで下って、静かなゲストハウスで泊まった。


8月18日
Machuluは景色のいい素敵な村だった。ここまで下っても、マッシャーブルムはまだ見えていた。

ジープでがたがたと下り、Khaplu手前の養魚場に寄り道。乾燥して見えるこの土地で、やはりこういう場所は珍しいのだという。というか、そもそもパキスタンの人が魚を食べている姿があまり想像できない。
すぐ裏手の山にある仏教の壁画を見に行ったりして、イクバルが作ってくれたランチも頂いて、彼とはここでお別れ。最後までお世話になりました。
午後はスカルドゥまでゆっくりドライブして、来たときと同じホテルに落ち着いた。ここでの滞在は丸3日あるので、近所でシャンプーと石鹸を買ってきて、久しぶりにきちんとシャワーを浴びた。
南国のリゾート(のような養魚場)


イクバルが出してくれたコーラのキャップがもうパンパン


8月19日〜21日
スカルドゥ滞在。
大体毎日、午前中はゆっくりスタートして、午後は食べすぎた昼食の消化で唸っていた。
その間に観光局(リフォーム中)でデブリーフィング、荷物のパッキングと発送を済ませた。
パキスタンという国そのものに慣れてきたのか、あの異様に情報量の多いバザールの中も、幾分落ち着いて歩くことが出来るようになった。
お土産にスパイスやらなにやら怪しげなものも買い込んでおいた。
ところで、ホテルのシャワーがずっと水しか出ず、3日目ついにシャワーからお湯が出る夢を見てしまった。と、荷物の発送を終わらせて部屋に戻ったらなんとお湯が出た。正夢だ。そしてシャワーからお湯が出るだけで、人はこんなにも幸せになれる。

8月22日~24日
イスラマバード滞在。
22日の朝の便でスカルドゥからイスラマバードに移動した。行きも帰りも含めて、スカルドゥでは一番天気のいい日だった。つくづく運がいい。

窓からはナンガパルバットが見えた

帰ってきてみると、やっぱりイスラマバードは灼熱。スカルドゥで留まって正解だった。
23日にはイサの経営しているレストランにも行ってみた。
で、やっぱりここでもフードファイト。外食するといつも食べすぎる。
おしゃれなカップ(零れるのはデフォルト)

ホワイトチキンカライー

ここでイサともお別れ。何から何まで本当にお世話になりました。また来ます。

24日の夜の便でイスラマバードを発った。帰りはおなじみのエコノミークラス。当然、空間も食事もエンタメも全部違う。スマホに映画をダウンロードしておいて助かった。
25日の夕方に羽田に着いて、次の日からまた現実社会での生活が始まりましたとさ。