5月6日、あさこさんと小川山に出かけた。
連休中だというのに、駐車場はガラガラ。予報が悪かったからかな。
空はまだ晴れているけれど、雨が近づいてきているのは事実で、空気が幾分湿って重たく感じた。
分岐岩でエッジの常連様方に出くわしたりして歩いていくと、この日の目当てのルートは日陰にひっそりとあった。
当然というべきか、誰もいなかった。
ローリングストーン(5.12d)は、駐車場から20分程度の場所にあるのに、どうもこの辺りに来て人に会った覚えがない。
と言っても、前回ここに来たのはもう10年以上前なのだけれど。
当時、サル左衛門がこのクラックをトライしていたことがあり、僕も一緒に来て近くのルートを数本登った...というところまでは覚えている。
ブリザード(5.12a)は登れて、睦月誕生(5.12b)は登れなかったとか、そういうことも覚えている。
が、肝心のローリングストーンのことは何故だか全く覚えていない。
サル左衛門の真似をしてトップロープで触ったことが、あったか、なかったか。
内容はおろかトライの有無すら思い出せないので、今回は一応、オンサイトのつもりでトライすることにした。
右奥にあるももちゃん(5.10c)とブリザードを登ってアップ。
前に登った時、ブリザードは11dがついていたと思うけれど、今のトポでは12aになっている。概ね同意。
指が温まり、腕もそこそこ張ったので、アップを切り上げて本番のローリングストーン。
いつでも濡れていると思っていた出だしのパートが、この日は乾いていた。
何度見ても、足がスタートの水平クラックから離れたらプロテクションはセットできそうにないし、ナッツを固め取りして突っ込むしかなさそうに見える。
散々眺めまわして緊張を誤魔化そうとしても、あまり意味がなかったので、思い切ってトライした。
水平クラックに立つまでで出来るだけカムやナッツを固めて、核心前最後のナッツをもう一つセットしようと、頭上をカリカリ探った。
と、細かいエッジを踏んでいた足がすっぽ抜けて、呆気なく落ちてしまった。あちゃー。
ぶら下がって見上げると、そこまで決めたプロテクションの間隔の近いこと近いこと。
オンサイトを失敗するときは、思いきれなくてだいたいこんな感じだ。
テンションをかけながらムーヴを作り、上まで抜けた。
思っていたよりも、個々のムーヴは難しくない。
ボルダーライクだと聞いていたけれど、これはこれで結構ストレ二系のルートなのかもしれない。
前半の手数のある核心をこなして、中間にレストを挟んで、後半にも短い核心がもうひとつある。
それぞれのパートはたしかにボルダーだけれど、繋げる難しさが十分にあるように感じた。
あさこさんのトライのビレイをして、レストの後、2回目。
1回目のトライで使うカムも絞り込めたので、腰回りがかなり軽くなった。
ナッツを固めて水平クラックから離れ、核心のレイバックに入っていく。
絶妙な配置のフットホールドを拾って、クラックの縁をぐいぐい引いていくと、核心の真ん中で少し足運びを間違えた。
「あ、ヤバい」と過ぎる。急ぎつつ慎重に微妙な結晶を踏んで、もとのシークエンスに軌道修正した。
ここで一瞬流れが止まってしまったせいで、核心の最後の一手で落ちそうだった。
なんとか堪えて、クラックが一瞬開いたところでレスト。
後半も若干ムーヴを変更しつつ、最後の核心をまた危なっかしくこなして、易しくなる最上部までやっと走り切った。
自分が生まれるよりもずっと前に、この場所で初登を争った人たちのことを、僕は一方的に知っている。
感覚としては、教科書に載っている近代の偉人を見るときのそれに近い。
残念だけれど、どの人とも特に面識はない。
ただ、その人たちの登ったルートの数々がこの地に残り、礎となって、今の僕はその上に立っている。
「日本のクライミングの歴史」というのが大袈裟すぎるのであれば、「この土地の歴史」としてもいい。
どのような尺度で語るのであれ、場所があれば時間があり、その流れの中に在った人たちによって歴史が生まれる。
その歴史の上で大きな意味を持ったであろうルートを、またひとつ登ることができた。
そうしたルートを登るたびに、感じることは毎回よく似ている。
「こういうルートが登れるようになったんだなあ」と安堵すると同時に、「そのもうひとつ先で、自分は何ができるだろう」と考える。
これがあるから、ハードクラシックは良い。
予想どおりローリングストーンは貸し切りだったけれど、ルートにはチョーク跡があった。
このルートに苔が生えることはまだ当分ない、ということだろう。
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