2023年9月19日火曜日

測るⅣ

クライミングに関する記述がかなり空いてしまいましたが、ちゃんと登っています。
夏ということでシーズンオフですが、ボルダーサーキットなり荷揚げの練習なりリボルト作業なり、天気が怪しい中ほそぼそとやっています。
盆休み中、貴重な晴れ間にフリーウェイを登りに行ったら、ルートの半分はびしょ濡れでエイド、ということもあった。
まさか錆びた古いボルトラダーに救われる日が来るとは。

先月の終わりには、珍しく小川山のスラブを登りに出かけた日もあった。
マラ岩の下部のスラブをあまり登ったことがなかったので、そこに行ってみた。
思い起こすと、届け手のひら(5.10d)とJECCルート(5.10d)以外は登ったことがなかった。
手当たり次第に一通りすべて登ったけれど、瑞牆とは違う味わいの渋いルート揃いで面白かった。
特にてんかちゃん(5.11c)はOSを逃し、かなり苦戦して2撃。
ムーヴをしっかりバラして、相当慎重に登った。体感は12の前半くらい。時期のせいなのか?
ところでここのスラブはルート同士の間隔が近く、見た目には隣のルートと重なっているように思える個所もあるのだけれど、
実際に登ってみるとどれもほぼ独立した内容を持っていて驚かされた。
岩は見た目によらないし、ルートも見上げただけでは分からないものだと思う。


さて、雑な回想はこれくらいにして、本題。

今月の初め、瑞牆でハカセとマルチの継続をやった。
今回はとにかく長く、24時間行動を越えることを目標にプランを作り、実行してみた。
ハカセが作ってくれたルートのリストを見て「流石にこれ全部は...」と笑ったりしたものの、まずはやってみましょうということになった。

土曜の朝にハカセを拾って出発。
圏央道から中央道まで繋がる渋滞にハマり、トイレの限界が近かったので、
八王子JCTをスルーして高尾山ICで下り、インター横のトイレに駆け込むという柔軟なムーヴを繰り出す。
と、今度はトイレが渋滞していて待ちぼうけ。
渋滞が嫌なのは皆同じ、そしてタイミングの悪い便意が来ることも皆同じ。
これで随分時間を食ってしまったものの、10時前に瑞牆に到着。
「どうせ時間はイヤになるほどあるから」と、ギアをだらだら準備して10時半頃に出発した。

1本目 ワイルドアットホーム 160m  11:30取りつき→13:30トップアウト
昨年夏の継続のときはハカセがトップバッターだったので、今回は僕から。
ちなみにここで1P目をリードすると、続くフリーウェイの苦しいピッチも全部引き受けることになる。まあいいよね。
2ピッチ繋げて伸ばしたりしたものの、あまりスピードは上がらず丸2時間で終了。
下降は同ルートを懸垂した。
このときはまだシューズを食べる元気がある

2本目 フリーウェイ 235m 14:45取りつき→17:30トップアウト
時間を書き出してみると、どうも取りつきに移動してからぐだぐだしていたらしい。
前回びしょびしょでどうしようもなかった分、今回は乾いているだけでもう快適に感じた。
更にありがたいことに、この日は曇りがちで突き刺さるような日差しもない。
2本目でもまだ元気はあり、ひたすらにくだらない話をしつつ抜けた。
下降はイクストランへの旅を辿って懸垂。60メートルロープでもこまめに切れば問題ない。
きれいな夕日

と、あまりきれいとは言えない顔

3本目 左稜線 245m  18:45取りつき→21:00トップアウト
フリーウェイを登って取りつきに戻るとかなり暗くなってきたので、ここからヘッドランプ装備で夜間登攀になった。
左稜線は荷物もすべて持って登った。基本はフォローが背負って登る。
後半のワイドだけは背負えないので、フォローが一時テンションをかけて荷揚げ。
初めてのやり方だったけれど、軸足は山の壁であるハカセの機転でほどほどに上手くいった。
が、ハカセのサブザックには穴が開いた。
頂上で一息ついて、裏側のフィックスで下降。

だんだん壊れ始めている

4本目 一刀 185m 21:45取りつき→0:25トップアウト
一刀の取りつきは大面から下りてすぐ、なのに登りだしたのはこの時間。ペースが落ちてきている。
アプローチシューズと上着を腰につけ、1P目をリードしていったハカセ。
その腰につけた荷物がロープに絡まり、あわや落ちかけるというヒヤリハットがあった。
すんでのところで荷物を外して下に放り投げ、ノーテンで登っていった。
頭上の暗闇から靴が降ってきた僕としては、なかなかスリリングだった。
続くクラックのピッチは、外側の壁のフットホールドが見えづらく、かなり登りにくかった。
最後の11aで集中が途切れそうになったものの、必死で頭を働かせ、落ちずに登り切った。
頂上でハカセが動画を撮ってくれたが、眠気であまりにぐだぐだだったので流石にお見せできない。

岩の裏から懸垂で下り、取りつきに戻ったところで二人とも完全に電池が切れた。
ハカセの「ちょっと休もう」の一言を最後に、どちらも全くしゃべらなくなり、
そのまま斜面に背中を預けて一瞬で寝落ちした。
しばらくして寒さで目覚め、一枚上に羽織ろうと、木に掛けておいたジャケットを探すも、ない。
足元を見ると、ハカセがそれに包まって死んだように眠っていた。
引きはがすのは忍びないので、そのまま寒さを我慢しつつもう少し寝た。
明らかに体脂肪が1桁に見える彼は、なぜか体脂肪率が18%と出てしまう僕よりも寒かったことだろう。

30分経ったか1時間経ったか、どちらからともなく「行かなきゃダメだ」と起きて、
「サムイ」「ネムイ」と20回くらい呟きながら荷物をまとめて歩き出した。
ほとんど口も開かないので、「サムイ」も「ネムイ」も同じに聞こえる。
計画では、この次に蒼天攀路を登ることになっていたが、とてもそんな気分ではない。
ともかく、易しいルートで体を暖気することにした。

5本目 Joyful Moment 115m 3:45取りつき→5:00トップアウト
お互いゾンビのようになってルートの取りつきに着いてから、また15分だけ仮眠。
「これ初めて登る」というハカセが暗闇の中トラバースしていった。
2P目を登って振り返ると、白み始めた空に富士山が浮かんで見えた。
その輪郭を縁取るように、灯りの線が煌々と続いていた。
夜明けの寸前にトップアウトすると、東の空から光の柱が伸びている幻想的な景色を拝むことができた。

明るくなると元気が出てくる

6本目 錦秋カナトコルート 155m 6:00取りつき→7:00トップアウト
ベルジュエールとか秋一番とか、いろいろとプランに入れていたものを飛ばして、最後の一本。
流石に夜も明け、いつもと変わらないクライミングに戻った。
違うのは、もはや眠気も感じないくらい変なテンションになっていたことくらいだ。
奇声なのかコールなのかよく分からない声で叫びつつ、ひと際賑やかく岩の頭に抜けた。
一番乗りを狙ったどこぞのパーティーが十一面のガレ沢を登ってくる声が聞こえたので、
僕らの冷静になると聞くに堪えないやり取りも聞こえていたのかもしれない。
カナトコ岩の上からは、瑞牆山のシルエットが下に広がって見えた。

この頃にはシューズが食べられるくらいには元気になった

ここから山賊黄昏を下降して、荷物をまとめてガレ沢を下っていくと、末端壁にはすでに何人もクライマーがいた。
この時間に上から下りてくる僕らには、好奇の視線が注がれていた、ような気がする。

駐車場に戻ると、8:30だった。

行動時間はざっくりと22時間。24時間には少し足りなかった。
もともと立てていたプランも、本数で言えばこなせたのは半分以下。
これは実際にやってみないと本当に分からない部分なので、下方修正はやむなしか。
2日とも曇りがちで比較的涼しく、シューズを履く足が痛くならなかったのはラッキーだった。
むしろ、事前に想定していたよりも夜間登攀でスピードが落ちたこと、そして眠気に完全にやられたことが反省点だった。
前者は多少受け入れるとしても、後者は登る時間帯の調整でどうにかできるはずなので、次に活かしたいところだ。

反省点、そこからの改善点がぼろぼろ出てくるが、一先ず腹ごしらえ。ちゃんとしたご飯が食べたい。
ということで、11時まで駐車場で時間をつぶし、みずがき食事処でジビエを食べて帰った。
帰りの運転は、夜中の一刀を登るよりもよっぽど危なっかしく、遙にスリリングだった。


2023年9月4日月曜日

懺悔とジレンマ

「自分は大きな勘違いをしているのかもしれない」
そう感じ、考えさせられる出来事があった。
 
ひと月ほど前、弁天岩と摩天岩に行く機会があった。
雨の翌日で、ルートはジメジメ。それでも弁天岩で目当てのルートをなんとか登った。
摩天岩に下って、ふと対岸に立つ弁天岩を見やると、見慣れた大ハングが目に入る。
そしてその壁に張られているロープの数に驚いた。
対岸から見えただけなので正確な数は把握しきれないけれど、二十億光年の孤独とHumble、それぞれに複数本のロープが垂れていた。
この光景はここ数年、何度か目にしたことがあった。
それだけこの岩場、これらのルートに足を運びトライする人が増えたということだろう。
初登者として、その事実は間違いなく喜ばしいことだ。
しかしその一方で、どうにもモヤモヤとしたものが胸の内に残った。
何本ものフィックスロープが弁天岩のハングに掛かっている様子を見るたびに、非常に複雑な心境になった。
 
予め断っておきたい。僕は2本のルートにトライ中の人たちを非難するつもりは全くない。
その上で「この状況は良くないのではないか」と感じている。
 
ここで、いくつか告白しておきたいことがある。
 
まず僕は、特にRXのつくルートに関して、トップロープ等でムーヴを組み立て、リハーサルをすることを受け入れてきた。
むしろそのルートが困難であればあるほど、しっかりとリハーサルをして臨みたいと考えてもいた。
それは、どれだけ沢山リハーサルをしても、いざリードでのトライとなれば、緊張感や墜落への恐怖はまるで別物であり、それによって登りの精度そのものにも予想できない狂いが生まれ、そのクライミングには依然不確かさが残っている、と僕は思う。
その不確かさを、自分の肉体と精神を信じて一歩踏み超えることに価値があり、尊さがある。そう信じてきた。
また、不必要なボルトは打たずに登るということにも、強い魅力を感じていた。
クラッククライミング等の魅力としてよく言われる「登って降りた後になにも残らない」ということも勿論良さのひとつだが、僕はむしろ、「クライマーがやるべきことが増える」ということに面白さを感じていた。
プロテクションはどこにどう取るのか、その上でムーヴはこなせるのか、そもそも登るべきラインは岩のどこを辿るのか。
ボルトという残置物がないことで、こちらは様々な工夫と熟考を強いられる。
相応のリスクは伴うが、それがボルトのないルートの良さだと考えてきた。
 
そして、その考えに従い、二十億光年の孤独もHumbleも、どちらもフィックスロープを張って掃除、プロテクションの確認、そしてリハーサルを行った。
その際、数年に渡って弁天岩のハングにフィックスロープを残置しつづけた。秋の終わりにロープを回収せず、冬の間もそのままにしてしまったこともある。
 
Humbleが完成してしばらく後、クライミング界の大先輩と話す機会があった。
Humbleの初登記録が載ったRockSnowを手にした大先輩を見て、僕は内心、称賛してもらえるのかもと期待していた。今思うと恥ずかしいことだ。
大先輩は静かにこう言った。
「君がもっと強かったら、グラウンドアップで登れたのではないかな」
流石にそれは無理です、と思った。「理想はそうでも、限界はあるよ」とフォローをしてくれた友人もいた。
しかしこの問いは、今でも僕の中に永く尾を引いている。
 
 
今回、弁天岩の今を改めて目の当たりにし、僕は自分の中に残ったモヤモヤしたものが何なのかを考えた。
そしてそれは、この手のクライミングが孕むひとつのジレンマなのだと思い至った。
ボルトを打たずに登ったことで、かえって壁に残置される物を増やしてしまったのではないか。
僕はたしかに、終了点以外のボルトを打たずにあの壁を登ろうと手を尽くし、それが結実して2本のルートができた。この「手を尽くす」ということに、僕は自分のクライミングそのものの在り方を見出しているし、出来上がったルートも気に入っている。
そして初登したルートは、一度公にすれば自分ひとりのものではなくなる。どう向き合い、どう登るかは各個人の自由であり、その人の考えに委ねられる。
しかしその結果、登るために使うボルト以外の残置物が多くなるとしたら、どうだろうか。
自分がなにか大きな間違いをしてしまったような気がしてならない。
 
繰り返すが、今弁天岩のルートにトライしている人たちを非難する意思は、僕にはない。
むしろ初登者として感謝したいし、トライしている全員に登り切ってほしいと願う。それはクライミングに対する価値観とはまた別に、「ルートは誰かに登られることで存在しつづける」という信条があるからだ。頼まれればビレイでもなんでも引き受けたいくらいだ。
そしてそもそも、フィックスロープについて文句を言う資格は僕にはないのだ。
なぜなら、僕自身がフィックスロープとリハーサルを受け入れてこのルートを登っているからだ。
開拓時には掃除や終了点の設置などの作業があるから、という考え方もあるが、フィックスロープを張って使ったという事実は動かしがたい。
 
ここしばらく、僕の心中はずっと複雑だ。
あの2本のルートを登るために自分が採った手段は、本当にそれでよかったのだろうか。
もしもそれぞれのルートの核心部に1本でもボルトが打たれていたら、現状は違っていただろうか。
ボルトを残置しない代わりにロープを残置することには、果たしてどれだけの意味があるのだろうか。
室井登喜男さんは、ボルトを「妥協点」と語った。僕もその考えには同意するものだ。そして、ボルトと違いずっと壁に残るものでないが、フィックスロープもまたひとつの「妥協点」なのではないか。
そうだとすれば、何の疑問も持たず、リハーサルを行うことを前提にしたクライミングを行ってきた自分は、その「妥協点」に対する考え方を見直すべきなのではないか。
 
弁天岩のハングに通っている人たちのうち、何人かとは個人的なつながりがある。
そうでない人も多かれ少なかれ、どこかでお会いしたり、一方的に尊敬していたりと、様々ある。
その人たちの燃やす情熱に水を差すことになってしまったとしたら、心苦しいばかりだ。
「通い慣れた岩場に来る人が増えて、景色が変わることを拒んでいるだけじゃないの」と言われれば、それまでなのかもしれない。
しかしこれは、自問し続けなければいけないことなのだと強く感じている。自分が今後このクライミングを追求し続けていくためにも。
 
「君がもっと強ければ」と問いかける大先輩に返す答えは、まだ見出せていない。