2月23日、デイドリームをRPした。
先シーズンに5日通い、今シーズン5日目、通算でちょうど10日目だった。
家を出て岩場へと向かう車中、運転しながら自分はどんな顔をしていただろう。
移動は単身だったので知る人はいないし、自分にすら分からない。
9時に駐車場に集合して、いましさんと岩場へ。エッジの常連さん軍団も来ていた。
いつものボルダーで二段まで登って、ちょっと念入りにアップ。
密かに、「1回目のトライでつながるかもしれない」と思っていた。
後から合流した大ザルにビレイを頼んで、今回もトップロープでのワークなしでいきなりリード。
前回よりも遥かに暖かく、指が悴むことはない。体もずっとよく動いた。
前半のジャミングパートを比較的安定してこなし、中間のカムをセット。
前回足が抜けて落ちた後半パートの入りで、ホールドを間違えて一瞬怪しい動きになった。
すぐに持ち直して続けたものの、その一瞬で気持ちに隙ができた。
さらに2手こなして、あとは足を上げてリップへ、というところで気持ちが途切れた。
大ザルに一声かけてフォール。自分から落ちたと言うべきか。
肉体的な余裕はもう少しだけあった。それなのに何故このトライで押し切らなかったのか。
まだ何かを信じ切れずにいる自分に少し腹が立ったが、とにかくすぐに上へ抜けた。
指皮はほぼ無傷で、体のヨレもそれほどではない。
1時間ほど休んで、2回目のトライをすることに決めた。
今回は、声をかけられる前に自分からいましさんに一言、「次で登ります」とだけ言った。
ボルダーで盛り上がるエッジ勢を冷やかしに行くと、1時間はすぐに過ぎた。
準備を整えて、2回目。
タイトなフィンガージャムが、またもう少し楽になったように感じた。
前半パートの最後のジャムをこれまでで一番安定して決め、カムをセット。
後半の入りで一瞬、今度はロープに足がかかりそうになって流れが止まった。
繊細なスタンスを拾って大きなムーヴを繰り出す。
ほとんど息ができず、力が抜けそうになる。そうか、さっきはこれで挫けたのか。
しかし今度は「終わらせろ」と、気持ちが上へと向いていた。
最後のデッドでやっと一声吠えて、その後のマントルは安定してこなし、リップの上に立った。
少し、目が眩んだ。
終了点にクリップしてテラスに立つと、気持ちをどう言葉にするか迷った。
僕もある程度は幼稚で気の早い人間なので、登った時に自分がどう感じるかをよく妄想した。
しかしいざその時が来てみると、自分でも驚くくらいに落ち着いていた。
感情が暴走して全身の血液が湧きたつようなあの感覚ではなく、
今回はいたってシンプルであっさりとした興奮だけがあった。
14時にはすべての決着がつき、まだ時間は早かったけれど撤収することにした。
日向にあるデイドリームはかなり暖かく、Tシャツでちょうどよかったが、
谷に下ると雪はあるしツララは垂れているし、季節が一つズレているようだった。
このルートに通い、そして登って、学ぶことは沢山あった。
昔取った杵柄がまだあり、まだまだ磨くことができるということ。
減量はたしかに有効だけれど、安易にそれに頼ってはいけないということ。などなど。
しかし、今後自分の中に長く残るであろうことは二つ。
一つは、『可能性』を『可能』に変える経験ができたということ。
昨年、初めてこのルートに触った日の印象は「これが本当に登れるのだろうか」だった。
その後何日もかけてムーヴを作ったものの、繋がる目途も全く立たないまま春が来てしまった。
1年後、再びこのルートに戻った時、何かが確実に変わっていた。
ちょっとしたことに気づかなかっただけ、と言い切ってもいいかもしれないし、
1年の間に積み重ねたことの成果が出た、と胸を張ってもいいかもしれない。
いずれにせよ、初めは可能性を感じるどころかそれを疑うくらいだったものが、
最後には確信を持って挑むことができるまでになった。
これまで20年近く、ずっと繰り返してきたはずのこのプロセスだが、
今回はそのことをこれまで以上に強く感じていた。
もう一つは、それでもその登りに100点はつけられない、ということ。
登った後、いましさんに「点数をつけるとしたら何点?」と聞かれ、
少し迷って出した自分の答えは「90点です」だった。
困難さの追求には、ジャンルを問わず価値がある。そのことは疑いようもない。
しかしその成功への興奮の後には、頭の中に違うものが湧いてくる。
それは「これが初登だったなら」という仮定法的な思いだ。
嫉妬、あるいは羨望とも言える。
自分は間違いなく、限界をプッシュする登りをした。
それに成功したことは本当に嬉しいし、幸福感が溢れてくるけれど、
同時にそれだけではいられない気がしてくる。
それならば、と思う。自分のゴールはここではないということなのだろう。
今の自分はこれまでで一番強くなったのだと信じている。しかし、その先はまだある。
ひとつの壁を克服して見えてくるものは様々にあるが、
それよりもなお強く、今この時に胸を占めるのは、まだ先にある次の壁の気配だ。
視界にはまだ入っていなくても、たしかに何かが在る。
待つのでは巡り合えない。自分から歩みを進めて、そこに至るしかないのだろう。
Cobra Crackの映像を観てからずっと、5.14のクラックを登ることは僕にとっての夢だった。
沢山ある夢のうちのひとつだった。
それが叶ったことを喜びつつ、そこに胡坐をかくことはない。
次へ進もう。
合掌
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