2022年3月7日月曜日

5 + 4 =

デイドリームに通ううちに、春がやってきている。

デイドリームの予備日と思って取った有給を持て余すのは勿体ないので、
先週の金曜日は三峰に行ってみた。
高校生のとき以来だったので、実に15年近く経ったことになる。

当日寝坊したり道に迷ったりして、着いたのは昼前。
しかも駐車場で昼食を買い忘れたことに気づき、最寄りのコンビニまで往復。なにやってんだか。
エリアに下りていくと、すでにガンガン日が当たっていて暑い。
デイドリームのアプローチでツララが垂れていたのが嘘のよう。

本題は決めていたので、ひとまずアップで草餅岩周辺の課題を登りなおす。
ペタシにはハマりかけた。岩が傾く前は、いったいどれだけ難しかったのだろうか。
アップの仕上げにとトライしたさかり(二段)はヌメりに泣かされ、
対岸の木立の向こうに日が隠れたころにやっと登れた。
SDの三段は、まあ見なかったことにする。

で、本題の伊舎那天(四段)。
ひも(三段)はあっさりリピートできたので、気をよくしてスタートに座ると、
合流までが思ったよりもずっとハードだと思い知らされた。
1手ずつはそれほど悪くないのに、つなげるとどこかしらで足が滑る。
下部の精度が上がらず、一度だけひもに合流できたものの、核心で案の定やられた。
それからは足が滑り続け、ヨレヨレになって終了。
帰りがけ、苦し紛れに無名の三段もやってみたところ、こっちもできず。

伊舎那天が登れなかったのが妙に悔しかったので、今週も三峰へ。
日が当たるとどうしようもなくなることが分かったので、午前中だけと決めて出発。
8時過ぎに駐車場に着くと、もうかなり埋まっていた。皆さん早起き。
また草餅岩周辺でアップして、さっさと伊舎那天へ。
ひもにトライする人がどんどん増えてきたので、トライのペースはゆっくりに。
少しムーヴを変えたことで下部の精度が格段に上がり、あとは通すだけになったけれど、
もう少しするとひものあたりにも木漏れ日が差してきた。
やばい、これは残り数回だぞ。
繋げるとやはりひもの核心が難しくなる。ここでもまた足が滑り続ける。
よくよく考えて、つま先で乗る位置をきちんと狙うという基本的なことを大事にしたら、
そのトライでひもの核心が止まり、そのまま危なっかしく押し切った。
前回これができていれば理想的だったけれど、これは嬉しいぞ。
ところでひもに生えている灌木が少しずつ育って、クラックが広がっているという噂がある。
真相はどうなのか確認が難しいけれど、自然に変わっていくのならそれはそれでいいか。
何よりあの細い灌木が毎年葉をつけて、成長しているということが驚異。

日が高くなって春の陽気になった。
春と修羅(初段)と無名の三段を首尾よく数回で片づけて、
まだ終わるには少し早かったので、もう一つ気になる課題へ行くことに。
車で少し上流へ移動して、下調べで見つけた橋のたもとを覗くと、あった。
重き流れの中に(初段)は、高さとアプローチの悪さ等々であまり人気がないようだった。
昔Freefanでこの一帯が再度採り上げられたりとか、
そのもっと昔、某誌に載った広告にこの写真が写っていたとか、
そんなこんなで長いこと知ってはいたけれど、来たのは初めてだった。
岩盤の上からマットを投げ落とすと、ドンッと狭い谷の空気が揺れた。

スタートらしきホールドと1手目にだけはチョークがついていたものの、その先はなし。
見上げた感じ、屋根のように突き出た形状の左右それぞれにトップアウトできそうに見える。
ただ、どちらにしても上部のホールドがよく分からない。
あっちへこっちへ場所を変えて眺めまわし、リップ上からも覗き込んで、ラインを決める。
ふと、ネットにあがっている動画を見てラインを確かめようか、という考えが浮かぶ。
高さのある課題で出口のホールドが汚れていないという確証もないし、いるのは自分だけ。
安全に登って帰ることを考えるなら、そうするのが手堅いのかもしれない。
でも、と思ってスマートフォンをしまった。

2手目のホールドはかなりかかりそうに見えるが、とにかく1手目のポケットが悪い。
スタンスを選びきれずに3,4回登って降りてを繰り返した。
それらしい体勢が作れたトライで、思い切って跳んで2手目を止める。
頭の中、考えのスピードが速くなった。
手を出した先のホールドは思ったよりも幾分浅かったけれど、迷いはない。
地面から見上げたときのイメージよりも一手一手が遠いけれど、それでも迷いはない。
リップの上のホールドを押さえて、少し埃っぽいエッジを握ってマントルを返した。
「あー、無事だった」

この課題はとても良いクライミングのできる課題だった。
なぜかと言えば、グレード以上のものを求められたからだ。
ついているグレードは初段で、どう見積もっても二段にはならないだろう。
しかしこの課題を登るためには、初段のムーヴがこなせるだけでは足りなかった。
あの瞬間の自分は、きっと伊舎那天を登った時よりも集中していて、
強い確信を持って動き続けていた。
その確信、あるいは覚悟を持つために、日頃のトレーニングはあるのだろう。

トライ前に動画を見ないで、本当によかった。
個人的に、動画を見て参考にするという行為そのものは悪いことではないと思っている。
誰かとセッションするとか、完登するところを見るとかしても、得られる情報は同じだろう。
だからそれ自体が、完登という出来事の価値を損なうとは言い切れない。
それに僕自身、クライミングの映像作品は大好きだ。
しかし、好きなものだからこそ、オフにする瞬間が必要だとも思う。
自分がその場で見るもの、感じるものだけを頼りにして登るという行為が、
言い換えれば、手持ちのものを信じて進むという姿勢が、
不確かなものを相手にするこの遊びにおいて確かに尊いということ。

信じるものは、自分と国籍や言葉くらいしか似ていない誰かが登る姿か、
それとも生まれてこの方ずっと操縦し続けている自らの心身か。
選ぶのは自由だが、僕はそれが後者だと言えるようにいたい。

2日合わせて丸1日分しか登っていないが、いい時間だった。

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