2025年3月12日水曜日

野猿谷での冬 ②

 3月2日(日)

ストーンモンキー(四段)を目的に野猿谷。この日は春の陽気だった。
示し合わせたわけでもないのに、ノミーにマウントピア黒平でばったり会った。
一緒に10のエリアの課題を見に行ったりしてから、橋周辺でアップ。
くるみSD(初段)のスタートホールドがよく分からず、とりあえず右手カンテ、左手フェースのカチで離陸して登ってみた。
後でトポを見たら、どうもスタートホールドは違っていたらしい。下地が変化したとか?

それから掃除とホールドのチョークアップをして、ストーンモンキー。
日記を見返すと、前にトライしたのは23年の年末だった。
ムーヴは覚えていたので、数回のトライでリップまでは行けるようになった。
むしろ中間までの感触は前よりも良くなったのだけれど、結局はマントルが厳しい。
あれこれ試行錯誤するフリをして、踏ん切りがつかず飛び降りる、というのを繰り返した。
リップにヒールを上げてはみたものの、そこから乗り込んでいくイメージが湧かない。
リップがあまりにもダレていてビビっている。
写真を撮ってくれたノミーに「全然マントルしないじゃないっすか」と茶々を入れられた(気がする)けれど、
結局この日はリップまでのムーヴが固まった以外に収穫はなかった。
マントルをしている風

流石にちょっと暖かすぎたので、ストーンモンキーを諦めてキュリアスジョージ(三段)。
シーズン初めに見に行ったときは、上に木が倒れ掛かっていてトライできなかった。
この日はノコギリを持ってきたので、倒れた木やら絡まるツタやらをせっせと切って退ける。
しばらく働いて、トライできるようになった。
ここでもカチトレの成果か、前は浮くのがやっとだった離陸が少しだけ楽になっていた。
が、当然離陸は序の口でそこからが問題。
時間をかけてあれこれ試し、どうやらそれらしいムーヴを発見。
が、スラブに上がったところから動けず。

上の方へ移動しつつ、ノミーがやっていたアイスエイジ(初段)に寄り道。
これは2トライで登れた。良い課題。
アイスエイジ

最後に、宿題になっている包囲された城(二段)。
前回バラしたムーヴを少し練習して、繋げてみたものの、核心のデッドが止められず。
つくづく、両手アンダーからの遠い一手というのが苦手だ。
足の微妙さもあって、繋げると良いポジションまで入れない。
苦手な自覚があるだけに、これはどうにか登っておきたいところ。

3月9日(日)

前日雪が降ったので遅めに出発。が、着いてみると、そんな必要はなかったと思うくらいに乾いていた。
ストーンモンキーが最優先だったけれど、下地に湿気が籠っていそうだったので、07のエリアへ。
トライした話すら聞かないイルミネーション・ゴースト(四段)にロープを張って掃除してみた。
これはこれでかっこいいのだけれど、間近で見てもあまり可能性を感じないスラブで、トライはせず。
少し下ってリフトバレー(1級)を登り、すぐ下のライトピラー(二段)もやってみた。
これもかなり苔むしてきているが、これが結構面白く、30分くらいで登れた。幸先が良いぞ。
ライトピラー

それから橋に戻り、ストーンモンキー。
数回でリップまで行き、ヒールを上げて、4割くらい腹を括って乗り込んでみると、見事に抜けた。
足から落ちられたので無事だったけれど、若干背中落ちになってまたビビる。
やっぱりあのヒールは抜けるのか。少し嫌なイメージがついてしまった。
しかしやっているうちに、リップのホールドが胸の前まで引きつけられることが分かった。
それから改めてヒールを上げてマントルに入ってみると、いくらか腰が入る感触があった。
両手を胸より下へ引き下ろせそうなところまで上がって、怖さが勝ったので一度飛び降りた。
返せはしなかったものの、これでマントルの感触は掴めた。
しばらくレストを挟み、次のトライで再びリップへ。
今度はしっかり腹を括り、ヒールを上げてマントル。両手を引きつけたところからゆっくり粘って這い上がった。
リップのホールドをプッシュに変えられたら、後は必死で足を上げて、スラブを駆け上がった。
登った瞬間は「嬉しい」よりも「びっくりした」の方が強かった。
手の掛かりの良さで足の悪さを誤魔化す類のマントルもある、ということを学んだ。
先シーズン、初めてリップを取ったトライで「こんなもんできるかー」と諦めて飛び降りて以来、
この日までずっと返せるイメージが湧かなかったマントルだった。
仮にこれが地面から届く位置にあれば、初段もないのだろうと思う。
が、これが高いところにあるのだから難しいわけで、ロープにぶら下がって練習することも何度か考えた。
が、先日トニーさんに「課題への思い入れがなくなったら、ぶら下がったらいいんじゃない」と言われ、我に返った。
僕はマットを何枚も敷いて登ったので、マットなしで初登した室井さんには遠く及ばないが、
それでもこの課題でのことは大事な経験だったと思っている。

その後少しレストして、キュリアスジョージもやった。
前回よりもヨレていないおかげか、左手のカチはしっかりと引けた。
指皮が多少柔くなっているのか、トライするごとにゴリゴリ減っていった。
ただ、前回でムーヴの目処が立ったことが大きく、数回のトライでスラブにへばりついて足を上げ、ふらつきながら登った。
これも猿の手と同じく、シューズ選びが重要な課題だった。
キュリアスジョージ

登ったトライで左の人差し指が裂けて流血したので、早めに終了した。

保持力トレーニングが奏功したのか、それとも状態の良い日を捕らえられただけなのか。
何が要因かはよく分からないが、とにかく今シーズンはいい具合に宿題を回収できている。
春の気配がいよいよはっきりしてきたが、もう一押し、欲張りたい。

2025年3月11日火曜日

野猿谷での冬 ①

この冬も、気づけば野猿谷通いが続いている。
昨年の年の瀬に一度行って、年末年始で間が空き、先月からはいきなり毎週末になった。
今シーズンは成果も出ているので、春の気配がしてきたこの辺でまとめておく。

12月21日(土)

秋に痛めた肩の調子が良くなってきたので、久しぶりにボルダーにシフト。
一度寒波が来た後で気温が上がったのと、当日の小雨交じりのコンディションとで、登りはイマイチだった。
いくつか気になる課題がある01のエリアに行ってみた。
と、その気になる課題のいくつかは既に自然に還っていた。回転寿司の緑茶の粉をまぶしたみたいになっている。
ワイヤーブラシを持ってこなかったので、ひとまず登られていそうな課題を回ることにした。
軽くアップしてからやったロディ(初段)で少しハマったものの、数回で登り、
続いてやったモンキーシャイン(初段)も数回で登った。
この日の本題のひとつだったモンキーシャインSD(三段)は全くできず。
フリクションがないスローパーと、2本指のカチがまるで持てていない。
次にやってみた青行燈(初段)は、同じように保持負け気味だったので、リーチでねじ伏せて登った。
青行燈

02のエリアに移動。トライしている人を見たことがないCross Love(二段)をやってみる。
ホールドが埃っぽいが、磨けば何とかなる程度だった。
1トライ目でバルジを抱えた状態から派手に落ち、「あいたたた」と起き上がると、左の腹に冷たい感触が。
驚いてTシャツをまくり上げると、左胸にあるホクロが半分もげて大出血していた。
ホクロって取れるのか。
とはいえ長年連れ添ってきた相棒を千切り取るのは忍びないので、そっと圧迫して止血。
Cross Loveはその後2、3トライで登れた。かなり易しく感じたけれど、良い課題。
Cross Love

それから04のエリアに移動して因縁の猿芝居(初段)をやったものの、まるで進展なし。
百匹目の猿(1級)とかジャンプ51(1級)を登ってお茶を濁し、
最後にやった06エリアの盃(初段)でマット外に落ちて怖気づき、撤退。
もう少しでいいから、コンディションも高さもねじ伏せられる強さが欲しい。

この日の反省から、この冬は保持力トレーニングを見直すことに決めた。


2月15日(土)

ノミーと誘い合わせて野猿谷。結構間が空いてしまった。
猿芝居にやられすぎてしばらく放置しているストーンモンキー(四段)をやりたかったが、
久しぶりに覗いてみるとリップ上が自然に還りかけている。
ということで、しばらくロープを張って掃除。苔の下の部分が凍り付いていた。
苔は落としたものの、全体的にしっとりしているので、この日はトライせず。

最近やっと4mmのエッジで1秒くらい浮けるようになり、ノミーに「だったら猿の手やったらいいですよ」と勧められたので、やってみる。
05のエリアの易しい課題でアップ。やったことのなかった一つ目小僧(1級)と、室井さんの新作らしい邪眼(初段)も登った。
それから本題の猿の手(三段)。
ここを通りかかるたびにトライしていたものの、以前はまるで離陸できなかった。
今年は、カチトレと寒波のおかげか、ムーヴができるようになっていた。
スタートは相変わらず「これかよ...」というエッジだが、なんとかなるもんだ。
1手目が一番悪く、そこを止めた状態からはなんとなくスラブに這い上がれることだけ確認して、あとは繋げ。
昼を挟んでトライしたものの、なかなか1手目が止まらず。
ふと「これは足がしっかり踏めていないのでは?」と硬いエッジングシューズに変えてみたら、これが当たり。
が、1手目が止まってスラブに這い上がったのに、上部でスリップ落ち。
このトライで重要な右の人差し指を裂いてしまい、この日は敗退。

ノミーはkazahanaの小さいマットだけで独舞台(初段)を登ってハートの強さをアピールしていた。
ハートは強いのに、その後アプローチの川で滑って服を濡らすという茶目っ気も忘れない。
この男、できる男である。
ダウンすら濡らしたできる男

その後は04のエリア51(二段)をやってみた。これも登ったという話をまるで聞かない。
かなり頑張ってリップは止まるようになったが、これがマッチできずに終わった。
テープを巻いて登れるほど易しくない模様。
これはまだ離陸したばかり


2月22日(土)

空を覆う雪雲に怯えつつ、野猿谷。ノミーと、サンチェ親方も来ていた。
この年代としてはそれこそ世界一元気なのではないか、というくらいに元気。流石は親方。
この日は初めから猿の手を登るつもりだったので、アップしてすぐにトライ。
指皮が育って硬くなっているので、ホールドの痛みやヌメりには強いけれど、
保持感が馴染んでくるのには結構時間がかかった。
「あれー、できない」とか言いつつニギニギしているうちに、腰が入って1手目が止まり、上部へ。
前回足が抜けて落ちた最後の一歩も慎重に乗り込んで、無事に登れた。


この課題では、4mmのエッジにぶら下がる力はやはり武器になる、ということと、
フットホールドの形状やムーヴでシューズ選びを見直すべき、ということが分かった。
僕のように重量級のクライマーは、特にその辺を考えた方がいいのかもしれない。
一先ず、宿題が片付いて安心。
ノミーと親方はこけ猿の壺(三段)をやっていた。
雪が舞っているというのに、脱ぐ

その後は下に下って、一人で猿芝居をやってみたものの、やっぱり登れず。
年末にノミーがついにこの課題を登り、野猿谷謎課題被害者の会(仮)の暫定トップに躍り出た。
そのノミーにムーヴを聞いて試しても、まるでできなかった。うーん、悲しい。
最後に06エリアの空者(二段)を掃除してやってみたけれど、これも「???」だった。

2月23日(日)

野猿谷で連登。この日は一人だった。
前日の雪は積もらなかったらしく、朝からいい天気で状態も良かった。

この日は09のエリアで登った。
室井さんが最近(?)追加したらしい深宇宙(二段)をやり、周りにある登っていない初~二段を回収して回るつもりだった。
が、まずアップでやったボイジャー(2級)で猫パン。流血して、爪も数か所割れた。
いきなり先行きが怪しくなる。敗退の二文字がよぎったけれど、ボイジャーはなんとか登った。
次に隣のペイルブルードット(初段)。高いスラブで緊張する。
これは3トライで危なっかしく登った。独特の粒々に立ちこんでいく後半の核心は痺れた。
ペイルブルードット

続いて深宇宙。ホールドに蜘蛛の巣が張っていたので、しばらくトライされていないらしい。
そもそもアプローチが一番遠いところにあるし、無理もないか。
薄被りの豪快なレイバックから、いかにも丸っこいリップへ出ていくラインで、そこそこ高い。
見た目にもそそられるので結構頑張ったが、リップ周辺が解決できず。
ああいうスローパーはどうしたら持てるのだろうか。

少し下って、1年前くらいに敗退したモンキーウエディング(初段)。
これは微妙なカチを本気で保持してギリギリ登った。それこそ猿の手並みに握った。
モンキーウエディング

少し下の青銅の蛇(初段)に、お金を食う怪獣、もといK原さんがいたので、一緒にやってみる。
これはこれで指に結晶を突き刺して持つ類の課題で、トライの度に悶絶。
みるみる右人差し指に穴が開いてきたので、ほどほどでやめておいた。
そして結局、次にトライした包囲された城(二段)でここに完全に穴が開いて流血。
包囲された城はムーヴをバラしただけで敗退。

指から血が出たまま、最後にエリアの隅にあるサイケデリック(初段)へ。
2日目の最後でいい加減ヨレてきたのか、サイケデリックは保持系でもないのにしばらくハマった。
前傾カンテをガシガシ登るのかと思いきや、核心はなかなかに繊細だった。
ついでに同じ岩の平行世界(初段)も登っておいた。
こちらはスタートからほぼ垂直跳びのランジで、身長で得をした気がする。

こういう、グレードを下げて数を登る日も楽しいのだけれど、それならもう何段かきちんと稼ぎたいなと思う。

2025年3月9日日曜日

アリとナシ、是と非

Dawn Wallのレポートを訳したりしている間に2月が終わってしまった。
自分のクライミングはできているので、少しずつ書いていこうと思う。

この一か月で、2本のルートを初登した。
どちらも地元の非公開エリアで、大ザルが数年前から足繫く通っている岩場だ。
その初登と前後し重なる形で、いろいろと考えたことを書いておきたい。



「必要」という言葉は、扱いが難しい言葉だ。
重要なようで、正しいようで、だからこその危うさも秘めていると、僕は思っている。

しばらく前に、とある岩場(岩場A)でこんな話を聞いた。
「あの5.11の周りにアップできるルートが必要だと思ったから、新しく5.10くらいのルートを作った」
その5.11は僕も前に登ったことがあったので、この話には少し驚いた。
というのは、5.11の取り付きから50メートルも歩けば、易しいルートが既に沢山あったからだ。
新しくできたその5.10を僕は登っていないし、もしかすると登れば面白いルートなのかもしれない。
しかし、僕はこの「必要だと思ったから」という話に違和感を覚えた。
この岩場はホールドが割と豊富な岩質なので、掃除してボルトを打てば、まだいくらでもルートを作ることはできる。
ただし「いくらでも」というのは、あくまで物理的な話だ。
以来、「必要」という言葉が、僕の中でずっと引っかかっている。

また2月のある日、別のとある岩場(岩場B)に出かけた。
特に目標は決めず、トポを見ながら5.11~5.12のルートをあれこれとオンサイトトライした。
その中でトライした5.12後半で、核心のムーヴを読み間違えてフォール。
「あー、これは後でもう一回だな」と思いながらムーヴをバラして抜けていくと、
終了点直下のホールドを持った時に、指先に妙な感触があった。
明らかに岩ではない何かに触っている。かといって、シッカーでもない。
ムニュッと柔らかいその感触に何かと思って覗き込むと、
フレーク状のホールドにコーキング材のようなものが塗られているのだと分かった。
このルートは過去にもキーホールドが欠けたことがあるらしく、
問題のフレークもそのうち剥がれてしまいそうな見た目をしていた。
ホールドが無くなることを危惧した誰かが、補強のためにと塗ったのかもしれない。
もしそうだとすれば、その心情自体は理解できる。
しかし明らかに樹脂を触っているその手触りの違和感と共に、僕がそのルートにトライする意欲は完全に消えてしまった。
そこにあるのがルートではなく、工業製品のように見えてしまったのだ。
ヌンチャクを回収し、ロープを引き抜き、僕は岩場を後にした。
今後僕があのルートをトライすることは、もうないだろう。



話は戻って2月某日、大ザルの非公開エリアへ登りに出かけた。

ここは1年前の春に一度だけ来て、目を付けたラインを1本だけ掃除したきりだった。
とにかくこの岩場は掃除が大変だ。
苔はもちろんのこと、クラックにもホールドにも土や埃が詰まっていることが多いし、
壁の上の方にはブッシュだけでなく巨大なイワヒバの塊がくっついていたりする。
しかし一方で、ところによっては明確な節理があり、プロテクションは十分に取ることができる。
その節理を上手く辿れば、グラウンドアップで登れるのではないか、という考えがあった。

この日、僕はそのアイディアを実行に移そうと、グラウンドアップで登れそうなラインを探して回った。
そして、岩場の入り口からほど近い場所にある前傾コーナーを登ってみることに決めた。
クラックは地面から壁の上まで伸び、ブッシュに吞まれるように消えている。
上部はイワヒバと苔に覆われているように見えたけれど、多分なんとかなるだろう。
地面から見える範囲で1時間以上眺めまわし、意を決してトライすることにした。

出だしからクラック内の埃が酷く、どれだけチョークアップしても嫌なヌメり方をする。
フットホールドが沢山あって助かるが、傾斜は見た目よりも強く感じた。
気づけばコーナーの奥に体を突っ込んでチムニーのように登っていた。
下り気味にトラバースしたり、ロープドラッグをなくすためにランナーを長くしたりと、
なんだか城ケ崎で登っているような気分になった。
核心と思しきパートで怖さから声が漏れたものの、ホールドの埃を払っては掴み、払っては掴みを繰り返して、ルーフを越えた。
最後はイワヒバの塊にマントルを返し、ブッシュを掴んで壁の上まで抜けた。
思っていたよりも易しかったが、グラウンドアップの初登はやっぱり怖さが違う。

年末年始に登った大堂海岸のような、海岸線の硬い花崗岩ではなく、
苔も土も埃も木もある汚い山の岩でグラウンドアップの初登ができるのか。
その可能性を確認できたことが、最大の収穫だった。
もちろんそうするには岩の節理ありきなので、その分対象はかなり絞られるが、確実に存在するということが分かった。


3月の初め、再び大ザルの非公開エリアへ。
何をやるか迷ったが、1年前に掃除したきり登っていないフェースのラインをやってみることにした。
荒々しく掃除する大ザル

大ザルが掃除中のラインと格闘して埃まみれになっている間に、
こちらは改めて自分のラインの様子をラペルで確認する。
1年経ってまた汚れてしまったかなと思ったが、意外に綺麗なままだった。
ホールドに溜まった埃を軽く掃除して、プロテクションを再確認し、必要なギアを把握。
ムーヴは特に練習しなかった。ホールドを掃除しただけで十分だと判断した。
大ザルの手が空いたところで、リードでトライ。
下部からプロテクションが細かい上に、浅い水平クラックに捻じ込んでいるので、結構心許ない。
アップもラジオ体操とハングボード以外はしていないので、どんどんパンプしてきた。
長居は無用、と思い切って核心に入っていき、落ち着いてムーヴをこなして、薄被りのフェースを抜けた。
春の訪れを感じさせる暖かい日差しを浴びながら、壁の上の木で支点を取って終わりにした。

ギアを回収して取りつきに戻ると、「呆気なく登ったな」と大ザル。
なんだか以前どこかのルートでもそう言われた気がする。


前傾コーナーは、判官贔屓(はんがんびいき)5.10c、
フェースは、豊穣 5.11a PD とした。

今回の2本のルートはどちらもボルトを打たず、オールナチュラルで登った。
それはこの岩場の開拓方針に沿ってのことなのだが、単純に僕がそういう登り方が好きだというのもある。
しかし、2本のルートでは登り方が明確に異なるものになった。
判官贔屓はラペルでの掃除やプロテクションの確認をまったくせず、グラウンドアップで登った。
豊穣はラペルで掃除し、プロテクションを確かめ、ムーヴなどのリハーサルはせずに登った。
言ってみれば、「何をアリとして、何をナシにするか」の境界が異なっているわけだ。

自身を更新し、克服のプロセスを重ねていくところに、僕はクライミングの魅力を感じている。
その意味で、グレードを更新することにも、リスクの伴うクライミングを乗り切ることにも、同じように面白さを見出してきた。
そして今、肉体的な更新に加えて、精神的、あるいは価値観そのものの更新というものがあることが段々と分かってきた。
判官贔屓は、決してハードなルートではないし、綺麗に掃除されれば危ないこともない。
しかしその初登のプロセスには、この遊びを続けていく上で重要な意味があった。

一方、豊穣は判官贔屓に比べて、スタイル的にはあまり突っ込んだことはしていない。
掃除などの必要な準備を整えてから登るというやり方は、これまで瑞牆でやってきたことと何も変わらない。
しかし、たとえラペルで掃除し、プロテクションやムーヴを確認することが妥協に違いないとしても、
こうしてナチュラルプロテクションでフェースを登るクライミングの持つ価値が、僕の中で減ることはない。
それは、ひとつには、「手間をかけてもより良く登りたい」という願いをずっと持っているからだ。
だから僕は、判官贔屓と豊穣、どちらのルートも自分の中では結構気に入っている。

豊穣を登った後、荷物を片付けながら大ザルと話した。
「この開拓の仕方は、1本を登るのに時間がかかるね。でもその分、長く楽しめるとも言えるかもしれない」
大ザルは一言、「そうだね」と言った。
「ボルトを打って開拓すると、すぐに終わってしまう。ある人はそうしてクライミングを辞めていった」とも言っていた。

今回登った2本のルートが、「必要なルート」かどうかは、正直なところ分からない。
そもそも「必要なルート」というもの自体があるのかどうかも、僕には疑問だ。
ただ、はっきりと分かることは、僕が登りたいのは工業製品のように量産されるものではない。
自然の中での偶発性を享受し、自身の中に芽生える何かを温められる、そういうものだ。
スピードを上げることは、必ずしも美徳ではない。
ゆっくりと登ることで見えてくる景色もあるのだろう。

2025年2月19日水曜日

Dawn Wall 2025 - Process and Story introduction

Sebastein Bertheというクライマーをご存じだろうか。

Sebastienはベルギーの若手クライマー(といっても30代)で、
ヨセミテでのビッグウォールやスポートでの8c+のフラッシュ、
James Pearson初登のVon Voyage(E12)の再登などで有名なクライマーだ。

2月7日、そのSebastienがヨセミテでDawn Wallを登ったというニュースが飛び込んできた。
2年前に彼が同じくベルギーのSiebe Vanheeとトライしたことは知っていたので、
「ついに登ったのか!」という気持ちで彼のInstagramを見ていた。
彼はプロクライマーとして活躍する一方、環境問題や社会問題にもアンテナが高く、
海外への渡航に飛行機を使わず、船で何週間もかけて海を渡るなど、積極的な活動を続ける人物でもある。
その彼がDawn Wallの完登を報告する2月7日の投稿には、クライミングとはまた異なる強いメッセージが書かれていた。

以前、El Capitanに中腹にあるテラスから、パレスチナ人道危機に抗議する横断幕を掲げたクライマーがいた、という話題を目にしたことがある。
それもまたInstagramに流れていた投稿のひとつだった。
その投稿に対して、「クライミングに政治を持ち込むな」という批判的なコメントが寄せられていたことが、今も記憶に残っている。

僕自身も、クライミング中に突然政治的な話題を投げかけられたら、面食らうかもしれないと思う。
「楽しく登っているのに、どうしてここでシリアスな話を」と感じてしまうかもしれない。
さらには、自ら積極的にそうした話ができるほど知識や情報を持っているわけでもないし、
そこに切り込んでいく聡明さや勇気も、残念ながら持ち合わせてこなかった。
つまりは、そういう人間だったということだろう。

しかしこのSebastienの投稿を読んだとき、「これはもっと多くの人が読むべきものだ」と直感した。
これは、「〇月×日、Sebastien BertheがDawn Wallを第3登した」という単純すぎるニュースとして処理されるべきものではない。
プロとしての立場も顧みず、むしろその立場すら利用して、世界に訴えかけようとしている彼の熱意が、
ただの数字の羅列に矮小化されてしまうのはあまりにも悲しいことだ。
そこでSebastienに直接連絡をし、「この投稿を翻訳してシェアしてもいいか」と頼んでみた。
すると彼は、面識もなにもない日本人の申し出を快く受け入れてくれた。
それどころか、10ページの記事まで送ってくれた。「これも使ってくれていいよ」という。

これはもう、やるしかない。


ということで、Sebastienが送ってくれた記事を翻訳してみました。
そもそもこんな個人のブログに載せたところで、どれだけの人の目に留まるのかは分からない。
それでも、何かひとつでもポジティブなものが残れば、と願っている。

《注意》
・全文、僕の拙訳のため、誤訳や読みにくい個所があるかもしれませんが、ご了承ください。
・文中のグレードはすべてデシマルのみに統一しています。
・個人名とルート名、ピッチの名前については、カタカナで表記するのが困難なものもあるため、アルファベット表記のみとしました。
・写真はないので、Part 1、Part 2それぞれの冒頭にあるリンクからUKClimbingに掲載されている記事(英文)をご覧ください。

Dawn Wall 2025 - Process and Story Part 1

UKClimbingの記事(英文)はこちら

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ヨセミテバレーに戻ってきて5日が経ち、この文を書いている今でも、手足は激しく痛み続けている。この5日間、私はこの痛みをずっと味わっていると言っていい。そしてそれこそが、壁の中で過ごした2週間の戦いの証になっている。

131日金曜日、人生で最も過酷な2週間と一晩の旅が終わった。Soline Kentzelと私がトップアウトしたのは、雨が降りだす直前だった。雨はそれから1週間は続く予報で、そうすると壁の上部のピッチはずぶ濡れになり、当分は登れなくなってしまっただろう。最後の12ピッチを夜通しかけて登った後で、私の指先と両足は血だらけだった。
この2週間、様々な理由で、何度となく敗退しかけた。それに最後の数時間は猛烈な痛みとの戦いで、肉体的にも精神的にも間違いなく限界を迎えかけていた。
本当にギリギリだった。結果がどちらに転んでもおかしくなかった。
壁で過ごした日々、私は最高の登りをしたと思うし、全力で闘った。Dawn Wallでの14日間の冒険は終わった。それは私の夢であり、最高の成果であり、クライミング人生におけるマイルストーンとなった。誇らしさ以上の感情が、今押し寄せている。
 

到着と準備

2024910日、私たちを乗せたアメリカ行きの船(大型の双胴船)が地中海へと出港した。フランスを、そしてヨーロッパを、少なくとも数か月は離れることになる。最高に嬉しかった!これだけ長い旅に出るのは、初めて大西洋を横断したCaptains on El Cap(注:2022年、Siebe Vanheeとの遠征の様子を追ったドキュメンタリー)のとき以来だった。その時は10か月間、7人の友人と共に、飛行機を使わずに帆船で大西洋を越え、ヨセミテでクライミングをした。

Soline KentzelMathieu MiquelAidan RobertsGuillaume Lion、そして私は、フランスで造られて太平洋のタヒチへ送られる予定だったこの船に、どうにか乗り込んだ。そのことについて心中は複雑だったけれど、私たちが目指すことは変わらなかった。それは環境のために、そしてこの社会のために正しくありたいという信念から、飛行機を使わずにアメリカへ、そしてヨセミテへとたどり着くこと。私たちがとった旅の方法と考えについて、詳しくは私たちのインスタグラムの投稿か、SolineGrimperに書いた記事、もしくはAidan RobertsSubstack(注:メールマガジンを発行する配信プラットフォーム)を読んでほしい。Solinevlogの第1回には、船の上でのトレーニングについても取り上げられている。個人的には、この二度目の旅の目標ははっきりしていた。伝説のDawn Wallにもう一度挑み、2年前に果たせなかった完登を目指すことだ(前回のDawn Wallについては、PlanetmountainClimbingMagazineを読んでほしい)。
 
私たちは船の上でのトレーニング方法を皆で考え、指とつま先を鍛えて、厳しい体作りを続けた。海を渡る間、私の心の中にはずっとDawn Wallがあり、アメリカ大陸に着くまでに体を仕上げられるように、できることは何でもやった。それは前回の旅での経験をもってしても、とても大きな挑戦だった。
 
ジブラルタルからカナリア諸島を経て、カーボベルデ、マルティニーク、そしてパナマ!フランスを出発して50日、私たちはついにアメリカ大陸に降り立った(私のインスタグラムに投稿あり)。チームとしては、これだけでも素晴らしいことを成し遂げたと言えるけれど、まだまだ先の道のりは長く、ここから中央アメリカとメキシコを公共交通機関で横断しなければならなかった。すぐに3週間のバスの旅が始まった。私たちは息をのむほど素晴らしい国々とその土地ごとの文化に出会い、出来るときはクライミングをし、そしてトレーニングを続けていった。
 
11月の終わり、およそ2か月半の旅の末に、Solineと私はついに待ちに待ったヨセミテバレーにたどり着いた。その間には数えきれないほどの冒険があった。二人ともモチベーションに溢れ、これだけの旅を終えた後にしては体の調子も悪くなかった。
 
ヨセミテではConner Hersonが首を長くして私を待っていた。この才能あふれるアメリカ人青年は、信じられないほどのエネルギーを放ち、快活で、それでいて地に足の着いた人物で、この地域にまだ登るものがあるのかというくらいに強いクライマーだ。この数年間の彼の記録は凄まじく、特にトラッドとビッグウォールについては圧倒的だった。
私とDawn Wallにトライすることになり、彼は興奮していた。そんな素晴らしいパートナーを得たことは光栄だったし、恵まれていたと思う。このルートに一人でトライすることは、途轍もなく困難だからだ。ヨセミテに着いた初日、私たちはすぐ登りに出かけた。1日だけ壁に入り、数ピッチにトライして、夜にはバレーに戻るというプランだった。旅の疲れを少しだけ感じていたものの、私はフォローでConnerについていき、すぐにクライミングに馴染んでいった。ロープをフィックスし、ムーヴを作り直し、新しい発見を得る。それを何ピッチも何ピッチも続けた。
 
2日登って1日レスト」というリズムに従いながら、数日の奮闘の後、私たちは14ピッチ目にいた。Dawn Wallで最初の5.14dのピッチだ。私を含め、ほとんどのクライマーにとってはこのピッチが核心となる(2年前はこのピッチを登れず敗退した)。
私は寝ても覚めても、それまでトライしたピッチをどう登るか、それに憑りつかれていた。どのクライミングシューズを使うのがいいか?あのムーヴではどういうポジションに入ればいいのか?指の皮をどうもたせればいいだろう?プッシュ(注:ビッグウォールを地面から繋げてトライすること)のときにはどんな作戦を採る?どうしたら全ピッチのプロテクションと、ホールドとフットホールドを覚えられるだろうか?
 
何日もトライを続けるにつれて、パズルのピースがはまり始めた。核心のムーヴの感触も次第に良くなってきた(2年前に跳ね返された14ピッチ目の最後の核心も、やっとムーヴが出来上がった)。
 
この34週間で(今回の遠征ではトータルで15日間をワークに費やした)、何百メートルとフィックスロープを登り、荷上げをし、核心のムーヴを探り、ロープを伸ばした。Dawn Wallは全く変わっていなかった。高い高い壁として立ちはだかり、このプロセスのすべてが過酷だった。クライミング、南向きの壁特有の猛烈な寒暖差、どこまでも続く強い傾斜、不安定なプロテクション、壁の上から降ってくる氷
 
ヨセミテに着いて1か月が経ち、私は疲れ切っていた。全身の筋力は明らかに落ちてきていた。それはConnerも同じだったようで、さらに1月の初めには工学を学ぶ学生生活に戻らなければいけなかった。そこで私は、年末にかけて一度Dawn Wallから離れることに決めた。それから1週間はビショップでボルダリングをして過ごし、さらにその後2週間は完全にレストに充てた。
 
正直なところ、このときはまだ、プッシュの用意が整っているとは思えなかった。厳しいセクションはすべて解決できていたけれど、それでもやることは山のようにあると感じていた。特に最大の核心部を抜けた後が気がかりだった。その先に続くピッチごとの内容も、ムーヴも、その感触も、2年前の記憶が薄れかけていたからだ。
 
しかし、プッシュに挑むチャンスがやってきた。1月に乾燥した好天周期がくるという予報が出た。そしてSolineがビレイヤーを申し出てくれた。彼女はクライミングパートナーが見つからず、ヨセミテで時間を持て余していたのだった。自分の用意が完璧でなかろうが、考えれば考えるほど、この機会を逃してはいけないという気がしてきた。もしこれで完登できなくても、春の間はまたトライするチャンスが残っている。それにプッシュこそが、Dawn Wallを登りきるその日に向けた最高の用意になるのではないか。
 
よし、これで決まりだ!プッシュに臨もう。時期は1月の半ばだ。
 
思考と躊躇いで頭を使った後は、プッシュに必要な物資を用意しなければいけない。
 
112日、私は単身、二人が丸2週間生活できるだけの水、食料、ギアを荷上げする作業に取り掛かった。目指すのは地上400メートルにあるポータレッジキャンプだ。荷物は全部でなんと130キロ!ソロでの荷上げシステムに慣れていなかったこともあって、丸一日かけて作業を終えた私はエネルギーが完全に切れてしまっていた。
運の悪いことに、この荷上げのせいで私は腰を痛めてしまい、翌日からしばらくは少し動くだけでも痛みに襲われた。クライミングのことを考えられるようになるまで、結局4日間完全にレストすることになった。
 

The PUSH

Dawn Wallのプッシュは14日間に及び(そのうち5日間はレスト)、すべてのピッチを私が登った(全32ピッチ、うち19ピッチが5.13a以上)。すべてのピッチを下から順にリードで、ギアは登りながらセットし(バードビークやリベットボルトのように設置にハンマーが必要なものは除く)、ボルトが打たれているピッチはクイックドローがかかった状態で登った。途中で地上には戻らず、食べ物や飲み物の供給といったサポートは受けていない
準備までの様子はVictoria Kohner-Flanaganが記録し、またプッシュの様子はAlex EggermontChris Nathalieがほぼすべて映像と写真に収められてくれた。写真等を見たいという人は、彼らに連絡を取ってみてほしい。映像作品の制作も現在進行中だ。
 
117日金曜日、午前5時、Dawn Wallの最初のピッチに取り付いた。ビレイとサポートはフランス人クライマーのSoline Kentzel、そしてAlex Eggermontがカメラを持って同行した。
 

Day 116ピッチ目、そして7ピッチ目のトライ(最後のムーヴで失敗)

午前5時に地面を離れた。気が張っていたけれど、同時にモチベーションと興奮でいっぱいだった!
午前中のうちに5ピッチ目までを登った。3ピッチ目は長く厳しいピッチで、しっかり5.13cある。最初のトライはアンカーの直下でスリップしてしまい、2トライ目で登った。
6ピッチ目の下のレッジで23時間レスト。壁が日陰になってすぐ、6ピッチ目を登った。
その後は、7ピッチ目のムーヴをおさらいし、ホールドにティックマークを付けた。ここはホールドが滑りやすく、テクニカルで、不確定要素の多い5.14aだ。
1回目のトライをしたのは日が暮れる直前だった。核心を越え、すべての悪いセクションをこなしたものの、プロテクションをいくつかセットせずに登ってしまい、さらに難しいパートの最後にあるボルトもスキップしてしまった。気づけば、自分の墜落を止めてくれるものは錆びたバードビークのみ。そして体の疲れも感じていた。
ここで落ちるのはまずい。20メートル近くは落ち、そのうえギアがはじけ飛ぶかもしれない。完全に限界だった。リスクがあまりにも高すぎたし、腰もまた痛み始めていた。そして、私は苦渋の決断でクイックドローを掴んだ。やれやれ、これで安全だ。それでも恐ろしい量のアドレナリンが出た。初日の終わりにしては強烈だった。辺りはもう暗いので、明日もう一度トライしよう。
 

Day 279ピッチ目

壁が日陰になるのを待ってから登り始めた。午後230分、7ピッチ目にトライした。
すんなりと核心を越えたものの、最後のセクションで指先とつま先が疲れてきて、必死になってアンカーにたどり着いた!よし、これで最初の5.14は終わった。残るはあとたった6つだ、ハハッ!
次のピッチはボルトが打たれた短くボルダリーな5.13d。テクニカルで指への負荷が大きいピッチだ。
1トライ目はスリップして落ちた。2トライ目も、手が弾かれて落ちてしまった。3トライ目はヒールフックが抜けて落ちた。4トライ目はムーヴを間違えた。おっと、長い戦いになってきた。
ラッキーなことに、最後にはベストなムーヴが見つかり、次のトライで登ることができた(5トライ目か6トライ目)。
この時には既に真っ暗だったけれど、9ピッチ目までは登らなければいけなかった。ヘッドランプを点け、少しフィジカル要素の強い5.13cのトラバースを登り始めた。このピッチは手早く、スムーズに片付けられた。
 

Day 3:ポータレッジキャンプでレスト

厳しい2日間を終えて、この先に特にハードで厳しいピッチが待っていることを考え、この日は一日レストすることに決めた。
この日の目標は指の皮を回復させ、水分と栄養をしっかり摂り、出来る限り日陰で過ごすことだった(寝袋をポータレッジの日よけに使った)。
 

Day 41013ピッチ目

ルートの完登を左右する重要な一日だった。この日の4ピッチはエネルギーを使いすぎず速く切り抜けたいと思っていた。
10ピッチ目(5.14a/b)にギアを掛けながらウォーミングアップをして、最初のトライでこれを登った。核心ではかなり力を使った。
夕暮れのすぐ後、11ピッチ目を登った。30分の休憩を挟み、12ピッチ目(5.14b)も最初のトライで登った。
続く13ピッチ目(5.13b)も、ムーヴを少しだけ練習した後、やはり最初のトライで登ることができた。
この日のクライミングは完璧に終わった。そしていよいよ、最大の核心である14ピッチ目の下に着いた!
もうこの夜のうちにトライしてしまおうかと思うほど気持ちは燃えていたし、アドレナリンも全開だった。
 

Day 5:核心ピッチのトライに備えてレスト

疲れは特別感じなかったけれど、核心ピッチを前に、出来る限り体をフレッシュにしておくことが大切だ。
 

Day 614ピッチ目(5.14d

1月にしては暖かい日だった。核心が3つあるこのピッチでは、気温が重要なファクターになることは分かっていた。
そこで私は、日が昇り、壁が照らし出されるよりも早い午前5時から登り始めることにした。
530分、ムーヴを確認してホールドにチョークをつけなおすためにまずは1トライ。こうしないと、ホールドがそこにあることすら分からなくなる。
感触はとても良かった。
最初のレッドポイント・トライ。空を飛んでいるような感覚で、すべてが易しく感じ、登り始めて数分で私は最後の核心に差し掛かっていた。これなら登れる!左への大きなムーヴを繰り出す。しかし最後のホールドに手が届いたところで、私は滑り落ちた。
苛立ちの籠った叫び声が、体を突き抜けていった。
20分レストして集中しなおし、日が差す前にもう一度トライ。
2回目も同じだった。感触は驚くほど良く、最後の核心に差し掛かって、またスリップした。
太陽が昇り、今日はこれで終わりだ
惜しい感触はあった。しかし、次のトライでもまたスリップするかもしれないという悪いイメージが湧いてきてしまった。
ポータレッジに戻ると、さらにもうひとつの問題が浮上した。腰が耐えられないくらいに痛み始めた。
 

Day 7 and 8:レスト

続けてもう1日登る予定でいたが、起きてすぐにそれは無理だと分かった。腰が痛すぎる。
このプッシュで本当に完登することができるのか、疑問が湧いてくる。
ゆっくりと優しくストレッチをすると痛みは和らいだが、完全には治まらなかった。
 

Day 914ピッチ目

目が覚めると、腰の痛みはましになっていた。治ってはいないものの、イブプロフェンを飲めばどうにかなりそうだ。この日は曇りで、気温も低く、つまり完璧なコンディションだった。私は最後の核心のムーヴを確認しながらウォーミングアップをし、なぜここでスリップするのかを考えた。そしてどうやらその答えが見えた。成否を分けるのは、足の置き方だった。
1トライ目は2つ目の核心でスリップ。
234トライ目は1つ目の核心でスリップした。
腰が痛くなってきた。タイトなシューズに押し込まれたつま先は冷え切り、温めるのに苦労した。ありがたいことに、最高のビレイヤーSolineが、トライの合間に私のつま先を彼女の体に当て、温めてくれた。
5トライ目、1つ目の核心を越えるも2つ目で落ちた。
6、7、89トライ目は、また1つ目の核心でスリップした。
私は半ば諦めかけていた。
時刻は430分、そして5時には雪が降るという予報だった。残るはあと1トライ。「できる」と自分に言い聞かせた。
10トライ目。スムーズとは言えない登りだった。しかし1つ目の核心を越え、2つ目も抜けた。3つ目の核心の手前にあるレストポイントに着くと、雪が降り始めた。シューズと指先が濡れ始める。もう駄目だ、と思った。しかし、失うものは何もない。私は突っ込んだ。そして、問題の遠い一手が止まった。足は滑っていない。最後のガバを掴む。まだ落ちていない。やった!14ピッチ目を登った!しかも雪の降る中で!
ただただ、この上なく幸せだった。
ポータレッジに戻ると、荒々しい吹雪がやってきた。それでも私は恍惚としていた。


つづく

Dawn Wall 2025 - Process and Story Part 2

 UKClimbingの記事(英文)はこちら

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Day 1015ピッチ目

前日の長い戦いを経ても、いつでも登れるという気持ちだった。私はモチベーションで満ち満ちていた。
気が逸りすぎていたせいで、一晩中まったく眠れなかった。腰はまだ痛んだけれど、昨日一日で悪化した様子はなかった。
この日も曇りで、コンディションは最高だった。
15ピッチ目は、Dawn Wall14ピッチ目に次ぐ大きな核心だ。2015年の初登時、Kevin Jorgesonが行き詰ったのがこのピッチだ。グレードは5.14c/d。個人的には5.14cというところだが、非常にテクニカルで指への負担が大きい。長いアプローチ部分が5.13dで、その後のミスの許されないボルダームーヴでは足と指先の極限のコントロールが求められる。
初めのトライでムーヴを確認し、ホールドにチョークをつける。それから本気のトライが始まる。最初のレッドポイント・トライで、あっという間に最後の核心までたどり着いた。できるという感触があった。しかし「くそっ!」思いもよらないところでスリップした。
ビレイ点まで戻り、20分のレストを挟む。
2トライ目は、出だしでミスをして落ちてしまった。
畜生。頭の中では疑念が湧き上がり、14ピッチ目のようにまた何度もスリップするのではないかと思えてきた。
しかしどうにか気持ちを切らさず、起きたことよりも自分がやるべきことに集中した。
次のトライで私は登り切った!核心ではホールドを強すぎるくらいに握り込み、最後の数手に意識を集中した。これが上手くいった!やった!!!これでこのルートの完登が現実味を帯びてきた。とにかく興奮した!
 
まだ日が沈む前で、自分でも力が残っていると感じたので、そのまま16ピッチ目にあたるthe Loop Pitch(有名なダブルダイノを迂回するライン、グレードは5.14a)にトライ。ここは恐らくDawn Wallで最もユニークなピッチで、約20メートルのダウンクライムで小さなレッジに下り立ち、左への易しいトラバースをこなして、そこからは厳しい持久系のクライミング(滑りやすくテクニカルなレイバック)が続く。
ここまで登ったピッチに比べて、この16ピッチ目はあまり入念にリハーサルをしていなかった。取り付いてすぐに、まだ繋げて登るには詰めが足りないことが分かった。私は45分かけてムーヴを作り直した。それから1回トライしたものの、ダウンクライムのボルダーセクションで落ちてしまった。このパートは感覚がなかなか掴めない。これだけ必死になってクライムダウンしなければならないというのは、とても妙な気分だ。
私は闇雲に何度もトライを重ね、2本の指から血が出るまで続けたものの、このピッチを登ることはできなかった。指の皮は完全に擦り切れていた。
 

Day 11:レスト

レストをする予定ではなかったが、現実に目を向けると、この2日で体は疲れ切り、指の皮は酷い有様だ。頂上を目指したい気持ちが強くても、ここは休むのが最も賢明だ。
良かったことといえば、腰の調子が安定したことだ。2日間のクライミングでも悪化していなかった。
 

Day 1216ピッチ目

タフな一日が待っていた。まずは朝一番で悪いニュースが入った。天気予報によると、この先3日だけ好天が続き、その後は1週間のストームが続くという。
雨が降り出す前にルートを登り切らなければ、壁の上部にあるピッチは濡れて登れなくなってしまう。
途轍もない重圧が圧し掛かってきた。今回のプッシュは、望んでいたほどスムーズに運んではくれないらしい。それに加えて、この先に続く高難度のピッチはほとんどリハーサルをしていなかったので、手間取らずに登れる確証はなかった。
この日は早めにクライミングを開始した。目標は16ピッチ目と17ピッチ目を今日中に登ること。雨が降るまでの3日間で完登を目指すなら、それが必須だった。
体には力が漲っていたが、私はダウンクライムで落ち続けた。何度トライしても、本当に小さなミスひとつでバランスを崩してしまう。壁に日が当たる頃になっても、私はまだダウンクライムを越えられずにいた。
これで駄目なら日が陰るのを待とうと決めた最後のトライで、どうにかこうにかダウンクライムを下り切った。下った先には小さなレッジがあり、シューズを脱ぐことができるくらいの完全なレストポイントになっている。しかし、長居はできない。日差しはすでに強くなっている。暑くなりすぎる前にこのピッチを終わらせなければならない。
調子よく登っていき、登りの核心を越えた。しかし、最後のセクションでスリップしてしまった。
この時点で、私は厳しい決断を強いられた。雨の前にDawn Wallを登り切るには、ここで止まるわけにはいかない。そのために私は、自分の価値基準を少しだけ曲げることになった。ダウンクライムをやり直すことはせず、下にあるこのレッジからスタートし、the Loop Pitch2ピッチに分けて(5.14a2つの5.13dに分割して)登ることに決めた。10分間レストし、再び登り始める。数分後、次のアンカーにたどり着いた。Loop Pitchはこれで終わった!スタイルを妥協したことには煮え切らない思いがあるが、the Loop Pitchのあのレッジがそこまでの10ピッチの中で一番快適なレストだということを考えれば、筋は通っている。
17ピッチ目を登りだす前に、数時間のレストを挟んだ。これが最後の5.14aだ。この日の午後、私は体調が悪く、吐き気と頭痛がした。日射病だろうか?それともストレスか?壁が日陰になった頃、私は登り始めた。初めのボルダーをこなし、最後のセクションに入る。10手の厳しいレイバックだ。このピッチはほとんどのプロテクションがエイドギアで、登っていて恐ろしい。最初のトライで、落ちた時にギアがひとつ弾け飛んだものの、その下のバードビークで止まった。234トライ目は最後の最後、あと2手というところで落ちた。ここで日が暮れ、4本の指からは血が出ていた(他の指の状態も思わしくなかった)。この日のうちに登ることは諦め、ポータレッジに戻った私は打ちひしがれていた。全力を尽くしたが、結果には繋がらなかった。
これで、雨が降る前に登り切るのはほぼ不可能になった。そして私の心身の状態も、崩れ始めていた。
 

Day 1317181920ピッチ目

天気予報が悪い方向へと変わった。残るハードな5ピッチと易しい11ピッチを登るのに残された時間は、2日と1晩のみ。不安が強まり、重圧に押しつぶされそうだ。私は間に合わなかったときのプランを練り始めていた。もし残りの時間で登れなければ、ポータレッジに籠ってストームをやり過ごし、壁の上部がどうにかして登れる状態であることを祈るしかない。しかし、それはあまりにも大きなギャンブルだ。
 
この日、Erik Sloanがビレイを交代し、Solineはやっと完全に休むことができた。Chris Nathalieはまだ私たちに同行し、映像と写真を撮り続けていた。
 
午後になって日が陰り、私は登り始めた。そしてなんと、この半日は凄まじかった!
 
17ピッチ目:レッドポイント!流れるようにスムーズな登りだった。血が出ている指は6本になった。
18ピッチ目(5.13c/d):レッドポイント!素早く、少ないダメージで抜けた。
19ピッチ目(5.13b):短時間ムーヴをチェックした後、レッドポイント。
ここで夜になった。しかし私のモチベーションは最高潮だった。このまま20ピッチ目(5.13c/d)を登ることができれば、時間内の完登へ大きく近づく。1トライ目、核心の繊細なバランスムーヴで落ちた。ここは目に見えないほど小さなアンダーホールドがあり、親指のプッシュがどうにか効く。2回目のトライで力を振り絞り、レッドポイント!キャンプへと戻る私は、希望に満ちていた。すべてが終わったわけではないけれど、可能性は間違いなくある。残るは、とてもタフなピッチがひとつ(21ピッチ目、5.13d)と、比較的易しいピッチが115.11+5.13a)だ。
 

Day and Night 1421ピッチ目→32ピッチ目

私はこの数日間、ストレスと興奮からあまり眠れていなかった。そしてこの夜も例外ではなかった。
運命の1日がやってきた。130日、頂上へ向けて最後の戦いに挑む。次の朝には雨が降るという予報だった。キャンプを畳み、持って上がるバッグの他にポータレッジとフライも用意した。何かあった時に数日間の雨をやり過ごせるように、だ。
まずは早朝に、21ピッチ目でウォーミングアップをした。壁が陰になってすぐ、繋げてトライ。ものすごく緊張していたが、私の意志は固かった。調子よく正確な登りで、ゆっくりと時間を使った。ピッチ終盤の核心で、クリンプを強すぎるくらいに握り込んだ。指先が引き裂けそうに感じたくらいだった。最後のフィンガーロックを叩き込み、喜びの雄叫び上げながらレッジにマントルを返した!これで、Dawn Wallのハードなピッチはすべて終わった。信じられないくらいの喜びと誇らしさが湧いてきた。
しかし残念なことに、それを祝っている時間はなかった。時刻は午後5時。夜が明けるまでに、冒険的で決して簡単ではない11ピッチを登らなければならない。22ピッチ目は長く被ったフィンガークラックで、最後のパートで落ちたためもう一度登ることになった。このピッチで私は力を出し切ってしまった。続く数ピッチはあえてゆっくりと登り、回復に努めた。ここは2年前にSiebe Vanheeと一度登ったことがあるだけだったので、夜の闇の中でルート取りを探っていくのは骨が折れた。そして何か所か、リスクが高く恐ろしいセクションもあった。プロテクションが取れないセクションやオフウィズス、軽い音のするフレークを掴んでの長いトラバース、脆いホールド、ぐらつくピトン、そして荷上げでスタックするホールバッグ。思いもよらなかった冒険が続いていった。
私はひどく気分が悪くなってきた。物を食べると吐きそうになり、体は芯まで疲れ果てていた。どのピッチも必死のクライミングになり、体のあちこちが擦りむけた。Solineはとても親身に私を助けてくれて、頼もしかった。恐ろしいトラバースでも難なくフォローし、そしてビレイ点に着くたびに私を励まして背中を押してくれた。これ以上ない、大きな支えだった。
 
午前2時、29ピッチ目のShip Bowに着いた。あと4ピッチというところで、私は完全に疲れ切っていた。少しでも回復できるよう、私たちはここで1時間半の休憩をとった。しかし私は、食べることも眠ることもできなかった。午前4時、私たちは再び登り始めた。
 
この次のオフウィズス(5.11d)の最後で一度落ちた。私の拙いテクニックでは限界だった。次のトライでレイバックに切り替えると、簡単に抜けることができた。残るはあと3ピッチ。どのピッチも全力で登ったけれど、そしてビレイ点では必ず意識が飛びそうになり、吐き気を催した。
 
最後から2番目のピッチで夜が明け始めた。空は曇りで、まだ雨は降ってこなかった。Chris Nathalieが頂上で最後の瞬間をカメラに収めようと待っている。31ピッチ目は5.13aに始まり、続く5.12aのダイヒードラルはガラスのように滑りやすく、ここでも力を振り絞ることになった。そして最終ピッチ(32ピッチ目、5.12b)を手早く、あっという間に登り、マントルを返して頂上に立ったのは午前8時だった。勝った!
 
私たちは、忘れられない過酷な一夜を生き抜いた。不思議な気分だった。あまりに疲れていたせいで、戦いが終わったということ、あのDawn Wallが足下になったということが今ひとつ実感できなかった。すべてを理解して感謝の情が湧いてくるまでに、数時間かかった。もしかすると、もっと長くかかったかもしれない。
 
下降を始める前に、私たちはこの瞬間にじっくり浸り、記念撮影もした。そのうちの一枚は、地面からずっと携えてきた旗を掲げて撮った。そこに書いてあるのは、今なによりも大切なメッセージ、「El Cap climbers against Fascism(ファシズムに抗うエルキャプ・クライマー)」という文字だ。
 
私はこのクライミングを、ファシストへの反対運動のために捧げたい!
 
そう、これは単なるクライミングで、スポーツにおける成果の一つでしかない。しかし、私にとっては間違いなく重要なものだ。一人のクライマーとして、人生で最も重要だと言っていいかもしれない。そして自分のしたことが、クライミング界に影響を与えるだろうことも分かっている。
だからこそ私はDawn Wallを、この問題提起のために活かしたい。
沈黙は共謀に等しい。抗うことこそが私たちの使命だ。
暗い未来を予感させる出来事が、ベルギー、フランス、ひいてはヨーロッパ全域、そしてアメリカで今まさに起きている。いずれ誰もがその結果に直面することになるはずで、それはクライミングというある種特別な世界に居ても変わらないだろう。ファシズムは、憎しみに満ちたレトリックだけではなく、警察による暴力や人種差別、そして女性や性的マイノリティの権利の侵害という形でも、私たちの前に現れてくる。ファシズムに抵抗することは、あらゆる抑圧に抗うことだ。皆で議論し、団結し、抗議し、抵抗しよう。
このファシズムの台頭に苦しんでいる、あるいは将来苦しむことになるすべての人のことを私は想い、そして彼らの味方になりたいと思う。
 

Thank you!

Dawn Wallのような大きなプロジェクトに、一人で立ち向かうことは絶対にできない。たくさんの人の支えがあってのことだった。それに、本当に素晴らしい友人たちがこの冒険に立ち合って力を貸してくれた。私は本当に幸運だったと思う。
 
まず誰よりもSoline Kentzelに。生活、クライミング、そして心のサポートを、壁の中での日々と普段の暮らしのすべてにおいてしてくれた。気が遠くなるほど長時間のビレイ、昼も夜も寒さの中でハーネスにぶら下がって耐えてくれたことに、感謝しているよ。
 
Conner Hersonに。セッションした時間、心地いい雰囲気、そしてモチベーションを分かち合ったこのシーズンをありがとう!
 
Siebe Vaheeに。2年前、一緒に登った時のことすべてに感謝!
 
Victoria Kohner-FlanaganAlex Eggermont、そしてChris Nathalieに。大切な瞬間をカメラに収めてくれたこと、そして壁の中で共に過ごした素晴らしい時間に、感謝。
 
Tommy Caldwellに。貴方がこのルートに捧げたものの大きさを思うと、感謝と畏敬の念でいっぱいになる。ルートの質の高さ、スタイル、形状やホールドひとつひとつに向けられた眼差し。数えきれないほどの時間をあの壁で費やし、再登しなければ、その努力の凄まじさは到底理解できなかった。この先、Dawn Wallに並ぶだけの高い質と難しさを兼ね備えたルートが初登されるには、長い時間がかかるだろうと思う。
 
ヨセミテのローカルたちに。協力、応援、手厚いもてなし、貸してもらったギア、サポート、ビレイ、そしてそこに漂う素晴らしい空気に感謝。Erik SloanRachel JacobsRyan SheridanCamilla SatteYolan PacoLance…
 
今シーズンヨセミテで会ったクライマーたちに。LauraOlivierOphélieJacobBrownwynKaraBrent…。
 
Dörte Pietronに。クライミングシューズの開発とテストに感謝。
 
Daniel Gebelに。ギアと技術的なアドバイス、そしてサポートをありがとう!
 
Edelridチームに。いつも最高のバイブスをありがとう!
 
Chris EdmansResole Gripworksに。素晴らしいリソールと職人技に感謝!
 
我らがキャプテンCédric Girardiに。船旅をありがとう。
 
Guillaume LionMathieu MiquelAidan Roberts、そしてDream Boraのチームに!
 
いつも変わらず支えてくれる両親に。
 
The Cap Sur El Capチーム、そして励まし、アドバイス、そしてサポートのメッセージを送ってくれた世界中の友人たちに。
 
そしてスポンサーであるEdelridLe Campe de BaseScarpaに。


fin

2025年2月2日日曜日

楯ヶ崎に寄り道

1月8日(水) 移動日
赤穂で泊まった海辺のキャンプ場は、静かで良い場所だった。
駐車料金だけでテントまで張れるのは非常にありがたい。
ゆったりコーヒーを淹れ、ぼちぼち移動開始。またひたすら下道で尾鷲を目指した。

道中、明石の街に寄り道し、明石焼きを食べた。
他には、道の駅があったらとにかく入ってみた。北海道に行った時もそんなことをしていた気がする。
大阪を抜ける間際に見つけた、千早赤阪の道の駅が「日本一かわいい道の駅」を自称していて面白かった。
こじんまりとして手作り感が溢れ、自称するだけあって非常に良かった。

奈良に入り、飛鳥で風呂と夕食を済ませ、深い山中に入っていくと雪道に。
飛び出してきたタヌキを避けたりしながらひた走り、尾鷲の三木里に着いたのは23時過ぎだった。


1月9日(木) 楯ヶ崎 Yosemiteエリア
起きるとテントが凍っていた。日当たりがいい場所にテントを張りなおしてから朝食、のちに出発。
神須ノ鼻には来たことがあったけれど、楯ヶ崎は初めて。
この日から強い寒波が来ていたので、日当たりがいいらしいYosemiteエリアに行くことにした。
道路からガードレールを乗り越え、少し迷いながらエリアへ下りていくと、貸し切りだった。
初めにいかにも快適そうなStay Gold(5.10a)を登り、続けてすぐ右のMy Way(5.11a)もOS。どちらも気持ちよい。
ここの岩はクラックのほかにポケットが多く開いていて、いかにもな柱状節理の神須ノ鼻とは少し質の違いを感じる。
とにかく日差しが強く、地形のおかげか風は弱く、非常に暖かかった。寒波だというのにTシャツで登れるくらい。

3本目に看板ルートらしい果てなき航路(5.12a)をやってみる。
My Way等に比べると序盤からジャムもプロテクションも決めにくく、結構パンプする。
右に抜ける5.11cと分かれ、左のフェースに出ていくところからプロテクションが一気に小さくなり、かなり時間をかけてOSした。
核心のプロテクションがひたすら#0.1と#0.2で痺れる。
My Wayの終了点から続くレッジに一度乗れてしまうのが少し残念だけれど、看板と言うにふさわしいルートだった。
最後にもう一本、ハートカクテル(5.12b)もOS。
こちらは先ほどから一転して短くボルダリー。得意なサイズだからか、果てなき航路よりも易しく感じた。
そうして登っている間、My Wayと果てなき航路の間の壁にある切れぎれのクラックが目に入って、気になっていた。
クラックが途切れている部分にはちょうどよくポケットがあり、プロテクションも入りそうに見えた。
が、流石に日が暮れてきたのでこの日はトライせずに撤収。
ハートカクテルのあたり

尾鷲市街まで出て買い出しを済ませ、三木里のキャンプ場へ戻ると、テントが吹き飛んでいた。
日中に突風で飛ばされてしまったらしく、近くのアスファルトに転がっていた。
ペグを打って、中には荷物も入れていたけれど、相当強い風だったらしい。岩場の快適さからは想像できない。
荷物は無事だったものの、秋に買ったばかりのテントはフライも本体も穴だらけ。
2人とも呆然。


1月10日(金)
前日、エリアの開拓者であるYabuくんに連絡して、例のラインのことを聞いてみた。
すると未登だとのことで、これはやってみるしかないと思った。
が、「スカイフックの連続になりそうだったよ」とのコメントが返ってきた。
トップロープで触ってみたというYabuくんがそう言うとなると、かなりリスクが高いのではないか。
見た目の印象では、ギリギリまでリハーサルなしのグラウンドアップで登ろうと考えていたが、
このYabuくんからの返事を聞いて考えが変わった。
結局、これは一度リハーサルをした方が良いだろうという判断をした。

Yosemiteエリアに着いて、Stay GoldとMy Wayを登ってアップ。
My Wayの終了点からプロテクションを入れつつ例のラインをロワーダウン。
クラックは途中完全に閉じるところがあるものの、それ以外は思ったよりも開いていた。
一度地面まで降りて、それからカムを差しつつトップロープで登り、ムーヴを解決していった。
結果的に、特殊なプロテクションはほとんど使わずカム主体で問題なく登れることが分かり、ムーヴもほぼ固まった。
これまで瑞牆でやってきた方法なので、妙な安心感があった。
そしてそのまま、使うギアを左右順番にラッキングしてリードでトライ。
果てなき航路を数メートル登り、すぐに左の壁へ。
ポケットと閉じ気味のシンクラックを繋ぎ、フェースの中央をトラバースを交えながら登る。
極端なランナウトはなく、程よいパンプと緊張感でレッジまで登りきり、My Wayの終了点に合流した。
体感は5.12c PDというところ。名前は「海路の日和」とした。
最後のフィンガークラックまで気が抜けず、内容としては充実感のある良作だったと思う。
海路の日和

その一方で、グラウンドアップでのリードは十分に可能だったと感じ、それがどうにも悔やまれた。
もしこのラインをリハーサルなしで地面からトライして、登ることができたなら、それこそ最高のクライミングになったはずだ。
これはプロテクションが予想したよりもずっと良かったからこそ言える、結果論なのかもしれない。
しかし「本当にプロテクションが取れるのか」という不確定要素を前にして、そこで一歩踏み出す精神が、これからの自分には必要だ。
グラウンドアップ、あるいはグラウンドアップでの初登という理想を、そう簡単に手放してはいけないと感じている。
それが現在の自分だ。
その現在地から後ずさるのではなく、まだ前進したいと願うものだ。
グラウンドアップを殊更に賛美したり、他のやり方を否定するつもりはない。
初登ということそのものに感じる魅力も、僕の中では依然変わっていない。
しかしただ登れればいいのではなく、「よりよく登りたい」という考えを、僕は持ってしまった。
それにもっとこだわることができる強さを併せ持っていなくては、と考えさせられた。

日が陰り、風がとにかく冷たかったので、早めに撤収することにした。
車の温度計は3度を示していた。やはり強い寒波と言うだけのことはある。


1月11日(土) 移動日
前夜、尾鷲の町はずれまで移動して泊まり、この日は朝から走って伊勢へ。
のんびりとお伊勢参りをして、伊勢うどんも食べて、めずらしくしっかり観光。
駐車料金をがっぽり1000円とられたことを除けば、良い寄り道だった。
ダシがあまりにも黒く、まぜそばみたいに見える

あとはまた下道で岐阜方面を目指した。
途中で夕飯を挟みつつ、また深夜まで走って、中津川で泊。
流石にここまで来ると、尾鷲とは寒さの質が違った。


1月12日(日) 移動日
荷物をテトリスのごとく詰め込んで車中泊にしたおかげで、冷え込みの厳しい山間でも快適に眠れた。
曇天模様の木曽路に入ってすぐの道の駅で朝食、それからもうひとつ三岳の道の駅に寄り、さらに木曽福島にも寄り道。
交通費節約のためというより、寄り道をするために下道を選んでいる節すらある。
思い返すと大堂海岸から全部合わせて丸3日は車を走らせた気がする。
長い長い帰り道を走り切り、夕方に帰宅。お疲れさまでした。