2024年10月8日火曜日

TheTribe 『中嶋渉、内省するクライマーの行方。』によせて

東京の神田小川町の一角に、TheTribeというギャラリーがある。
昨年11月にオープンし、クライミングの文化の共有・発信を目的としている。
クライミングというのはフリークライミングに限らず、アルパインも沢も、もちろん山もそうだ。
広義な意味での「クライミング」と考えるのがしっくりとくる。

そのギャラリーの運営をしているハカセこと門野くんから、
「展示で中嶋渉を取り上げる」と打診をもらったのは、昨年のヨセミテ前後のことだった。
それから数か月、先に取り上げた大木テルくんや大西さんの展示を経て構想を練り、
今年の3月からいよいよ中嶋渉展の制作が始まった。
インタビューという名の対談(ときに議論)を交わす中で、さらに展示の方向性は固まり、
僕が自分自身のことについて8本のエッセイを書く、という形に定まった。


ありがたいことに、これまでトークイベントや遠征報告会などで登壇させていただく機会は何度かあった。
いまし監督はじめチーム長野の関係の中で、映像作品に出ることもあった。
しかし自分の文章がそれ単体で取り上げられるというのは経験がない。
そもそも文章そのものをひとつの展示物とするなんて、聞いたことがない。
随分と攻めた方向になったなと思う一方で、僕は嬉しかった。
自分のクライミングについて思い切り書ける機会を、僕自身が望んでいたからだろう。
そして曲がりなりにも自分がずっと大切に思ってきたその表現方法にスポットを当て、
それが展示として成り立つと信じて期待を寄せてもらえたからには、奮起せざるを得ない。

展示の大枠が決まってから約3か月、未だに慣れない東京の街に通いながら、エッセイを書いた。
手書きのメモでもなんでも、とにかく書いた。
これだけ書くことに頭を使ったのは、高校時代に小説を書いたとき以来かもしれない。
原稿のチェックをした門野くんから「ここ、もっといい表現出せるでしょう」とか、
「内容が散らかってる」とかあちこちに赤を入れられるたびに、
「一生懸命選んだ言葉なんだけどなあ」と多少むっとする気持ちもあった。
もともと僕の内面なんだからケチをつけるなよチクショー、とか思わなくもなかったが、
毎回毎回、彼が文字通り心を鬼にして赤を入れていることは分かっていた。
彼が信じてくれているのだから、僕が信じないのは失礼だろう。
頭の中身を上手く言葉にできないことにヤキモキしながら、文章を整える時間が続いた。

8本のエッセイがおおよそ整ってきた頃、門野くんから追加で注文が入った。
「最後のまとめとしてもう1本、文が欲しい。できれば何か、宣誓文のようなものが」
僕は勿論承諾した。
そこから新しく構想を練り、また鬼編集者とのやりとりと重ねた。
6月某日、展示がスタートする数日前に、最後の文を原稿用紙に手書きして、僕の制作は終わった。

制作に入る前、ひとつ決めたことがあった。それは衒(てら)わないことだった。
なにぶん言葉での表現が好きな僕は、少し気を抜くと飾った言葉を遣ってみたくなってしまう。
が、今回書くのは物語ではないし、ユーモアもフィクションも許されるブログでもない。
「内省」という厄介で扱いに困るタイトルがついたエッセイだった。
誰に誓うでもなく決めたそのことを実直に守り、書き上げた文章だったけれど、
どうも生来の癖は誤魔化しきれないもので、今読んでみると所々どうにも鼻につく。
これはこれで、鏡を除くような感じがする。
僕という人間の持つ歪さが、結局そのままそこに表れたような気がしてくる。
しかし展示が始まった直後から、少しずつ前向きな反響が耳に入ってきて、内心ほっとしている。

この企画の発案者であり、同時に最大の功労者でもあるキュレーター兼鬼編集者の門野くん。
写真撮影、編集、構成、レイアウトの隅々に至るまで尽力をいただいた広告部の皆さま。
心から、ありがとうございました。



おわりに、今この文章を書いている最中に思い出した短い話を書こうと思う。

僕が書くことを好きになったのは、小学校の頃、担任のY先生に作文を褒められたからだった。
国語の授業で書いた、原稿用紙数枚程度の作文で、テーマはもう思い出せない。
Y先生から返された原稿用紙の最後には、赤ペンでこう書かれていた。
『流れるような文章です。でも、字が...』

展示を見ていただいた方は分かると思うが、僕は字が綺麗ではない。鉛筆の持ち方すらも、少し間違っているくらいだ。
Y先生は僕の、今よりももっと汚かった当時の字を見て、小さくため息をついていたことだろう。
しかしこのたった十数文字のコメントで、僕は書くことが好きになった。

もしも、本当にもしも、Y先生が今回のTheTribeの展示を見たら、どう言ってくれるのだろうか。そう妄想する。
きっと最後の、ただひとつ手書きのあの文章を読み終えて、
「やっぱり、字が...」
とため息交じりに言うのかもしれない。

それでもいいな、と今の僕は考えている。

2024年10月5日土曜日

『春夏冬』

これで「あきなし」あるいは「あきない」と読むそうで、
それを「商い」とか「飽きがこない」にかけて店名に使われるのだとか。
それはそうと、やっと暑さが治まってきたかと思えば雨ばかり。
年々パッとしなくなる秋シーズンですが、今年は例年どころではない気がする。

静寂のバルジに行って以降、8月は暑さと雨の波状攻撃で丸一日登れたのは一度くらいしかなかった。
その日はコミネムと、クラック地獄と黄金狂時代の辺りでしっとりしたクラックを登りこんだ。
実は初めて登るカヌー(5.11b)とか、隣のニーチェ(5.10d)を登り、
少し奥にあるS.I.グループ(5.11a)もついでにやったらハマりかけた。
湿ったスローパーに恐れをなして、一度クライムダウンしてから気合を入れて登った。
コミネムは若干脆いクラックに取ったカムを2つ吹き飛ばしながら降ってきた。
黄金狂の近くではクロム1P目(5.11a)をOSして、コハク(5.10c)も登った。
西に傾いた日に焼かれて、2人とも少し熱中症気味だった。
クロム1P目。奇跡的な加減で、モアイのような顔になっている。

他の日にひとりでソロシステムの練習をしたり、荷上げの練習をしたりしたものの、
クライミング的な成果があったわけではないので割愛。
このとき10年ぶりくらいに登った出合ボルダーの課題たちはどれも面白かった。
最近改めて掃除されたらしく、今が旬かも。
ボルダーで登るもよし、ロープを張るのもよしで、いろいろと楽しめる良い岩なのかもしれない。


9月に入り、まだ暑さが残るころ、コミネムと小面岩のマスターピース(5.13b)をやりに出かけた。
樹林から抜け出ているここは平日の雨の影響もほぼなく、岩はよく乾いていた。ただ、日差しが熱い。
コミネムに譲ってもらってOSを狙ったトライで、出だしの小核心をねじ伏せ、
そのままトラバース~中間部のカンテとギリギリのムーヴでこなしていったが、
上部で再びカンテを跨ぐ辺りで完全にラインを読み違えて落ちた。
既に限界までパンプしていて、まるでホールドが見えていなかった。
チョーク跡がないとはいえ、そこで冷静さを保てる実力が欲しいな...と思うところ。
その後、最後のスラブのムーヴを解決するのに時間がかかったので、OSトライは特に惜しくもなかったらしい。
2回目のトライでは、OSで落ちたところの詰めが甘くまた落とされた。
結局、ワンデイでのRPはできず。無念。
それからバベルの塔へ移動し、バビル(5.12d)をOS。
これもなかなかに持久系でパンプしたけれど、マスターピースをやってからだと数段易しく感じた。
高強度のルートに触って慣れておくことは、やはり大事。
バビルのコミネム


翌日、再びコミネムとマスターピースへ。
この日は曇って、午後から雨という予報だったけれど結局降らず。むしろちょうど良いコンディションだった。
1回目のトライは中間部で足が抜けてポロ落ちしてしまった。
またムーヴの詰めが甘くて落ちたので、核心以外のムーヴもしっかり考えた。
2回目のトライで中間部を落ち着いてこなし、最後のスラブも危なっかしく押し切ってRP。
5.12ノーマルくらいのセクションのムーヴをおざなりにしないことがカギだった。
なんだか小川山のプラズマ火球を思い出すような持久系ルートで、そういうルートにはあまり隙が無い。
コンディションのこともありそうだが、体感は限りなく5.13cに近いものがあった。

その後またバベルの塔へ移動し、10年以上ぶりくらいにロプロス(5.11c)とポセイドン(5.11a)を登った。
クラックの奥はじっとりしていたが、どちらもそこそこ安定していた。
流石にこれだけ時間が経って、少しはジャムも上達したらしい。

9月の下旬には、乾きが良さそう且つ涼しそうという理由で、ビッグサムロックへ。
トポにあったとおり、アプローチはなかなか遠かった。弁天岩と同じくらいだろうか。
長く歩いた分、期待したとおりの涼しさだった。
以前一度来たことのあるコミネムがOSトライを譲ってくれたので、ありがたく瑞牆ジャンキー(5.12c 2P)をやる。
1P目の12cはプロテクションが微妙な切れ切れのグルーヴを辿り、後半はいかにも瑞牆らしいスラブフェースに突入。
チョーク跡はないものの使うホールドははっきりしていたので、ゆっくり時間をかけてOSした。
2P目の12aは出だしから悪く、危うく落ちかけたところを耐えてOS。
2ピッチはあっという間だけれど、充実感のあるルートだった。
1P目

ラペルして、ジャンキーのすぐ左から始まるクルシフィックス(5.11c 3P)も登った。
1P目の11cが思ったよりも悪く、下手したらジャンキーの核心よりもホールドを握ったかもしれない。
1P目の11c

2P目の10bのワイドはコミネムが登り、3P目の11aを僕が登って頂上に立った。
瑞牆ジャンキー+クルシフィックスで5ピッチのルートと考えれば、かなり満足。
折角同じ岩の同じ面にあってラペルもしやすいので、同じ日にセットで登るのがおすすめです。

ビッグサムロックに行った日は、本当に久しぶりに暑さも湿気も気にせずに登った気がする。
むしろ上に一枚羽織らないと肌寒いくらいだった。
「やっといい時期になった」と喜んでいたら、今度は長雨で岩は登れず。

ツアー前の調整は最後まで岩でしたかったけれど、どうもそれは叶いそうにない。
自分の調子は悪くないだけに、どうにもじれったい。

2024年8月5日月曜日

バジル

梅雨が明けて、というか梅雨だと言われていたときからそうだったけれど、暑さが厳しくなった。
先月は長野県の練習会、北信越ブロック、単なる悪天などなどで、ほとんど外では登れずに過ぎた。
不動沢に新しいプロジェクトを探しに行ったり、苔むしたルートを磨いたり、
不慣れながら恐る恐るソロシステムの研究をしてみたりしたが、特筆するようなことはなし。
ただ平日のトレーニングを続けてはいるので、調子は悪くない、というつもりでいる。

この週末、土曜日はパートナー難民だったので古いルートの掃除に出かけた。
日曜日は、ツバを後ろ向きにしてかぶるキャップが似合う男ノミーと登ることになっていた。
「午前中勝負で静寂のバルジに行くか、他に案があれば」という連絡が来たので、
この時期にやるルートではないよなという考えを多少残しつつ、静寂のバルジに行くことにした。
いろいろなパートナーを口説いてこのルートに数日通っているノミーが、
「この時期にやるからいいんスよ」「ワンデイ出来ますって」と勧めてくるので気になっていた。
とはいえ、あまり再登のない緩傾斜の13後半がこの時期勝負になるのかは分からない。
まあ、トライしている人の言葉を信じてみますか、という感じで決まった。

日曜の朝は5時半集合。午後からは雨の予報で、既にガスが下り始めていた。
ダイダラボッチに行くのは、当然昨年のSkyrocket以来。
まだ冷め切らない目を擦りつつ、必要最低限の装備と弁当を持って歩いた。

ルートの下に着くと、予想どおり空気はどんよりしていたし、静寂のバルジ1P目(5.13c)の出だしは苔まみれ。
「うわー、苔凄いな」「これでも相当掃除してめっちゃ綺麗になったんです」
これでか...と思ったけれど、ノミーは最初のトライで下から登りながら磨いたらしいので、
 その泥くさい男気(失礼)に免じてそれ以上の文句は言わないことにした。
ボルトが苔で埋まっていたというその状態でのマスターは、間違いなく恐ろしかったはず。
「オンサイト行っちゃってください!」とヌンチャクを差し出されたので、受け取った。

ジメジメのクラックを跨いで地面を離れ、すぐに微妙なホールドでのクライミングが始まる。
アップなしにしては頑張って粘ったけれど、最初に出てくる小核心で呆気なく撃沈した。
それは織り込み済みなので、すぐに切り替えてムーヴを詰めながら先に進む。
ほぼ各駅停車になってものの、核心を越えてルートが大きく蛇行するところまで、それぞれ数回のテンションで抜けた。
木立の陰になっているところは湿気が籠っているが、核心の部分はそれより少し上で、
思っていたほどヌメりが酷くなくて驚いた。
いや、間違いなくヌメるのだけど、案外なんとかなりそうだ。
雨は午後からという予報でも、いつ降ってくるかは分からないので、上までは抜け切らずに一旦バトンタッチすることにした。
核心を終えたところで、このピッチの2/3くらい。
「核心抜けたらあとは初見でも、まあ頑張れます」というノミーの言葉を信じて、
残りの1/3は繋げて核心を越えたトライでそのまま突っ込むことにする。
この時点で、頭の中は「今日中にこのピッチを登る」という考えに変わっていた。

ノミーがハングボードをニギニギして、上部用のヌンチャクを持っていざトライ。
最初の小核心を越え、少しレスト出来るセクションを挟んで核心のカンテに入る。
足下への自信漲る動きで、しっかりチョークアップできている。
「あそこのクリップが、ヌメりに負けてできずに落ちた」と言っていたヌンチャクにクリップ。
直後に手がすっぽ抜けてあわやとなったものの、気合一閃でこらえて核心を越えた。
そのまま長めのレストを挟みつつ、上部のバルジの向こうへ抜けて消えていった。
姿は見えなくなっても、力強い呼吸の音だけがずっと聞こえていた。
数分後、終了点から嬉しそうな叫び声が降ってきた。

ホールドを念入りにブラッシングして下りてきたノミーと、両手でグータッチした。
まさかとは思ったけれど、この日1回目で登ってしまった。最後に勝つのはやはり男気らしい。

さて、僕も登るしかなくなった。気合を入れて2回目のトライ。
が、湿度なのか気温なのか、1回目よりもヌメる気がした。
それに気を取られていたのか、最初の小核心で足がスリップして落とされた。
少しがっかりしたけれど、すぐにその個所のムーヴを組みなおし、核心のセクションももう一度繋げて抜けた。
これであとは繋げて登り切るだけだ。

レストを挟んで、3回目。
昼には核心のカンテに日が当たってしまうので、これで登れなければまた次回だ。
そうなったらなったで仕方ないけれど、どうせなら今日のうちに登りたい。
この時はずっと、その気持ちが強くあった。
出だしのドロドロしたセクションを越え、先ほど落ちた小核心に入る。
今度は足が滑らずに、保持感の微妙なダイクを捕らえた。少し声が漏れた。
一度呼吸を整えて、核心のカンテに入る。
気温は確実に1トライ目よりも上がっていた。
しかしまだガスは下りきらず、ヌメりはそれほど酷くない。指先にはしっかり結晶の感触があった。
核心のカンテを抜けて、そのままバルジの付け根まで逃げ切った。
この先のセクションはオンサイトだ。
ノミーが登ってチョークが残っているけれど、バルジに阻まれてその先のスラブが見えない。
とりあえずつま先が痛かったので、大ガバにぶらさがってシューズを片方ずつ脱いで長めに休んだ。
このトライを大事にしたいけれど、突っ込まないことには何も見えてこない。
ということで、レストポイントを離れるときにはもう迷いはなかった。
バルジを越えるところでホールドをひとつ見落として、危うく落ちかけた。
半ば捨て身で手を出したところで、足がしっかり踏めていたおかげで体が剥がされず残った。
ギリギリ捕らえたホールドは微妙だったけれど、強引にスラブに這い上がった。
続く最後の数歩でまた落とされそうになったものの、足を休めたおかげか、なんとか耐えきった。
あとは易しいフェースを登って終了点にクリップした。
雨はまだ降らず、むしろほどよく曇っていてくれたおかげでなんとかねじ伏せられた、というところだろう。

「いやー、できるもんだな」
「仕事早いなー」

あとはさっさと片付けて、雨に降られる前に下山した。
駐車場に戻ったのは12時前だった。
車で弁当を食べ、みずがき食事処でビスケットサンドとコーヒーをいただいて家に帰った。
セルフごほうび

ノミーが「静寂のバルジ登りました」と報告すると、「この時期に?ウソでしょ?」と驚かれたらしい。
そりゃあそうだよな。僕も前日までは半ばそちら側だったわけだし。
「どうせ信じてもらえないんで、静寂のバルジじゃなくて『静寂のバジル』ってことにしましょう」
ノミーがそう言うので、僕もそう言って回ろうかと思う。

静寂のバジル(5.13c)※8月に登った場合は『バルジ』ではなく『バジル』

しかしこの時期でも意外と勝負できるどころか、実際に登れたわけで、それなら信じざるを得ない。

2024年7月19日金曜日

100本(未完)

6月15日、今年初めてのボルダーサーキットに出た。
昨年からトレーニングとして始めた瑞牆でのサーキットも、これで5回目。
日記を見返すと、その第1回は5月27日にやっていて、今回は随分と時期が遅くなってしまったなと思う。
とはいえ、コンディションと引き換えに、今回は日の長さというプラス要素がある。
今回はそれを活かし、とにかく100本をどんな形であれ回り切ることを最優先に考えた。
ただし、単に100本登っても仕方がないので、可能な限り第1回に使ったオリジナルのプランをなぞりつつ、次のルールを設けた。
 ・トライは最大5回まで。まるでできなくても5回はやる。
 ・人が多くトライしにくい課題は周辺の課題に適宜変更。
 ・道中見つけたゴミは拾う
最後のひとつはオマケだが、これでとりあえずスタートしてみた。

以下、登った課題とおおよその時間。
(×)は登れず。*はオリジナルのプランになく現地で追加した課題

<6:35  嘆きの岩からスタート>
1. ため息 5級 3トライ
2. 夏への扉 初段 1トライ
3. 日暮れの道 1級 1トライ


4. 指人形 初段 2トライ 【7:05】


5. 水晶の舟 3級 1トライ
6. スプリットエッジ 3級 1トライ
7. エッジオブトゥモロー 1級 2トライ
8. 羽音 2級 2トライ
9. 羽蟻 4級 1トライ
10. 瑞雨 4級 1トライ
11. 雨と花 3級 1トライ
12. 花畑 1級 1トライ
13. ラフレシア 初段 5トライ(×)
14. トガリネズミ 2級 5トライ(×)
15. 雨の弓 1級 1トライ
16. バックトラック 4級 1トライ 【8:40】

17. 物 1級 2トライ
18. 言葉 初段 3トライ
19. ダブルカンテ 1級 2トライ

20. 鏡 6級 1トライ
21. 剣 4級 1トライ
22. 玉 2級 2トライ
23. 御門 4級 1トライ (ロイヤルポケット5級は混んでいたので飛ばす)
24. VOCK 初段 4トライ 【9:40】


25. ミトラ 3級 1トライ
26. ヒドラ 1級 2トライ*
27. 背伸び運動 3級 2トライ
28. スケルトンSD 1級 2トライ
29. シマリス右のスラブ 7級 1トライ
30. シマリス 5級 1トライ
31. デールクラック 3級 1トライ
32. チップクラック 2級 1トライ 【10:39】
33. ウッドマントル 3級 1トライ
34. インドラ 二段 5トライ(×)
35. ガルーダ 二段 5トライ(×) (阿修羅初段は混んでいたので飛ばす)
36. ナーガ 1級 1トライ
37. 小藪の細道 6級 1トライ
38. 峠の坂道 7級 1トライ*
39. 穴契約社員 3級 1トライ 【11:30】

40. 村祭り 5級 1トライ
41. 祭の花 1級 1トライ(限定なしで登ったのでオリジナルよりも易しい)
42. ガリガリ君 1級 3トライ
43. リッチくん 5級 1トライ
44. ガリガリトラバース 2級 1トライ (ガリ子ちゃん、シャリシャリ君は混んでいたので飛ばす)
45. 光合成 初段 4トライ(夏木立1級は打ち込んでいそうな人がいたので飛ばす)
46. 日暮右 3級 2トライ
47. 日暮左 2級 2トライ
48. 蝉時雨 1級 1トライ*
49. エンラッド 5級 1トライ
50. インタシン 3級 1トライ
51. カルカド 3級 2トライ 【13:30】
52. まずまずの日 4級 1トライ
53. 普通の日 初段 1トライ
54. 日々の暮らし 1級 1トライ
55. コールドスリープ裏面の低空トラバース(通称:ベイビー)2級? 2トライ
56. 桃源右 6級 1トライ
57. 桃源左 5級 2トライ
58. 瑞牆レイバック 3級 1トライ
59. スーパークーロワール 7級 1トライ
60. 夜を待ちながら 2級 2トライ 【15:00】
61. 一本桜 3級 1トライ
62. 桜餅 2級 2トライ
63. 百里眼 1級 2トライ
64. 透視 4級 1トライ*
65. カラクリ 1級 4トライ
66. 冬の来訪者 3級 1トライ
67. 冬の動物 3級 1トライ
68. 先住者 1級 2トライ (眠った風初段は打ち込んでいそうな人がいたので飛ばす)【16:05】
69. クリネズミ 4級 1トライ (寒空初段は受ける気がしないので飛ばす)
70. 団栗 5級 1トライ
71. 団栗トラバース 3級 1トライ
72. 茜雲 3級 1トライ
73. 森の奥 8級 1トライ*
74. 熊の親子 8級 トライ*(森の生活、森の人は混んでいたので飛ばす)
75. 霞の目 3級 2トライ
76. 霞の目裏の課題(名前を忘れた) 2級 2トライ
77. 東雲 1級 5トライ(×)
78. 黎明期SD 3級 2トライ
79. 氷柱 2級 1トライ
80. 算術 1級 2トライ (少年3級は混んでいたので飛ばす)
81. 計算尺 3級 3トライ


82. 望郷 2級 1トライ
83. みんなのスラブ 3級 1トライ
84. ベイトボール 3級 1トライ
85. 二重斜線 4級 3トライ
86. 集団登高 5級 1トライ 【18:05】

以降は未公開エリアのため、課題名は伏せる。
87. フェース 1級 5トライ(×)
88. フェース 3級 2トライ
89. ハング 1級 2トライ
90. フェース 3級 3トライ
91. スラブ 4級 2トライ 【19:05】
92. フェース 2級 5トライ(×)
93. フェース 6級 1トライ
94. トラバース 2級 1トライ
95. スラブ 2級 1トライ
96. ハング 4級 1トライ
97. ハング 1級 5トライ(×)
98. フェース 3級 1トライ
99. ハング 3級 2トライ
100. マントル 2級 2トライ 

<19:55 終了>

行動時間は13時間20分、100本中登れたのは92本だった。
5トライで登れなかった8本は、どれも過去に登っているのだけれど、
二段に関しては離陸すら怪しかったし、やはりまだまだ目指すべきものは遠い気がする。
とはいえ、気温と湿度ともに高めだった中でこれだけの完登率なら及第点かとも思う。
今回、現場判断で課題を差し替えたりしているのでオリジナルよりは若干減っているが、
初段は6本、1級は19本(祭の花は除く)だった。
ムーヴの強度を考えると、次回以降は初段以上を10本にしてもいいのかもしれない。

ところで、オマケと言いつつゴミも拾ってみたが、最終的にはこうなった。
大半が駐車場周辺で拾ったもので、これはクライマーのゴミではないと信じたい。


終わった後に「これでやっと帰れる」以外の思考が浮かばなかったのは、いつ以来だろう。
昨年の第1回は行動時間12時間30分ちょっとで、66本だった。
それに比べると随分と登攀距離を伸ばすことはできた。
こうして今の時期にコツコツためたマイルで、涼しい時期に得できるように願いたい。

が、100本回ったとはいえ本当の意味でのコンプリートはまだまだだ。
満足は、今のところしていない。



2024年7月8日月曜日

水有月

忙しさ(自称)にかまけている間に6月が終わってしまいました。

6月、水無月というのは、梅雨になり雨がよく降ることで「天上の水が無くなる」という由来なのだそうです。
今年は結局7月になってもあまり梅雨らしくならず、水無月らしさはなかったようです。
気候が変わると、月の呼び名も変わるのでしょうか。

6月は案外天気が悪くなかった割に、あまり外には行かずに終わってしまった。
もともとの予定があったりなんだりで仕方ないのだけれど、少し腑抜けている感じもする。

6月の初め、週末2日間コミネムと瑞牆で登った。
土曜日には不動沢に行き、千両岩の新ルートを登ってみることに。
いぶし銀(5.12c 4P)と守破離(5.11b 3P)をハシゴするつもりだったのだけれど、
いぶし銀の1P目の12cでいきなりやられた。
湿っぽいクラックから左のスラブに抜け出したところから、突然世界が変わる。
一気に細かいバランスクライミングになり、呆気なくOSは逃してしまった。
が、実際の核心は落ちたところよりもさらに先で、ここは1回では解決できず。結局ボルトを踏んで抜けた。
交代したコミネムもめでたくやられ、2回目のトライで僕がどうやらムーヴを解決。
これは相当にコンディション次第だぞ、ということで、何度見上げてもびしょ濡れの2P目と考え併せて撤退。
大人しく隠し金探しの左にある守破離に移った。
こちらは1・3P目をコミネム、2P目を僕がリードして、気持ちよく登った。
1P目の形容詞グレードがつきそうでつかないくらいのプロテクションの悪さはなかなか攻めている。

流石はマルボーさんとクロヒゲさん(勝手に通称ヒゲおやじズ)。
ルートの内容は、隠し金探しに一歩譲るもののどのピッチも濃く面白かった。

千両岩の上から歩いて下りてきたところでまだ時間があったので、浸食の造形(5.11c)をやることに。
先日登ったノミーが「あの近辺ではイチバンっす」と評しているので、期待が高まる。
結果、落ちそうになりながらOSした。
出だしからずっと悪いスラブムーヴが続くが、核心はやはり象徴的な凹角に入り込むところから。
ちょっと他ではやったことがない類のムーヴが印象的だった。
1本目のボルトでハンギングビレイしているコミネムと交代して、コミネムもFL。
その後をフォローで登っても、やっぱり面白い。ムーヴが分かると、やはり11cらしい。
スラブ嫌いを自称するコミネムも「これは初めて面白かった」とのことでした。

次の日はクラックをたくさん登ろうということで、最近空いている末端壁へ。
少し曇り気味で、暑すぎずに快適。
春うらら1P目(5.11b)を気分よく登ってアップした。
ちなみに、中学生だか高校生の頃に一度トップロープでやっているのでOSではありません。
その頃に比べれば、ずっと快適に登れた。そりゃ当然だけど。
当日出くわしたスダさんが写真を撮ってくれた。ありがとうございます。

が、2本目にやった鷲(5.11c 2P)でまたやられかけた。
出だしのボルトがある核心をおっかなびっくりこなした時点で相当湿気っぽかったのだが、
それを越えて長いコーナーに入ると、ずっと上までクラックが苔むしている。しかもびしょ濡れ。
海苔の佃煮にひたすら手を突っ込んでいるような状態で必死に登り、なんとかOSした。
フォローで上がってきたコミネムが「いやー、よくやるわ」とか言っている。
いつだったか「ジャムなら濡れていても頑張れる」と言われて呆れた記憶があるけれど、
このときは少しだけそれが理解できた気がした。
鷲の2P目はコミネムがリードして僕はフォロー。お昼寝テラスを経由して取りつきまでラペルで戻った。

その後は、ペガサスを2P目までリンクして60メートル1ピッチにして登ってみた。
1P目は数年前に登ったことがあったけれど、2P目は初めて。
出だしの快適なハンドを駆け抜けて、二股に分かれたワイドは左がオリジナルらしいのでそちらから登った。
なかなかの充実感で、これは登っておいてよかった。
更にその上にある風鈴の上部ピッチをツルベで登り、湿っぽいチムニーで大股開きをして、そこそこ満足。
雨雲が迫ってきたので「さて降りよう」とラペルしていったところ、
ペガサス1P目の終了点に降りたところでロープが2P目上部のワイドにスタック。
あわや脱出不能になりかけた。
このアンカーがあるチムニー状に入るためにディレクションでとったカムが良くなかったようで、
それを回収してロープを引く向きを少し変えたら抜けてくれた。
ああ助かった。やっぱりラペルは怖いものがある。

取りつきに戻ったところでちょうど雨が降り出し、深く反省しながら撤収した。

6月の半ばには単身、今季初のボルダーサーキットに出かけた。
今回は一応100本回り切った。
記録が長くなるので、これは後ほど別の日記としてあげます。

6月の後半、雨の翌日にまたコミネムと瑞牆へ。
「どこか乾きのいいところあるかな?」と相談していたら、ノミーから「キューピーママ」という妙案が。
曰く「瑞牆イチ乾きが早いっす」ということなので、行ってみることになった。
アプローチで少し迷いつつたどり着くと、確かに乾いている。
コミネムが「乾き良いらしいよ」と噂を流したのに釣られて同僚のツダ夫妻もやってきていた。賑やかいぜ。
キューピーママのすぐ隣にある祭のあと(5.12b)も乾いていたので、それでアップ。
小川山のイエロークラッシュを思い出すような内容で、それよりも少し難しかった。
ほどよいパンプを感じながらOS。コミネムもFL。

キューピーママの産まれる気分(5.8)をとりあえず登り(尻が抜けないかと思った)、
本日のメインである魅惑のキューピー(5.12c R)を眺めまわす。
岩はしっかり乾いているし、プロテクションは固め取りできそう、ラインも明瞭なので、これは下からやるしかない。
ということで、リハーサルなしでトライすることにした。
いつかこういうルートを、グラウンドアップで狙ってみたかった。
OSトライで相当粘ったものの、「これしかない」と思ったポケットの保持感に裏切られてフォール。
かなり派手に吹っ飛ばされたものの、地面には当たらず無事だった。プロテクションもびくともしなかった。
コミネムもグラウンドアップでトライして、どかんどかんと落ちてきた。
徐々に墜落距離を伸ばしながらなんだかニコニコしている。なんやねんその笑みは。
「もうお腹いっぱいだ!」という発言が出たので、交代して2回目のトライ。
先ほど落ちた個所でもう一度腹を括り、日に熱されたホールドの嫌なヌメりを感じつつ、
かなり吠えながらムーヴをこなして登り切った。
このルートは産まれる気分の途中からトラバースするため、ギアの回収がしにくく、
1回目のトライでセットしたプロテクションをそのままにしてロープだけ抜いてリードした。
つまりプロテクションはプリセットした状態。ピンクポイント、あるいはヨーヨーというのだろうか。
しかし、プロテクションのセットが難しいルートではないし、なによりリハーサルなしでこれだけ勝負できたことへの満足感が大きかった。
ルートの内容も面白かったので、これで二重丸だろう。
ツダ女史の旦那ヤマムラ氏が写真を撮ってくれた。ありがとうございます。

その後はしじま谷方面に移動し、コミネムが龍脈門(5.13a)をやるのに付き合いつつ、
左の方にある岩檜(5.12b?)をやってみた。
5.10のクラックを登った後、クラックに生えた木で終了せずに上まで抜ける、というようにトポには書いてあるけれど、
実際にやってみると木まで上って長いスリングでランナーを伸ばし、
木のすぐ下のダイクを2メートルほど左にトラバースして左上するグルーヴを登る、というラインだった。

クラックはジメジメ、そこから分かれてからのグルーヴは埃まみれだったけれど、強引にOS。
人気が出ないのはよく分かる。が、内容はそれほど悪くなかった。
OSできたルートは多少易しく感じるもので、12aくらいに思う。
この近辺でちょっとスパイシーな変わり種ルートを探している方は、どうぞ。

2024年5月27日月曜日

2024年5月18日

不動沢、摩天岩にあるプロジェクトを初登した。


弁天岩のセンスオブワンダーが完成したのが2018年の5月。
その年の8月、大ザルと二人で摩天岩のこのラインを偵察に行った。
かぜひきルートを2ピッチ登って壁の上に回り、ラペルしてみると、思ったよりも傾斜があった。
明確な節理は繋がっておらず、途切れ途切れのフレークとポケット、浅いコーナーなど、ピースが散らばっているように見えた。
そしてその年から、大ザルがこのフェースを掃除してトライを始めた。

2023年、大ザルが心臓の病気で入院したという報せが、母から突然届いた。
兄も、僕も、サル左衛門も事態が分かってくるまで、前触れなく訪れた不安で騒然となっていた。
今にして振り返ると、母の抱えた心労は計り知れない。僕もすぐに面会に行きはしたが、頭が下がるばかりだ。
幸いなことに命に別状はなく、その後のリハビリの甲斐あって、日常生活には問題ないところまで回復した。
しかし登山やクライミングについてはより慎重にならざるを得ず、ずっと不透明だった。
入院前のように登ることはもうできないかもしれない。
誰も言葉には出さなかったけれど、僕はそう思っていた。
病気以前に、年齢的な衰えのこともある。あとは本人がどう受け入れていくのかだ、と。

その年の暮れくらいのことだったと思う。
「摩天のプロジェクト、代わりにやってくれていいぞ」
大ザルが僕にそう言った。
一度下りた時の記憶から、良いルートになることは分かっていた。断る理由はない。
以来僕はこの半年ほど、春が来るのを待ちわびていた。

今年の5月、GWの後半に改めて壁の上に回り、ロープを張って作業に入った。

NINJAを登った翌日、一人で摩天岩に向かった。
この日は前回終わらなかった掃除の続きをして、核心と思われるパートのリハーサルもした。
このルートはラインが蛇行している上に、前回ロープを切りかけた凶暴なダイクが上部に突き出ているので、
フィックスにぶら下がってすべてのパートを触るのは骨が折れる。
それに、掃除をした感じで、核心以外は初見でも大丈夫そうに見えた。
そこは楽しみを取っておこう、ということにした。
この日は一日曇りで、壁の状態は良かった。
核心のムーヴをやってみた感触では、暑いと歯が立たなくなりそうだ。
どのようにそのチャンスを作るか、それを考えながら、小雨が降り始めた登山道を下った。

「来週リードします」と大ザルに連絡すると、「ビレイしに行きたいな」と返ってきた。
そう来るだろうと思っていた。

5月18日、朝は5時に起きて不動沢に向かった。コンディションを掴むための作戦は、シンプルに早起き。
自分一人で先に行って掃除とムーヴの確認を済ませ、大ザルには後からゆっくり来てもらうことにした。
壁の下に着いたのは8時半前。ラジオ体操をして、ギアを用意し、フィックスをユマールした。
摩天岩は全体に南向きで、あっという間に暑くなってくるだろうと予想していたけれど、
実際に日当たりの変化を見てみると、このラインは若干南南西を向いているらしい。
9時を過ぎても、1P目の核心はまだ半分くらい影だった。

10時過ぎに大ザルが上がってきた。
それとタッチの差くらいでムーヴを確認し終え、体も温まったのでトライの用意をした。
ギアを取りつきに並べて、不足がないか、いつもよりも重ねて確認した。
大ザルとロープのやり取りのことも少し相談しつつ、壁を見やる。
最後まで影があった1P目の核心も、流石に日向になっていた。
しかし今さら暑さを気にしても仕方ない。やってみるだけだ。

木登りと易しいフレークを過ぎて、大ザルが打ったピトンにクリップ。
このピトンはポケットに突き刺さっているので、恐らく抜けないはずだ。
少しクライムダウンしてレストし、呼吸を整えて核心のボルダーセクションに入った。
最初の数手をこなして、左上のアンダーフレークで少しチョークアップして、ダイクを右へ。
ここのトラバースがいちばん悪く、ホールドもシビアで、よく繋がっていてくれたと思う。
少しばかり温まってしまったホールドを握りこみ、「抜けてくれるなよ」と念じながらデッドを出して、なんとか核心を越えた。
ピトンはしっかり入っているけれど、それでも足元を過ぎるのでなかなか緊張した。かなり声も出た。
あとはまた易しいフレークを登って、カムで支点を作りピッチを切った。

大ザルがユマールしてきて一言、「結構簡単に登ってくれたな」。
いやいや、簡単ではなかったって。
しかしとりあえず、いちばんの懸案事項は終わった。

ギアを整理し、2P目を登り始めた。
このピッチはムーヴをやっていない個所が多いが、そこは現場処理。
出だしから、1P目とは違う緊張があった。
最初のプロテクションを固め取りして、さっそくこのピッチの核心が始まる。
このパートは1P目よりもずっと易しいけれど、ランナウトも長い。
そしていちばんランナウトするところにちゃんとボルダームーヴが待っている。
ここも緊張でホールドを握りすぎ、壁に入り込んでしまったせいでフットホールドが見えにくくなった。ここでもまたしっかり吠えた。
核心最後の1手をこなしてガバを掴むと、とりあえずは一安心。
この手のランナウトには慣れてきたつもりだけれど、未だに怖いものは怖いのだ。
核心を抜けてから、しばらくは快適なフェースが続いた。
ここは大きなポケットがたくさん開いていて、登っていて驚くとともに楽しい。
上部のハングの付け根に潜り込むと、一際大きな洗面器上の穴が開いている。
ここはGWに来た時は乾いていたのに、このときは水が溜まっていた。
これからまた長いこと、この水は干上がらずにここに溜まっているのだろう。

最後のハングを越え、短いコーナーとその先のランナウトするスラブを慎重に登り、壁の頭に抜けた。
核心は明らかに1P目だけれど、2P目はとにかく内容が素晴らしかった。
大ザルがユマールしてきて、「よかったな」とだけ言った。
拳を突き合わせることはなかった。
ただ肩を寄せ合って記念写真を撮り、持ち上げた水筒でお茶を飲んだ。


このルートは大切に登りたいと考えていた。
大ザルが何年も通い詰めて可能性を探っていたことや、そのためのトレーニングを続けていたことは知っていた。
それに、それを諦めることが決して簡単ではなかったということも、想像がつく。
そのためか、かかった日数は少なかったけれど、このルートをどのように登ったものか悩んだ。
もともと大ザルが掃除していたラインに限らず、改めてその左右の壁をよく見て探った。
打たれているハーケンを使うか否かも検討したし、2ピッチに分けず1ピッチで通して登ることも考えた。
しかし結局は、登るラインは大ザルが見定めていたものと同じになり、
2本あるハーケンは両方とも使い、当初の構想通り2ピッチに分けて初登した。
ロープにぶら下がって岩を磨いているうちに、ある考えが浮かんでどうしても離れなくなったのだ。
「これは僕が見出したものではなく、あくまで引き継いだものだ」ということだ。
『引き継ぐ』という言葉をどのように考えるか、それは難しい。
少なくとも僕にとっては、この言葉の持つ意味はとても重く、そして大切だ。

ラペルで掃除して、時間をかけてリハーサルをして、プロテクションも確認済みの状態で登ったので、
開拓のやり方として新しい挑戦ができたわけではなかった。
そのことには少しばかり悔やまれるところもある。
しかし、このルートが無事に完成し、そしてとても良いものになったという結果だけで、今は十分なのだろう。
いや、十分すぎるくらいなのかもしれない。

ルート名は、大ザルにつけてもらうことにした。
トライの数日前、「何か考えている名前があればつけてください」と頼むと、「2031」と返事が来た。
2031年。指折り数えてみると、その年に僕はちょうど40歳になるようだ。
そして、クライミングを始めて30年になるのもこの年だ。
まだ随分先のようにも、そう遠くない未来であるようにも思える。

ラペルして取りつきに降り立ち、ロープを抜いて、また壁を見上げてみた。
複雑な形状が繋がった、特徴的な内容を持つルートだった。
「こういうのが残っていたんだな」と言うと、大ザルは「見る目が変わったっていうことだよな」と言った。
友達クラブによる不動沢の開拓当時は、綺麗な壁にはっきりと伸びる節理こそが美しいとされ、皆それを探し求めていた。
クライマーが持つその美的感覚は、今も概ね変わっていないのかもしれないが、視点は確実に変化した。
大ザル自身が初登したかぜひきクラックと、そこから20メートル左の壁にあるこのルートが、その変化の大きさを感じさせてくれる。
それは進歩と言えるのだろうか。それとも違う言葉を与えるべきなのだろうか。
いずれにせよ、僕はその新しい視点で岩を見ることが面白く感じている。
そして、その結果またひとつ出来上がったこのルートの持つ内容が気に入っているのだ。
大ザルがどのようにこの壁を見ていたのかを自分も共有できたことと、
そして古希が見えてきた大ザルのその目が未だ曇っていないと分かったことも含めて。

40歳になるまで、あとどれくらい自分はこういうルートを登ることができるだろう。
ひとつでも多く、そしてより良く登って、その時を迎えたいと願うものだ。
そして2031年の5月になったら、このルートのことをゆっくりと思い出し、父と子で語り合ってみたい。

『2031』 (不動沢、摩天岩)
1P目:5.13b 15~20m
2P目:5.12a R 30~35m
使用ギア:C#0.3~#3 アルパインドロー数本
備考:下降は同ルートをラペル(50m)。上部の鋭いダイクには注意が必要。



2024年5月20日月曜日

そして時は進む

5月11日、やっとNINJAを登ることができた。
通算でのトライ日数は数えていないけれど、10日前後だろうか。今シーズンに入って4日目だった。


もはや花崗岩のハードなやつならこの男と、という感じになりつつあるノミーと、シーズン最後のアタックをすることになった。
日中はもう暑すぎるし、夕方の冷え込みもあまり期待できない。
それに金峰山荘の営業が始まったので、7時にはゲートをでなければいけない。ということで残業は無理だ。
つまり、早朝から行って日が当たるまでにトライを終えるしかない。
というわけで、「朝5時に行くっしょ!」と強気なノミー先輩に「行くっしょ!(早いなー)」と返した。
実際、当日の朝はお互い少し寝坊して、駐車場に着いたのは5時半過ぎだった。

誰もいるはずのないクジラ岩周辺でアップする。
スパイヤー右端の4級が、個人的に小川山・瑞牆で最強の4級だと思っているのだけれど、
足下が究極にシビアなNINJAのアップにはこの課題を登るのがちょうどいい。
NINJAに通うたびに登るようになったおかげで、毎回きちんと登れるようになった。
この日も1回でスッと立って、少し安心。今回の運試しも大丈夫だったな、という気分。
エイハブ船長などなど、普段なら人が多すぎて近づけない課題も一通り触って、早起きでギシギシ感じる体をほぐした。

アップを早めに切り上げて、お殿様岩に上がった。4月の前半よりも、明らかに空気が温かい。
予期せぬプレゼントを手早く登って、トップロープを張って掃除とムーヴの確認。
前回からGWを挟んで少し間が開いてしまったけれど、感触は悪くない。ヌメらなければ、だが。

ノミーが男らしく「最初からリードで行きまっす!」と言うので、先にトライしてもらった。
前にあれだけ嫌そうにしていた下部の小核心をスパッと止め、本当の核心の入り口で落ちてきた。
核心のムーヴをほどほどに確認して先輩が下りてきたので、こちらも気合を入れる。
お互いに一度は王手に持ち込んでいるのだ。競争意識ではなく、純粋に気持ちが盛り上がってくる。
しかしじっくりやっている時間はない。リードで勝負するチャンスは、あっても2回くらいだろう。

取りつきの狭いコルに上がってシューズを履くと、流石に緊張する。
ノミーが「決めてくれぇ」と言うので、「決めちゃうよーん」と軽くふざけて誤魔化した。
取りつくと、岩のフリクションは思ったほど悪くない。まだ朝の冷え込みが残っている。
ダイクにマントルを返してトラバース、そして最初の小核心。
と、遠いムーヴを止めたと思った瞬間に足が抜けて落ちた。やらかした。
一瞬焦りがぐんと増しそうになったものの、1回目はこんなところだと落ち着かせる。
「1回そこで落ちた後すぐやると、感触良くなるんすよ」
下からいつもどおり前向きなノミーの声が飛んできた。
シーズン最後の日、この数分間を逃してはいけない気がした。
「すぐにもう一回やっていい?」
「やろう!」

ロープを抜いて、もう一度取りつきのコルに上がる。液体チョークは面倒なので塗るのをやめた。
1回トライして、また少し緊張がほぐれたようだ。やれるだけやろう、という気持ちになっていた。
再びダンクにマントルを返すと、こめかみにそよ風が当たるのを感じた。フリクションもまだ良い。
先ほど落ちた小核心に、足を慎重に置いて入っていく。少しプルッときたが、止まった。
そのまま数手進んで、レストポイントに入る。
「これが今シーズン最後だ」という意識は、不思議と消えていた。
核心のムーヴのひとつひとつを思い浮かべることもなかった。
ただゆっくりと呼吸が整うのを待ち、もう一度深呼吸して核心に入っていく。
手も足も微かに震え、それでも狙いは外れずにムーヴが繋がる。
最大の核心になるシークエンスに入るところで、一瞬足が滑ったものの、落ち着いて置きなおす。
ただ「落ち着け、ゆっくり」と念じて、ポケットを差す。左右の足はまだ抜けていない。
そして、前に二度落とされた核心最後のムーヴに差し掛かる。
ここのフットホールドをよく見て、しっかりと狙って踏みなおす余裕が、この日はあった。
最後のホールドに手がかかり、体重が乗った。

核心を抜けたところにある大穴で長くレストして、上がった呼吸をもう一度落ち着け、
最後の11程度のフェースを登って岩の頭に抜けた。
春の日差しに岩が焼かれる前に、どうにか逃げ切ることができた。

「やりぃ!」
「ビッグウォールだったら俺、泣いてます」

その後、ノミーは壁が完全に日向になるまで粘ったものの、RPは秋に持ち越しになった。
最後に改めて予期せぬプレゼントを登りなおし、ヌンチャクを回収してNINJAを掃除して、昼前に下山。
あとは連休前にオープンしたばかりのRoofRockへ行って、お店の前にたむろして過ごした。

憧れのルートをまた1本、登ることができた。
杉野さんはOBGの記事で、『私は、このルートを登りたい』と書いていた。
僕もこの春、ずっとそういう気持ちでトライをしていた。
五月蠅い御託は抜きにして、僕はこのルートを登りたかった。
このルートに向かうことについて、頭の中はこれまでにないくらいシンプルだったように思う。
これでしばらく花崗岩のハードなルートはいいかな、と思いつつ、
一方で確かな自信を得ることもでき、すべて前向きに終わることができたと感じている。
そのことについては、僕を再びこのルートに誘って付き合ってくれたノミーに感謝するところだ。
前向きな心持ちでトライを重ねていくことが本当に大切だったし、
細く狭い針穴を通すようなムーヴでは、時にゆっくりと意識して動くことも必要、ということも学んだ。
学びが多いルートはそれだけで良いルートだと、僕は思っている。

もうひとつ、考えたことがある。
NINJAが登られた1987年は、日本のクライミング界にハンマードリルが持ち込まれた年でもある。
つまりNINJAは、国内で最初にハンマードリルでボルトが打たれたルートのひとつ、ということになるらしい。
初登者のグロヴァッツは当時、まず「ここだ」というラインに目測でボルトを設置し、
トライする中で必要があればボルトを抜いて違う位置に打ち直す、という考えでルートを拓いたようだ。
このことについては厳密な歴史的考証が要るのだと思うが、
あえて一言で書いてしまえば「とりあえず大体の位置でボルトを打って、後から直す」ということだ。
実際、最初のボルト位置はムーヴに対してかなり外れていて、
かなり長いスリングでヌンチャクを延長しなくてはならなかった、というのは事実だ。
その後、ルートがリボルトされる際に、グラウンドアップでもトライが可能な今の位置に変更されている。
グロヴァッツ自身も、「ボルトの位置はベストではなかった」と認めていたと聞く。

初登者がどのような考えでボルトを打ったのか。
そしてその後ボルト位置を変えることを承諾した彼にどのような経緯があったのか。
それに僕は今、思いを馳せる。
まず目測で打って後から直せばよい、というやり方は、今の自分からすれば驚きだ。
しかしNINJA以降、ハンマードリルとその考え方の流入を受け、
国内のボルトルートの開拓スピードは一気に加速したことだろう。
そして僕自身、そうして拓かれたルートを数多く登って育ってきた。
だから、当時のグロヴァッツの考え方を無碍に否定することは、僕には出来ない。

それならば、グラウンドアップでヌンチャクをかけながら登る、というのが理想だったのだろう。
しかし僕はそれをせず、トップロープで試登し、ヌンチャクを残した状態でトライして登った。
もっと出来ることがあったのかもしれない。
人の考え方は時代とともに変わる。グロヴァッツ自身も、変わったのかもしれない。
そして僕はその変化を経た後の時代を生きている。その時代で登っている。
このルートを登れたことは心から嬉しいけれど、歴史あるルートだからこそ、考えることもたくさんある。
そして、考えることをやめてはいけない。

素晴らしかったこのルートの記憶と共に、そのことを覚えておきたい。