2025年2月19日水曜日

Dawn Wall 2025 - Process and Story Part 1

UKClimbingの記事(英文)はこちら

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ヨセミテバレーに戻ってきて5日が経ち、この文を書いている今でも、手足は激しく痛み続けている。この5日間、私はこの痛みをずっと味わっていると言っていい。そしてそれこそが、壁の中で過ごした2週間の戦いの証になっている。

131日金曜日、人生で最も過酷な2週間と一晩の旅が終わった。Soline Kentzelと私がトップアウトしたのは、雨が降りだす直前だった。雨はそれから1週間は続く予報で、そうすると壁の上部のピッチはずぶ濡れになり、当分は登れなくなってしまっただろう。最後の12ピッチを夜通しかけて登った後で、私の指先と両足は血だらけだった。
この2週間、様々な理由で、何度となく敗退しかけた。それに最後の数時間は猛烈な痛みとの戦いで、肉体的にも精神的にも間違いなく限界を迎えかけていた。
本当にギリギリだった。結果がどちらに転んでもおかしくなかった。
壁で過ごした日々、私は最高の登りをしたと思うし、全力で闘った。Dawn Wallでの14日間の冒険は終わった。それは私の夢であり、最高の成果であり、クライミング人生におけるマイルストーンとなった。誇らしさ以上の感情が、今押し寄せている。
 

到着と準備

2024910日、私たちを乗せたアメリカ行きの船(大型の双胴船)が地中海へと出港した。フランスを、そしてヨーロッパを、少なくとも数か月は離れることになる。最高に嬉しかった!これだけ長い旅に出るのは、初めて大西洋を横断したCaptains on El Cap(注:2022年、Siebe Vanheeとの遠征の様子を追ったドキュメンタリー)のとき以来だった。その時は10か月間、7人の友人と共に、飛行機を使わずに帆船で大西洋を越え、ヨセミテでクライミングをした。

Soline KentzelMathieu MiquelAidan RobertsGuillaume Lion、そして私は、フランスで造られて太平洋のタヒチへ送られる予定だったこの船に、どうにか乗り込んだ。そのことについて心中は複雑だったけれど、私たちが目指すことは変わらなかった。それは環境のために、そしてこの社会のために正しくありたいという信念から、飛行機を使わずにアメリカへ、そしてヨセミテへとたどり着くこと。私たちがとった旅の方法と考えについて、詳しくは私たちのインスタグラムの投稿か、SolineGrimperに書いた記事、もしくはAidan RobertsSubstack(注:メールマガジンを発行する配信プラットフォーム)を読んでほしい。Solinevlogの第1回には、船の上でのトレーニングについても取り上げられている。個人的には、この二度目の旅の目標ははっきりしていた。伝説のDawn Wallにもう一度挑み、2年前に果たせなかった完登を目指すことだ(前回のDawn Wallについては、PlanetmountainClimbingMagazineを読んでほしい)。
 
私たちは船の上でのトレーニング方法を皆で考え、指とつま先を鍛えて、厳しい体作りを続けた。海を渡る間、私の心の中にはずっとDawn Wallがあり、アメリカ大陸に着くまでに体を仕上げられるように、できることは何でもやった。それは前回の旅での経験をもってしても、とても大きな挑戦だった。
 
ジブラルタルからカナリア諸島を経て、カーボベルデ、マルティニーク、そしてパナマ!フランスを出発して50日、私たちはついにアメリカ大陸に降り立った(私のインスタグラムに投稿あり)。チームとしては、これだけでも素晴らしいことを成し遂げたと言えるけれど、まだまだ先の道のりは長く、ここから中央アメリカとメキシコを公共交通機関で横断しなければならなかった。すぐに3週間のバスの旅が始まった。私たちは息をのむほど素晴らしい国々とその土地ごとの文化に出会い、出来るときはクライミングをし、そしてトレーニングを続けていった。
 
11月の終わり、およそ2か月半の旅の末に、Solineと私はついに待ちに待ったヨセミテバレーにたどり着いた。その間には数えきれないほどの冒険があった。二人ともモチベーションに溢れ、これだけの旅を終えた後にしては体の調子も悪くなかった。
 
ヨセミテではConner Hersonが首を長くして私を待っていた。この才能あふれるアメリカ人青年は、信じられないほどのエネルギーを放ち、快活で、それでいて地に足の着いた人物で、この地域にまだ登るものがあるのかというくらいに強いクライマーだ。この数年間の彼の記録は凄まじく、特にトラッドとビッグウォールについては圧倒的だった。
私とDawn Wallにトライすることになり、彼は興奮していた。そんな素晴らしいパートナーを得たことは光栄だったし、恵まれていたと思う。このルートに一人でトライすることは、途轍もなく困難だからだ。ヨセミテに着いた初日、私たちはすぐ登りに出かけた。1日だけ壁に入り、数ピッチにトライして、夜にはバレーに戻るというプランだった。旅の疲れを少しだけ感じていたものの、私はフォローでConnerについていき、すぐにクライミングに馴染んでいった。ロープをフィックスし、ムーヴを作り直し、新しい発見を得る。それを何ピッチも何ピッチも続けた。
 
2日登って1日レスト」というリズムに従いながら、数日の奮闘の後、私たちは14ピッチ目にいた。Dawn Wallで最初の5.14dのピッチだ。私を含め、ほとんどのクライマーにとってはこのピッチが核心となる(2年前はこのピッチを登れず敗退した)。
私は寝ても覚めても、それまでトライしたピッチをどう登るか、それに憑りつかれていた。どのクライミングシューズを使うのがいいか?あのムーヴではどういうポジションに入ればいいのか?指の皮をどうもたせればいいだろう?プッシュ(注:ビッグウォールを地面から繋げてトライすること)のときにはどんな作戦を採る?どうしたら全ピッチのプロテクションと、ホールドとフットホールドを覚えられるだろうか?
 
何日もトライを続けるにつれて、パズルのピースがはまり始めた。核心のムーヴの感触も次第に良くなってきた(2年前に跳ね返された14ピッチ目の最後の核心も、やっとムーヴが出来上がった)。
 
この34週間で(今回の遠征ではトータルで15日間をワークに費やした)、何百メートルとフィックスロープを登り、荷上げをし、核心のムーヴを探り、ロープを伸ばした。Dawn Wallは全く変わっていなかった。高い高い壁として立ちはだかり、このプロセスのすべてが過酷だった。クライミング、南向きの壁特有の猛烈な寒暖差、どこまでも続く強い傾斜、不安定なプロテクション、壁の上から降ってくる氷
 
ヨセミテに着いて1か月が経ち、私は疲れ切っていた。全身の筋力は明らかに落ちてきていた。それはConnerも同じだったようで、さらに1月の初めには工学を学ぶ学生生活に戻らなければいけなかった。そこで私は、年末にかけて一度Dawn Wallから離れることに決めた。それから1週間はビショップでボルダリングをして過ごし、さらにその後2週間は完全にレストに充てた。
 
正直なところ、このときはまだ、プッシュの用意が整っているとは思えなかった。厳しいセクションはすべて解決できていたけれど、それでもやることは山のようにあると感じていた。特に最大の核心部を抜けた後が気がかりだった。その先に続くピッチごとの内容も、ムーヴも、その感触も、2年前の記憶が薄れかけていたからだ。
 
しかし、プッシュに挑むチャンスがやってきた。1月に乾燥した好天周期がくるという予報が出た。そしてSolineがビレイヤーを申し出てくれた。彼女はクライミングパートナーが見つからず、ヨセミテで時間を持て余していたのだった。自分の用意が完璧でなかろうが、考えれば考えるほど、この機会を逃してはいけないという気がしてきた。もしこれで完登できなくても、春の間はまたトライするチャンスが残っている。それにプッシュこそが、Dawn Wallを登りきるその日に向けた最高の用意になるのではないか。
 
よし、これで決まりだ!プッシュに臨もう。時期は1月の半ばだ。
 
思考と躊躇いで頭を使った後は、プッシュに必要な物資を用意しなければいけない。
 
112日、私は単身、二人が丸2週間生活できるだけの水、食料、ギアを荷上げする作業に取り掛かった。目指すのは地上400メートルにあるポータレッジキャンプだ。荷物は全部でなんと130キロ!ソロでの荷上げシステムに慣れていなかったこともあって、丸一日かけて作業を終えた私はエネルギーが完全に切れてしまっていた。
運の悪いことに、この荷上げのせいで私は腰を痛めてしまい、翌日からしばらくは少し動くだけでも痛みに襲われた。クライミングのことを考えられるようになるまで、結局4日間完全にレストすることになった。
 

The PUSH

Dawn Wallのプッシュは14日間に及び(そのうち5日間はレスト)、すべてのピッチを私が登った(全32ピッチ、うち19ピッチが5.13a以上)。すべてのピッチを下から順にリードで、ギアは登りながらセットし(バードビークやリベットボルトのように設置にハンマーが必要なものは除く)、ボルトが打たれているピッチはクイックドローがかかった状態で登った。途中で地上には戻らず、食べ物や飲み物の供給といったサポートは受けていない
準備までの様子はVictoria Kohner-Flanaganが記録し、またプッシュの様子はAlex EggermontChris Nathalieがほぼすべて映像と写真に収められてくれた。写真等を見たいという人は、彼らに連絡を取ってみてほしい。映像作品の制作も現在進行中だ。
 
117日金曜日、午前5時、Dawn Wallの最初のピッチに取り付いた。ビレイとサポートはフランス人クライマーのSoline Kentzel、そしてAlex Eggermontがカメラを持って同行した。
 

Day 116ピッチ目、そして7ピッチ目のトライ(最後のムーヴで失敗)

午前5時に地面を離れた。気が張っていたけれど、同時にモチベーションと興奮でいっぱいだった!
午前中のうちに5ピッチ目までを登った。3ピッチ目は長く厳しいピッチで、しっかり5.13cある。最初のトライはアンカーの直下でスリップしてしまい、2トライ目で登った。
6ピッチ目の下のレッジで23時間レスト。壁が日陰になってすぐ、6ピッチ目を登った。
その後は、7ピッチ目のムーヴをおさらいし、ホールドにティックマークを付けた。ここはホールドが滑りやすく、テクニカルで、不確定要素の多い5.14aだ。
1回目のトライをしたのは日が暮れる直前だった。核心を越え、すべての悪いセクションをこなしたものの、プロテクションをいくつかセットせずに登ってしまい、さらに難しいパートの最後にあるボルトもスキップしてしまった。気づけば、自分の墜落を止めてくれるものは錆びたバードビークのみ。そして体の疲れも感じていた。
ここで落ちるのはまずい。20メートル近くは落ち、そのうえギアがはじけ飛ぶかもしれない。完全に限界だった。リスクがあまりにも高すぎたし、腰もまた痛み始めていた。そして、私は苦渋の決断でクイックドローを掴んだ。やれやれ、これで安全だ。それでも恐ろしい量のアドレナリンが出た。初日の終わりにしては強烈だった。辺りはもう暗いので、明日もう一度トライしよう。
 

Day 279ピッチ目

壁が日陰になるのを待ってから登り始めた。午後230分、7ピッチ目にトライした。
すんなりと核心を越えたものの、最後のセクションで指先とつま先が疲れてきて、必死になってアンカーにたどり着いた!よし、これで最初の5.14は終わった。残るはあとたった6つだ、ハハッ!
次のピッチはボルトが打たれた短くボルダリーな5.13d。テクニカルで指への負荷が大きいピッチだ。
1トライ目はスリップして落ちた。2トライ目も、手が弾かれて落ちてしまった。3トライ目はヒールフックが抜けて落ちた。4トライ目はムーヴを間違えた。おっと、長い戦いになってきた。
ラッキーなことに、最後にはベストなムーヴが見つかり、次のトライで登ることができた(5トライ目か6トライ目)。
この時には既に真っ暗だったけれど、9ピッチ目までは登らなければいけなかった。ヘッドランプを点け、少しフィジカル要素の強い5.13cのトラバースを登り始めた。このピッチは手早く、スムーズに片付けられた。
 

Day 3:ポータレッジキャンプでレスト

厳しい2日間を終えて、この先に特にハードで厳しいピッチが待っていることを考え、この日は一日レストすることに決めた。
この日の目標は指の皮を回復させ、水分と栄養をしっかり摂り、出来る限り日陰で過ごすことだった(寝袋をポータレッジの日よけに使った)。
 

Day 41013ピッチ目

ルートの完登を左右する重要な一日だった。この日の4ピッチはエネルギーを使いすぎず速く切り抜けたいと思っていた。
10ピッチ目(5.14a/b)にギアを掛けながらウォーミングアップをして、最初のトライでこれを登った。核心ではかなり力を使った。
夕暮れのすぐ後、11ピッチ目を登った。30分の休憩を挟み、12ピッチ目(5.14b)も最初のトライで登った。
続く13ピッチ目(5.13b)も、ムーヴを少しだけ練習した後、やはり最初のトライで登ることができた。
この日のクライミングは完璧に終わった。そしていよいよ、最大の核心である14ピッチ目の下に着いた!
もうこの夜のうちにトライしてしまおうかと思うほど気持ちは燃えていたし、アドレナリンも全開だった。
 

Day 5:核心ピッチのトライに備えてレスト

疲れは特別感じなかったけれど、核心ピッチを前に、出来る限り体をフレッシュにしておくことが大切だ。
 

Day 614ピッチ目(5.14d

1月にしては暖かい日だった。核心が3つあるこのピッチでは、気温が重要なファクターになることは分かっていた。
そこで私は、日が昇り、壁が照らし出されるよりも早い午前5時から登り始めることにした。
530分、ムーヴを確認してホールドにチョークをつけなおすためにまずは1トライ。こうしないと、ホールドがそこにあることすら分からなくなる。
感触はとても良かった。
最初のレッドポイント・トライ。空を飛んでいるような感覚で、すべてが易しく感じ、登り始めて数分で私は最後の核心に差し掛かっていた。これなら登れる!左への大きなムーヴを繰り出す。しかし最後のホールドに手が届いたところで、私は滑り落ちた。
苛立ちの籠った叫び声が、体を突き抜けていった。
20分レストして集中しなおし、日が差す前にもう一度トライ。
2回目も同じだった。感触は驚くほど良く、最後の核心に差し掛かって、またスリップした。
太陽が昇り、今日はこれで終わりだ
惜しい感触はあった。しかし、次のトライでもまたスリップするかもしれないという悪いイメージが湧いてきてしまった。
ポータレッジに戻ると、さらにもうひとつの問題が浮上した。腰が耐えられないくらいに痛み始めた。
 

Day 7 and 8:レスト

続けてもう1日登る予定でいたが、起きてすぐにそれは無理だと分かった。腰が痛すぎる。
このプッシュで本当に完登することができるのか、疑問が湧いてくる。
ゆっくりと優しくストレッチをすると痛みは和らいだが、完全には治まらなかった。
 

Day 914ピッチ目

目が覚めると、腰の痛みはましになっていた。治ってはいないものの、イブプロフェンを飲めばどうにかなりそうだ。この日は曇りで、気温も低く、つまり完璧なコンディションだった。私は最後の核心のムーヴを確認しながらウォーミングアップをし、なぜここでスリップするのかを考えた。そしてどうやらその答えが見えた。成否を分けるのは、足の置き方だった。
1トライ目は2つ目の核心でスリップ。
234トライ目は1つ目の核心でスリップした。
腰が痛くなってきた。タイトなシューズに押し込まれたつま先は冷え切り、温めるのに苦労した。ありがたいことに、最高のビレイヤーSolineが、トライの合間に私のつま先を彼女の体に当て、温めてくれた。
5トライ目、1つ目の核心を越えるも2つ目で落ちた。
6、7、89トライ目は、また1つ目の核心でスリップした。
私は半ば諦めかけていた。
時刻は430分、そして5時には雪が降るという予報だった。残るはあと1トライ。「できる」と自分に言い聞かせた。
10トライ目。スムーズとは言えない登りだった。しかし1つ目の核心を越え、2つ目も抜けた。3つ目の核心の手前にあるレストポイントに着くと、雪が降り始めた。シューズと指先が濡れ始める。もう駄目だ、と思った。しかし、失うものは何もない。私は突っ込んだ。そして、問題の遠い一手が止まった。足は滑っていない。最後のガバを掴む。まだ落ちていない。やった!14ピッチ目を登った!しかも雪の降る中で!
ただただ、この上なく幸せだった。
ポータレッジに戻ると、荒々しい吹雪がやってきた。それでも私は恍惚としていた。


つづく

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