1月8日(水) 移動日
赤穂で泊まった海辺のキャンプ場は、静かで良い場所だった。
駐車料金だけでテントまで張れるのは非常にありがたい。
ゆったりコーヒーを淹れ、ぼちぼち移動開始。またひたすら下道で尾鷲を目指した。
道中、明石の街に寄り道し、明石焼きを食べた。
他には、道の駅があったらとにかく入ってみた。北海道に行った時もそんなことをしていた気がする。
大阪を抜ける間際に見つけた、千早赤阪の道の駅が「日本一かわいい道の駅」を自称していて面白かった。
こじんまりとして手作り感が溢れ、自称するだけあって非常に良かった。
奈良に入り、飛鳥で風呂と夕食を済ませ、深い山中に入っていくと雪道に。
飛び出してきたタヌキを避けたりしながらひた走り、尾鷲の三木里に着いたのは23時過ぎだった。
1月9日(木) 楯ヶ崎 Yosemiteエリア
起きるとテントが凍っていた。日当たりがいい場所にテントを張りなおしてから朝食、のちに出発。
神須ノ鼻には来たことがあったけれど、楯ヶ崎は初めて。
この日から強い寒波が来ていたので、日当たりがいいらしいYosemiteエリアに行くことにした。
道路からガードレールを乗り越え、少し迷いながらエリアへ下りていくと、貸し切りだった。
初めにいかにも快適そうなStay Gold(5.10a)を登り、続けてすぐ右のMy Way(5.11a)もOS。どちらも気持ちよい。
ここの岩はクラックのほかにポケットが多く開いていて、いかにもな柱状節理の神須ノ鼻とは少し質の違いを感じる。
とにかく日差しが強く、地形のおかげか風は弱く、非常に暖かかった。寒波だというのにTシャツで登れるくらい。
3本目に看板ルートらしい果てなき航路(5.12a)をやってみる。
My Way等に比べると序盤からジャムもプロテクションも決めにくく、結構パンプする。
右に抜ける5.11cと分かれ、左のフェースに出ていくところからプロテクションが一気に小さくなり、かなり時間をかけてOSした。
核心のプロテクションがひたすら#0.1と#0.2で痺れる。
My Wayの終了点から続くレッジに一度乗れてしまうのが少し残念だけれど、看板と言うにふさわしいルートだった。
最後にもう一本、ハートカクテル(5.12b)もOS。
こちらは先ほどから一転して短くボルダリー。得意なサイズだからか、果てなき航路よりも易しく感じた。
そうして登っている間、My Wayと果てなき航路の間の壁にある切れぎれのクラックが目に入って、気になっていた。
クラックが途切れている部分にはちょうどよくポケットがあり、プロテクションも入りそうに見えた。
が、流石に日が暮れてきたのでこの日はトライせずに撤収。
ハートカクテルのあたり
尾鷲市街まで出て買い出しを済ませ、三木里のキャンプ場へ戻ると、テントが吹き飛んでいた。
日中に突風で飛ばされてしまったらしく、近くのアスファルトに転がっていた。
ペグを打って、中には荷物も入れていたけれど、相当強い風だったらしい。岩場の快適さからは想像できない。
荷物は無事だったものの、秋に買ったばかりのテントはフライも本体も穴だらけ。
2人とも呆然。
1月10日(金)
前日、エリアの開拓者であるYabuくんに連絡して、例のラインのことを聞いてみた。
すると未登だとのことで、これはやってみるしかないと思った。
が、「スカイフックの連続になりそうだったよ」とのコメントが返ってきた。
トップロープで触ってみたというYabuくんがそう言うとなると、かなりリスクが高いのではないか。
見た目の印象では、ギリギリまでリハーサルなしのグラウンドアップで登ろうと考えていたが、
このYabuくんからの返事を聞いて考えが変わった。
結局、これは一度リハーサルをした方が良いだろうという判断をした。
Yosemiteエリアに着いて、Stay GoldとMy Wayを登ってアップ。
My Wayの終了点からプロテクションを入れつつ例のラインをロワーダウン。
クラックは途中完全に閉じるところがあるものの、それ以外は思ったよりも開いていた。
一度地面まで降りて、それからカムを差しつつトップロープで登り、ムーヴを解決していった。
結果的に、特殊なプロテクションはほとんど使わずカム主体で問題なく登れることが分かり、ムーヴもほぼ固まった。
これまで瑞牆でやってきた方法なので、妙な安心感があった。
そしてそのまま、使うギアを左右順番にラッキングしてリードでトライ。
果てなき航路を数メートル登り、すぐに左の壁へ。
ポケットと閉じ気味のシンクラックを繋ぎ、フェースの中央をトラバースを交えながら登る。
極端なランナウトはなく、程よいパンプと緊張感でレッジまで登りきり、My Wayの終了点に合流した。
体感は5.12c PDというところ。名前は「海路の日和」とした。
最後のフィンガークラックまで気が抜けず、内容としては充実感のある良作だったと思う。
海路の日和
その一方で、グラウンドアップでのリードは十分に可能だったと感じ、それがどうにも悔やまれた。
もしこのラインをリハーサルなしで地面からトライして、登ることができたなら、それこそ最高のクライミングになったはずだ。
これはプロテクションが予想したよりもずっと良かったからこそ言える、結果論なのかもしれない。
しかし「本当にプロテクションが取れるのか」という不確定要素を前にして、そこで一歩踏み出す精神が、これからの自分には必要だ。
グラウンドアップ、あるいはグラウンドアップでの初登という理想を、そう簡単に手放してはいけないと感じている。
それが現在の自分だ。
その現在地から後ずさるのではなく、まだ前進したいと願うものだ。
グラウンドアップを殊更に賛美したり、他のやり方を否定するつもりはない。
初登ということそのものに感じる魅力も、僕の中では依然変わっていない。
しかしただ登れればいいのではなく、「よりよく登りたい」という考えを、僕は持ってしまった。
それにもっとこだわることができる強さを併せ持っていなくては、と考えさせられた。
日が陰り、風がとにかく冷たかったので、早めに撤収することにした。
車の温度計は3度を示していた。やはり強い寒波と言うだけのことはある。
1月11日(土) 移動日
前夜、尾鷲の町はずれまで移動して泊まり、この日は朝から走って伊勢へ。
のんびりとお伊勢参りをして、伊勢うどんも食べて、めずらしくしっかり観光。
駐車料金をがっぽり1000円とられたことを除けば、良い寄り道だった。
ダシがあまりにも黒く、まぜそばみたいに見える
あとはまた下道で岐阜方面を目指した。
途中で夕飯を挟みつつ、また深夜まで走って、中津川で泊。
流石にここまで来ると、尾鷲とは寒さの質が違った。
1月12日(日) 移動日
荷物をテトリスのごとく詰め込んで車中泊にしたおかげで、冷え込みの厳しい山間でも快適に眠れた。
曇天模様の木曽路に入ってすぐの道の駅で朝食、それからもうひとつ三岳の道の駅に寄り、さらに木曽福島にも寄り道。
交通費節約のためというより、寄り道をするために下道を選んでいる節すらある。
思い返すと大堂海岸から全部合わせて丸3日は車を走らせた気がする。
長い長い帰り道を走り切り、夕方に帰宅。お疲れさまでした。
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