もう1週間たってしまいましたが、まずは先週末のことを。
先週の日曜日、春の陽気の中、大ザルと瑞浪に出かけた。
なんだか分からんけど、ものすごく賑わっていた。これが平常なのかな。
どこのルートにも大体人が取り付いている。
夏の週末の小川山を一カ所に押し込めたみたいだった。
とりあえず10台のカンテを登って、コーナークラックの5.8も登って、
ちょうど空いていたので「イヴ」をリピートすることに。
が、カムの選択がことごとくはずれ、セットに手間取ったりしてあっさりテンション。
リピートだからといって、舐めてかかっちゃ登れませんわな。
それよりむしろ、前回よく一撃したな。
なんだかいろいろ上手くいかなくて頭にきたので、次のトライでちゃんと登りなおした。
それから10台までのスラブや太めのクラックを数本登り、
日がガンガン当たっている「アダム」も登って、
指も爪先も痛くなる程度には体を動かしたので、まあよしとした。
指皮が、ちょっと間が空くと普通の人のそれになってしまうように、
クライマーの足だってしばらくすればシューズを受け付けなくなってしまうみたいだ。
なんであれ、身体になにかを与え続けるって、大切なんだなと思う。
ところで、瑞浪は岩がコンパクトで、簡単に回り込めるので、
トップロープは張りやすいし、いろいろと手軽で快適だ。
それにしたって、この日はリードで登っている人をほとんど見かけなかった。
それこそ、なんだか不気味なくらい。
クラックだってスラブだって、怖いものは怖いし、
確実に慎重にやろうというのは勿論いいことだと思うけれど、
それでもリードで登ることが前提にあってこそのトップロープなのではないのか。
リードルートをトップロープで登ったって、それで終わっては勿体ないでしょうに。
クラックであろうとなかろうと、
そのルートにリスクがあろうとなかろうと、
それらは墜落することを覚悟のうえで、あるいはそれを克服する覚悟のうえで、
向き合って頑張らなくては、なんというか、勿体ないのです。
そのうち、トップロープで登って「〇〇をRPしました」というのがまかり通りそうで、
そういう風になってしまうのは、凄く嫌だ。
気のせいかもしれないし、気のせいであってほしい。
さて、ぼやくのはこれくらいにして・・・
僕はこの春から、社会人になりました。
紆余曲折を経て、自分が目標にしていた職に就くことが出来ました。
先日、引っ越しを終えて実家を離れるとき、
マイカーに乗り込む僕を見て、祖母が一言、
「やっと大人になった感じがするね」と言ってくれました。
後から噛みしめてみると、これが結構重く感じます。
これからは、これまでとは違います。
これからクライミングとどれくらい向き合えるのかは、今のところ分かりません。
一気に登れなくなるかもしれないし、案外変わらないかもしれません。
どちらにしたって、僕は少し違う人間になるようです。
そんなことを考えたときに、ふと、ブログをどうしようかと考えました。
ここで一区切りにするというのも、選択肢としてはアリなのかと。
そもそも、社会人になったのに「大腸菌小僧」という名前はどうなのか、とか。
でも、変えることはしません。
だって、社会人になっても、それ以前に自分はクライマーなのだし。
クライミングとの付き合い方がこれまでと少し変わるだけのことです。
社会人になろうと、いわゆるオトナになろうと、
きっと僕が尊敬する人たちにとっては、僕はいつまでたってもやっぱり小僧なのです。
それに、小僧のままでいたいな、とも思います。
スーツを着るようになっても、岩場へ行けばまた苔と泥と埃にまみれている、
そんな自分のままでいたいわけです。
あー、早く瑞牆のシーズンにならないかな。