2019年11月4日月曜日

できることとできないこと

またご無沙汰です。
遠征から帰って以降は、また例によって社畜生活をしていました。
加えて今年の秋は天気がやたら悪いときて、
外に行けそうなときでもジムで悶々とするしかないこともありました。
結局、日々できることと言えば、家の壁で登ることくらい。
サイズ的に、どんなに長くしても5,6手が限界なので、
単発、且つ保持してなんぼのタイプのムーヴで強度を出すことになる。
まあ、それはそれで結構好きなんですけどね。
保持力は少し上がったようで、Beastmakerの6mmでやっとぶら下がれるようになった。

やっとまともに晴れてくれたこの連休、1日だけ休みがあったので、恵那に行った。
着いてみると、日向は若干暑いくらい。やっぱり長野とはちょっと違う。

新トポに載っている猪待ち右エリアに行ってみることに。
駐車場から適当に下っていくと、アプローチというより適当に斜面を下る感じになった。
まだ公開から日が浅くて、あまり人が入っていないから、ということ?
とにかく、森の中に張られているビニールテープを頼りに下ったら岩発見。
エンパシーの岩に行くと、すごい久しぶりに肩エンジェルさんとユーイチさんに会った。
なんでも、肩エンジェルさんの観た「エンパシー」の動画だけを頼りに来たらしい。
よく見つけましたね。

周辺で適当にアップして、「エンパシー」(三段)から。
アップを済ませて合流と思ったところで肩さんが登ってしまった。強い。
「これで出てくれ」と言わんばかりの棚ガバから、
「どうにかして持ってくれ」と言わんばかりの微妙なエッジがぱらぱら。
ヒールをかけて力を逃がしたらなんとか浮けるタイプ。
頑張ってそれらしいムーヴには行きついたものの、核心になる3手目が出ず。
そのうちヒールのソールがべろんべろん剥がれてきたので、そこまで。

続いて、すぐ下にある「ハナ」(二段)が面白そうなので、やってみる。
左手はもわーっとしたカンテをバシバシ、右手はぎりぎりのカチやポケットで処理。
左右でホールディングが対照的でいい感じ...とか言う余裕はない。右手痛いし。
これも肩さんが一抜け。すごい安定感。
カンテのスローパーの保持をあれこれして、危なっかしく登れた。
外で二段を登るのは実際かなり久しぶりかも。これは素直にうれしいな。
これは「花」ではなく「鼻」なんじゃないかという説が有力

下の方へ移動して、「ヤタノカガミ」(四段)とかを見学して、「万力」(三段)へ。
もう見るからに抱えて挟んで登れという感じのライン。
で、見るからに離陸と一手目が悪そう。
3人で代わる代わる入ってみるものの、初めは全員浮けず。
マットに寝そべって、尻が浮かず、鼻息だけ荒くなっている。
「いや、今5回くらい本気出したよ」「そうは見えないんですけどね」
とかなんとかやっているうちに、肩さんが離陸。
「分かった。万の力を出せってことだ」
という名言(?)は置いておいて、とにかく離陸は解明された。
その後、今度は地上10センチからの背中落ち大会を繰り広げ、
1回だけ1手目のピンチ取りが止まったくらいで敗退。
2手目以降は大まかにバラせたので、次はもうちょっとマシな戦いをしたい。
こういうフィジカルな部分は、やっぱり大きな壁でないとできないところかなぁ。

暗くなる前に上の方へ地獄の登り返しを済ませて、最後に「アルデバラン」(三段)。
すでに指皮は痛かったけれど、肩さんのアドバイスで飛距離は少し伸びた。
これはそもそも指も足腰もフレッシュな時にやるべき課題ですね。


久しぶりに薄暗くなるまで登った。
そういうことが「久しぶり」と言えてしまうことも、
山で一日過ごしただけで翌日身体がぐったり重くなってしまうことも、
悲しくて仕方ないのだけれど、今はこれが現実。
ブランク明けだから仕方ない、ということにして、
また当分は家の壁でのハムスター的な生活が続くのです。


2019年9月8日日曜日

Charakusa その5

8月16日
BC撤収〜バックキャラバンday1。
ポーター軍団が凄い勢いでBCを畳んで、担いで、出ていくのを見ながら、ゴミやら食料の余りやらを処理した。今朝は冷え込んで、テントのフライが凍っていたくらいだった。
が、日中はやっぱり日差しが厳しかった。その中での下りはスムーズで、BC入りの日のしんどさが嘘のようだった。とはいえ、距離はあるし、氷河の上はやはり歩きにくいので、Saichoに着く頃には疲れていた。
K7BCの方を、何度も何度も振り返りながら下ってきたのだった。
Saichoでテントが建って落ち着いてから、ポーターが何人も「靴ズレに何かつけてくれ」とやってきた。そりゃあ、サンダルみたいな靴であの荷物を背負って、あの道を来たらそうなるって。
マキロンを吹き付けて、ケアリーブを貼ってあげた。


お花畑のイサおじさん

8月17日
バックキャラバンday2。
Saichoからいよいよ下界へと下る日。天気が心配だったが、ずっと曇りでもってくれた。
フーシェの村が近づいたところで、イサが道端に生えているエンドウマメらしきものが食べられることを教えてくれた。なるほど、ほのかに甘かった。先に行ったポーター軍団が片っ端から食べたらしく、道にカラが点々、いい実はあまり残っていなかった。
フーシェのゲストハウスでひと休みして、ランチも頂いた。ここのご主人は気さくさの結晶のような人だった。
下山してきた人で多国籍ごった煮状態の中に、Little Karimというおじさんがいた。イサに「とても有名な人」と紹介されたけれど、存じ上げず。あとで調べて、生きる伝説的な人だと知った。
ポーター軍団とはここでお別れ。特急で駆けつけてくれたので、多めに払ったら、皆大喜びでお礼参りの列が出来た。
この日はジープでイサの故郷Machuluまで下って、静かなゲストハウスで泊まった。


8月18日
Machuluは景色のいい素敵な村だった。ここまで下っても、マッシャーブルムはまだ見えていた。

ジープでがたがたと下り、Khaplu手前の養魚場に寄り道。乾燥して見えるこの土地で、やはりこういう場所は珍しいのだという。というか、そもそもパキスタンの人が魚を食べている姿があまり想像できない。
すぐ裏手の山にある仏教の壁画を見に行ったりして、イクバルが作ってくれたランチも頂いて、彼とはここでお別れ。最後までお世話になりました。
午後はスカルドゥまでゆっくりドライブして、来たときと同じホテルに落ち着いた。ここでの滞在は丸3日あるので、近所でシャンプーと石鹸を買ってきて、久しぶりにきちんとシャワーを浴びた。
南国のリゾート(のような養魚場)


イクバルが出してくれたコーラのキャップがもうパンパン


8月19日〜21日
スカルドゥ滞在。
大体毎日、午前中はゆっくりスタートして、午後は食べすぎた昼食の消化で唸っていた。
その間に観光局(リフォーム中)でデブリーフィング、荷物のパッキングと発送を済ませた。
パキスタンという国そのものに慣れてきたのか、あの異様に情報量の多いバザールの中も、幾分落ち着いて歩くことが出来るようになった。
お土産にスパイスやらなにやら怪しげなものも買い込んでおいた。
ところで、ホテルのシャワーがずっと水しか出ず、3日目ついにシャワーからお湯が出る夢を見てしまった。と、荷物の発送を終わらせて部屋に戻ったらなんとお湯が出た。正夢だ。そしてシャワーからお湯が出るだけで、人はこんなにも幸せになれる。

8月22日~24日
イスラマバード滞在。
22日の朝の便でスカルドゥからイスラマバードに移動した。行きも帰りも含めて、スカルドゥでは一番天気のいい日だった。つくづく運がいい。

窓からはナンガパルバットが見えた

帰ってきてみると、やっぱりイスラマバードは灼熱。スカルドゥで留まって正解だった。
23日にはイサの経営しているレストランにも行ってみた。
で、やっぱりここでもフードファイト。外食するといつも食べすぎる。
おしゃれなカップ(零れるのはデフォルト)

ホワイトチキンカライー

ここでイサともお別れ。何から何まで本当にお世話になりました。また来ます。

24日の夜の便でイスラマバードを発った。帰りはおなじみのエコノミークラス。当然、空間も食事もエンタメも全部違う。スマホに映画をダウンロードしておいて助かった。
25日の夕方に羽田に着いて、次の日からまた現実社会での生活が始まりましたとさ。

2019年8月31日土曜日

Charakusa その4

8月13日
Nayserに登る日。
4:00起き、5:00発。昨日の夕食を油控えめにして、朝食をアルファ米とフリーズドライにしたおかげか、腹の調子は1日問題なし。というか、そもそも出ず。何なのだろうか...
Nayser東側のルンゼを詰めて、コルを目指すアプローチは、中盤まではほとんど沢登りだった。なんだか益々、夏合宿っぽいぞ。
しかし高度のせいもありペースは上がらず、残雪とガレを上ってコルに着く頃にはヘロヘロに。


気を取り直して、British Routeに取り付く。初めの2ピッチは広いスラブの中を軽い音のするフレークを繋いで登るもので、好きなタイプだがルートファインディングに時間がかかった。3ピッチ目はアラカワくんがリードしてリッジに出て、4ピッチ目で更にリッジ上を伸ばした。ここも若干プアプロ。
5ピッチ目でアラカワくんが行き詰まり選手交代。一層ランナウトするトラバース〜スラブだった。
そこからの3ピッチは、完全にリッジに乗ってのトラバース。特に最後はノープロで馬乗り。これは怖い。



16:00頃にトップアウト。雨雲がすぐそこまで迫っていたので、急いでリッジトラバースの3ピッチを逆走。ラペルに入るところで、完全に雨になった。寒く、濡れとロープが巻き込む砂に苦しみながら、計6ピッチのラペルをこなし、コルに降り立った時には薄暗くなっていた。
ここでビバークする案もあったが、濡れて寒いのでやめ。コルから反対側の谷へ下山。アラカワくんが偵察しておいてくれたおかげで、暗い中でも確信をもって下りることができた。
月明かりの下、BCに帰ったのは21:00過ぎ。長い1日だった。

BCに着いたら真っ暗

8月14日
朝から雨。
昨日の疲れからか、眠りが浅いままだった。当然することもないので、ひたすらゴロゴロした。濡らした衣類やギアを干そうにも、雨は降ったりやんだりなので、外には出せず。暇を持て余して、6ミリの捨てヒモでテントの天井に物干しを作って、申し訳程度に吊るしてみた。
夕方、また衛星電話で天気予報を聞いてみると、15〜16が少し回復、17から荒れ模様で、BCでも雪の可能性ありということだった。流石に困った。17に天気が回復して、その日に少しだけ登れるかも、なんてことを期待していたのだが、荒れてしまっては下山すら危うい。
ということで、イサにフーシェへ連絡を入れてもらい、なんと明日の夕方にポーター軍団が上がってくることになった。
アラカワくんはイクバルとイサにチャパティの作り方を教えてもらい、夕食にはその作品が並んだ。道具を一式買って帰るとのこと。益々彼のパキスタナイズが進む。
こうやって薄く延ばすのが難しいらしい

8月15日
思いがけずBC最終日。
午前中は濡れたままだった物を干す。ついでに選択も済ませた。
午後はアラカワくんの希望でNayserの末端にある壁を登りに出かけた。BCへの道が川べりをへつる辺りに、たしかにいい壁があった。

アラカワくんが勇ましくリードしていったものの、早々にカムを消費して30メートルくらいのところでピッチを切った。
「どれ、貸してみなさい」とバトンタッチして次のピッチに乗り出してみたら、クラックやフレークが尽く閉じていてランナウト。内容は変化に富んだ5.10という感じで面白かったが、かなり緊張した。
そして、ピッチを切っても下降するポイントが見つからずうろうろ。結局、やっと見つけたピナクル状で60メートルのラペル一発で降りられたが、ナイフをBCに置いてきてしまったので、自前の180スリングとカラビナを残置。壁が素晴らしいだけに、後味の良くない終わり方になってしまった。
BCに戻ってから、片付けをして、最後の晩餐。アラカワくんが、「今夜はなにかジャパニーズフードを作るよ」と宣言した手前、悩んだ末に大量に余っていた卵で卵とじ(風)をこしらえてくれた。サーダーさんがコーラとマトンを持ってきてくれたおかげで、盛り沢山の夕食だった。また食べすぎた。
夜中に起きると、満月で花の色が分かりそうなくらい明るかった。


2019年8月28日水曜日

Charakusa その3

8月9日
Iqbal wallに登る日。
朝食で久々にアルファ米を食べた。
アプローチ途中で2回の腹痛。先行きに多少の不安を覚えつつ、予定より30分遅れくらいでクライミングスタート。
1ピッチロープをつけて登り、上の壁の基部までは草付きの歩き。壁に当たったところでクライミングを再開。


ここは変則チムニー〜易しいワイドときて、最後はジャリジャリのハンドトラバースに入り込んでしまった。えらくしんどいピッチになってしまって、ライン取りをミスした気がした。
その後、歩きのピッチ、5.9程度のコーナーで広いリッジに出た。続けて草付き、チムニー〜クラック〜トラバース。このピッチも中間に出てきたレイバックがしんどく、こなした後酸欠になった。ぜーはー言いながら、この高度でボルダームーヴをこなすのが生半可なことではないと思い知った。順応が必要なわけだ。
最後にチムニーから分かれてスラブを登り、一応壁の上にあるリッジに立った。でも、まだリッジは上へと続いていた。余力も時間も余裕もなかったので、頂上へのリッジへは継続せず、来た方向へ下降した。
5.9程度のコーナー


下降

6ミリの捨てヒモを結構な量消費して、草付きの斜面に降り立ったのは16:30を過ぎた頃。そこからの下りもまだ長く、ラペルをもう一度はさみ、取り付きの辺りに戻ってデポしたホールバッグを回収。BCに戻ったのは19:00頃だった。
エガワさんにはなんとかピークに立ってほしかったが、順応も十分に出来ない強行スケジュールの中ではよくやった方なのかもしれない。それでも反省は山積み。
夕飯に出てきたポテトがやたら美味かったが、あまり食べられなかった。


8月10日
朝から雨。小止みになったタイミングで、エガワさんが荷物をまとめて下山していった。

あとは特にやることもなく、雨が降ったりやんだりする空模様と合わせるように寝起きを繰り返した。絵に描いたような沈殿。
混ざったままのギアを仕分けしてみたり、NetflixでダウンロードしておいたDawn Wallを観て、もう4回目だというのにウルッとしてみたり。持ってきた文庫本もかなり読み進めた。時間つぶしのために持ってきたものを着実に消費していっている。沈殿が何日も続いたらもたんぞ。
夕方、雨が上がったときに、壊れた双眼鏡でNayserを観察してみた。これといって大きな成果はなし。ラインもよく分からないままだった。もっと倍率の大きなものでないとダメか。あとは現地で読み解くしかないのか。

8月11日
また今日も沈殿。
持ってきた本は読み終えてしまい、いよいよ本格的にやることがなくなってきた。寝て、起きて、茶を飲み、イクバルの作ってくれる食事を頂く。あとは特になし。
腹の調子はずっと良くないまま、ずっと下り続けている。胃薬も聞いているやらいないやら。原因はいろいろと考えられる。高度、水、食事、そもそもの生活云々。スパイスは最近控えめなので、そうなると考えられるのは油だろうか。食べれば美味しいと感じるのだが、あまり油分を摂りたくなくなってきている感じもある。さっぱりした麺が恋しい気分。
夕方、日本に電話して天気予報を入手。明日明後日が回復し、14〜16は崩れるとのこと。ということは、この先2日が実質のラストチャンスか。その1回のチャンスをものにできるか。やはりこれは、大人の遊びらしい。

8月12日
今日は晴れた。
午前に洗濯などしていると、遠くに人影。ポーター軍団がざわざわとやってきた。今回はベルギー人パーティーのトレッキングだった。5〜6人いるらしく、キャンプも大規模。しかし、明日にはもう帰るのだという。クライマーでないのが残念。ポーター軍団は近くの石積みのところにシートで屋根を作ってビバークしている。なるほど、あちこちにあるこの石積みはそうやって使うのか。
昼食後にNayserの下降路を偵察しようと出かけたものの、途中でまた腹痛。からの、下痢。今回は特に酷く、完全に病気のそれ。BCに戻るしかなく、偵察はアラカワくんに一任。流石にイサにも心配された。ひたすらトイレで流し出して、あとは腹にガスがたまる一方。結局、何が原因か未だに分からず。
2時間ほど寝るとアラカワくんが帰ってきた。衛星電話で改めて予報を聞いても、状況は特に変わらず。やはりアタックするなら明日しかない。夕飯は油少なめなものにしてもらい、腹の張りを気にしながら食べた。
予想していなかった形で正念場。遠征は折り返しとなった。
夕闇に浮かぶNayser Brakk

洗濯にいそしむ半現地人アラカワくん

2019年8月23日金曜日

Charakusa その2

8月5日
フーシェへの移動日。
ホテルのチェックアウトのときに、オーナーらしきおじいさんとハグ。「よい旅を。イサがガイドならOKさ」とかなんとか言っていた。ありがとう。
ジープの狭い後部座席に3人で押し合いへし合い収まって、まずインダス川沿いを東へ。そこから分かれて2時間ほどのドライブでKhapluに到着。ここでランチ。床に置いて手で食べるスタイルは初体験だった。スパイシーさは控えめだったが、また食べすぎた。
食後にニワトリを購入。シートの後ろで箱に入れられてピヨピヨ言っていたが、すぐに車がオフロードに入ってしまい、聞こえなくなった。
この辺りから行く手にものすごい山が見え始めた。土地勘が皆無で、遠くに見えるピークに心惹かれても名前が分からないので、少しもどかしい。
ポリス イズ ユア フレンド


イサの出身の村Machuluを過ぎ、もう1時間ほど走ってフーシェ(Hushey)に到着。ひたすらよく揺れたし、尻もごわごわになったものの、景色がとんでもないのでさほど苦痛でもなかった。
ゲストハウスに落ち着いてから辺りを散歩し、村の子どもに「なにかくれ」と取り囲まれ、梅をあげたら一口噛んで皆吐き出していた。それでもやたらせがまれたので、大分減ってしまった。

村にある学校の塀にあったスローガン

8月6日
アプローチday1。
ポーター軍団は先に出て、こちらはゆったりと朝食。
チャラクサから下山してきたブルガリア人が食堂にいた。「肺炎にかかったから先に下山してきた」と言っていた。仲間は今日あたりNayser Brakkに登っているらしい。どうだっただろうか。


フーシェの村からマッシャーブルムを正面に見ながら谷を進み、右へカーブしていくと、あるわあるわ、歩いて数時間で行けそうなところに凄まじいトンガリが。実際どれくらいかかるのか分かったものではないけど。谷の周辺に見えてくるものが大きすぎて、遠近感がよく分からなくなる。
今日の行程は短く、3時間ほどでキャンプ地のSaichoに着いた。正面奥にK7山塊が見えている。
昼食の後、手前に見える丘まで行ってみると、モレーンの先に氷河が見えた。高度計を見ると、標高は3500程度。気づけば、これまでで一番高いところに来ていた。丘の上で行く先を双眼鏡で眺め回し、近くに転がるグサグサの岩の中から良さそうなものを選んで、少しボルダーもした。初の高所、しかもブランク後でよく分からないが、2級くらいだった気がする。
夕食後、エガワさんは高度障害が出ていたが、ポーターたちとルールもよく分からないままクリケットに興じた。なんて贅沢なんだ。


8月7日
アプローチday2。
今朝は早い時間から行動した。キャンプ地を出て、昨日上った丘へ行ったところまではよかったが、そこで便意が来た辺りから怪しくなった。
ポーター軍団はじめ、一同それぞれにK7のBCを目指すわけだが、ペースが上がらず。一度谷底への大下りがあり、モレーンの上を渡ったところで、チョゴリザがちらりと見えた。そこからまた谷の右岸へ急登をこなし、完全に高度障害が出た。


二人もゆっくりとしたペースで歩を進めていたが、イサたちは遥か彼方。両岸の岩壁は物凄いので、普通なら興奮することしきりなのだが、この頃にはその余裕もなかった。30分ヨタヨタ歩いて20分休み、という様相を呈してきたところで、再び氷河に下りた。
ここで赤い帽子のコック、イクバルが待っていてくれ、その後ずっと同伴してくれた。「あと5分くらい」という一言には流石に無理があったけど。
最後の平原に上がったところで、もう1人ポーターがジュースを片手に迎えに来て、荷物を持ってもらうという恥ずかしいオチがついてしまった。
BCに着いて休んでブラブラして、先に入っていたブルガリア隊の人と話しているとある程度体調も回復したが、まだ頭痛はあるし、出る便もほぼ水。明日は回復に務めなくては。


8月8日
レスト日。
朝、予定を早めて撤収していくブルガリア隊とポーター軍団を見送った。昼前までダラダラしようかと思ったが、勿体ないので一人でボルダーに出かけた。
昨日ポーターに荷物を渡してしまった辺りに大きいのがひとつあった。マットなしスポッターなしで、怪我なんて絶対に出来ないので、少しおとなしめ。でも、低いハングから抜けるパワー系のラインだけは真面目にやった。1級くらいだろうか。
左のハングの端を登ります

昼食後はK7方面へ順応を兼ねて偵察。Badal wallの対面にIqbal wallがあって、そこまで頑張ってガレ場を上った。Iqbal wallを目の前にして、あれはどうだ、これはどうだと考えを巡らせ、明日は緩い草付きから上部のリッジ状へ繋げる一応のスカイラインを登ることになった。
Iqbal wall(左)と Badal wall

左にあるピラミッドがNayser Brakk

壁を見上げながらラインについて話し合い、見出したものを共有して作戦を立てる。この時間だけでも、遠征の価値があったと言える。言えそうなのだが、いやいや、その計画を実現して初めて価値があったと言うべきだろう。
気になるのはエガワさんの高山病と、自分の治まらない腹痛。コントロール出来ないものだからタチが悪い。身体はそこそこ元気なのだが。
偵察ついでにボルダーに登るアラカワくん

BCへの帰り道

夕暮れのK6

Charakusa その1


ご無沙汰しております。
実はGWにジムで足首を捻挫して、その後夏に至るまでろくに登っていませんでした。
その捻挫を引きずりつつ、なんとかしがみついていた数カ月でした。
未だに足首は本調子には戻りません。
何度か捻挫している方の足ですが、今回は特に酷いので、気長に付き合っていくしかなさそうです。

まあそんなことは置いておいて。
今年の夏は、SACの70周年記念事業のひとつとして、海外遠征をしています。

場所はパキスタンのカラコルム、チャラクサ氷河。
K7やK6がすぐ近くに聳える場所です。入山期間は10日程度と短いものの、初めてのこと尽くしです。
天候の関係で早めに下山してきたので、帰国はまだ先ですが、書き溜めた日記を少しずつ載せていきます。


8月1日
日付が変わった頃、実家へ中央タクシーが迎えに来た。今回ばかりは流石に心配だからか、両親が揃って見送ってくれた。
羽田空港は成田よりも近く、出発が夜中過ぎだったこともあって道中ほとんど寝ていたので、あっという間に着いた。少し詰まりながらチェックインを済ませ、さっさと出国。最後の食事はカレーうどんにした。

今回は、なんとビジネスクラス。広い。とにかく広い。足を伸ばせることにこんなに感動したことはない。映画のラインナップがショボいことが気にならないくらい快適だった。
北京ですぐにエガワさんと合流。20時間近いトランジットを、ずっとゲートのこちら側でぼんやり過ごしていたらしい。疲れますよね、そりゃ。
待ち時間は暇つぶしにシューズを伸ばすためにテケテケ足踏みをしたりしていた。


イスラマバードへの便が平然と遅延して、やきもきしたが無事飛んだ。エガワさんはトランジットが丸一日になりましたとさ。
イスラマバードでは事前にネットで申請したアライバルビザのシステムの未整備感をムンムン感じたものの、入国はすんなりだった。
迎えに来たアラカワくん(とドライバー)に拾ってもらい、愉快なナイトドライブの後、ラベンダー(旅行会社の宿)に到着。
ここ数日停電しているらしく、非常用のジェネレーターがごうんごうん回っていた。そんなのありか。


8月2日
朝食でパキスタン料理初体験。丸く平らなチャパティを油で揚げた(?)もので、パラタというらしい。
ところで、パキスタン人は犬が嫌いなのだという。豚は不浄のものとされているけれど、それに近いものがあるとか。
ラベンダーには保護犬も含めて3匹いて、一匹を除いて仲良くなった。
昼前くらいに3人でぶらりと散歩に出て、近くのマーケットなんかを見に行った。
帰ってきたあとで、ガイドのイサがやってきた。なんとこの人、日本語ができる。そんなガイドがいるとは驚きだ。

2時くらいにスポーツ庁へブリーフィングに出かけ、そのままマーケットでランチ。エージェントのシャダーブがちゃっかり便乗していった。パキスタンは基本、肉食文化のようで、ひたすら肉か炭水化物が出てくる。相場がよく分からないが、まあきっと安くて多くて美味しいのだろう。


その後両替をして、本日のミッション終了。
宿に戻ってからはルピーの札束を整理して、一気に眠気がやってきたので、夕飯はマンゴーを食べただけで、早々に寝ることにした。
初めて知ったけれど、パキスタンはマンゴーが安くて美味しい。生のマンゴーなんて、日本で食べたことあったっけ。
札束がホチキスで止まっている

マンゴーの美味さにブレるエガワさん

8月3日
スカルドゥへの移動日。5人乗りのセダンに、シャダーブもイサも含めて6人乗って空港へ。こういうすし詰めで乗っているのは、特に違反にはならないらしい。パキスタンの交通はフリーダム。
手配してくれたシャダーブが散々気をもんでいた国内線は、なんとかオンタイムで飛んでくれた。陸路で行くことにならなくてよかった。イサには「普通この天気じゃ飛ばない。凄く運がいいデス」と言われた。
スカルドゥは一応カラコルムの観光基地にあたるらしく、なるほど、空港にはトレッキングに来たと思しき異国の方々がそれなりの数いた。
バッテリーの調子が悪そうなジープでオフロードを走って、Snowland Palaceというホテルにチェックイン。オーナーらしきおじいさんが凄く良くしてくれた。
入山に関する手続きはイサに任せて、ひとまずメインストリートをバザールの方まで歩いてみた。するとまあ、いろいろなものが見えて、聞こえて、そして臭った。何を売っているのかよく分からない店の数々。怪しい空気が垂れ流される薄暗い横道。街角でマンゴーシェイクを頼んで乾杯すると、見ている前で店の人が少年にマンゴーの切れ端をあげている。情報量があまりに多くて、いささか疲れた。
夕飯の時間になってもイサが帰って来ずに心配したが、次の村へ荷物を運ぶ手続きを済ませてくれたそうだ。感謝感謝。

8月4日
スカルドゥにて買い出し。
昨夜、エガワさん共々、下痢で起きる羽目に。今日は1日腹の調子が悪かった。
バザールの店が開く時間から買い出しに行く。その前に隊の荷物でラベンダーに預られてあったものを広げてみた。テント類はGiriGiriボーイズの皆さんも使ったものだそうだ。
買い出しもすっかりイサ頼み。というか、そもそもどこに何が売っているのか分かったものではない。イサは顔が広いようで、大抵のものは知人の所で仕入れていた模様。助かります。
昼食を挟んで買い出しは続き、「殺す気か」というくらいの強い日差しの下で、昨日怖気づいて入らなかった八百屋通りにも入って、調達を済ませた。
昼食を食べすぎてしまったので、夕食は食べなくてよくなった。1日2食スタイルが定着しつつある。
ところで昨夜の下痢事件があったので、薬セットの中にある漢方を飲むようにしたが、改めて調べてみると風邪薬だった。自前で太田胃散なり何なり持ってこなかったのが大きな反省。
とりあえずセットに入っていた整腸剤と、日本から持ってきた梅を摂って、あとはよく寝るしかなさそうだ。
タイトなスケジュールの中で、この体調不良は少し焦る。