2024年8月5日月曜日

バジル

梅雨が明けて、というか梅雨だと言われていたときからそうだったけれど、暑さが厳しくなった。
先月は長野県の練習会、北信越ブロック、単なる悪天などなどで、ほとんど外では登れずに過ぎた。
不動沢に新しいプロジェクトを探しに行ったり、苔むしたルートを磨いたり、
不慣れながら恐る恐るソロシステムの研究をしてみたりしたが、特筆するようなことはなし。
ただ平日のトレーニングを続けてはいるので、調子は悪くない、というつもりでいる。

この週末、土曜日はパートナー難民だったので古いルートの掃除に出かけた。
日曜日は、ツバを後ろ向きにしてかぶるキャップが似合う男ノミーと登ることになっていた。
「午前中勝負で静寂のバルジに行くか、他に案があれば」という連絡が来たので、
この時期にやるルートではないよなという考えを多少残しつつ、静寂のバルジに行くことにした。
いろいろなパートナーを口説いてこのルートに数日通っているノミーが、
「この時期にやるからいいんスよ」「ワンデイ出来ますって」と勧めてくるので気になっていた。
とはいえ、あまり再登のない緩傾斜の13後半がこの時期勝負になるのかは分からない。
まあ、トライしている人の言葉を信じてみますか、という感じで決まった。

日曜の朝は5時半集合。午後からは雨の予報で、既にガスが下り始めていた。
ダイダラボッチに行くのは、当然昨年のSkyrocket以来。
まだ冷め切らない目を擦りつつ、必要最低限の装備と弁当を持って歩いた。

ルートの下に着くと、予想どおり空気はどんよりしていたし、静寂のバルジ1P目(5.13c)の出だしは苔まみれ。
「うわー、苔凄いな」「これでも相当掃除してめっちゃ綺麗になったんです」
これでか...と思ったけれど、ノミーは最初のトライで下から登りながら磨いたらしいので、
 その泥くさい男気(失礼)に免じてそれ以上の文句は言わないことにした。
ボルトが苔で埋まっていたというその状態でのマスターは、間違いなく恐ろしかったはず。
「オンサイト行っちゃってください!」とヌンチャクを差し出されたので、受け取った。

ジメジメのクラックを跨いで地面を離れ、すぐに微妙なホールドでのクライミングが始まる。
アップなしにしては頑張って粘ったけれど、最初に出てくる小核心で呆気なく撃沈した。
それは織り込み済みなので、すぐに切り替えてムーヴを詰めながら先に進む。
ほぼ各駅停車になってものの、核心を越えてルートが大きく蛇行するところまで、それぞれ数回のテンションで抜けた。
木立の陰になっているところは湿気が籠っているが、核心の部分はそれより少し上で、
思っていたほどヌメりが酷くなくて驚いた。
いや、間違いなくヌメるのだけど、案外なんとかなりそうだ。
雨は午後からという予報でも、いつ降ってくるかは分からないので、上までは抜け切らずに一旦バトンタッチすることにした。
核心を終えたところで、このピッチの2/3くらい。
「核心抜けたらあとは初見でも、まあ頑張れます」というノミーの言葉を信じて、
残りの1/3は繋げて核心を越えたトライでそのまま突っ込むことにする。
この時点で、頭の中は「今日中にこのピッチを登る」という考えに変わっていた。

ノミーがハングボードをニギニギして、上部用のヌンチャクを持っていざトライ。
最初の小核心を越え、少しレスト出来るセクションを挟んで核心のカンテに入る。
足下への自信漲る動きで、しっかりチョークアップできている。
「あそこのクリップが、ヌメりに負けてできずに落ちた」と言っていたヌンチャクにクリップ。
直後に手がすっぽ抜けてあわやとなったものの、気合一閃でこらえて核心を越えた。
そのまま長めのレストを挟みつつ、上部のバルジの向こうへ抜けて消えていった。
姿は見えなくなっても、力強い呼吸の音だけがずっと聞こえていた。
数分後、終了点から嬉しそうな叫び声が降ってきた。

ホールドを念入りにブラッシングして下りてきたノミーと、両手でグータッチした。
まさかとは思ったけれど、この日1回目で登ってしまった。最後に勝つのはやはり男気らしい。

さて、僕も登るしかなくなった。気合を入れて2回目のトライ。
が、湿度なのか気温なのか、1回目よりもヌメる気がした。
それに気を取られていたのか、最初の小核心で足がスリップして落とされた。
少しがっかりしたけれど、すぐにその個所のムーヴを組みなおし、核心のセクションももう一度繋げて抜けた。
これであとは繋げて登り切るだけだ。

レストを挟んで、3回目。
昼には核心のカンテに日が当たってしまうので、これで登れなければまた次回だ。
そうなったらなったで仕方ないけれど、どうせなら今日のうちに登りたい。
この時はずっと、その気持ちが強くあった。
出だしのドロドロしたセクションを越え、先ほど落ちた小核心に入る。
今度は足が滑らずに、保持感の微妙なダイクを捕らえた。少し声が漏れた。
一度呼吸を整えて、核心のカンテに入る。
気温は確実に1トライ目よりも上がっていた。
しかしまだガスは下りきらず、ヌメりはそれほど酷くない。指先にはしっかり結晶の感触があった。
核心のカンテを抜けて、そのままバルジの付け根まで逃げ切った。
この先のセクションはオンサイトだ。
ノミーが登ってチョークが残っているけれど、バルジに阻まれてその先のスラブが見えない。
とりあえずつま先が痛かったので、大ガバにぶらさがってシューズを片方ずつ脱いで長めに休んだ。
このトライを大事にしたいけれど、突っ込まないことには何も見えてこない。
ということで、レストポイントを離れるときにはもう迷いはなかった。
バルジを越えるところでホールドをひとつ見落として、危うく落ちかけた。
半ば捨て身で手を出したところで、足がしっかり踏めていたおかげで体が剥がされず残った。
ギリギリ捕らえたホールドは微妙だったけれど、強引にスラブに這い上がった。
続く最後の数歩でまた落とされそうになったものの、足を休めたおかげか、なんとか耐えきった。
あとは易しいフェースを登って終了点にクリップした。
雨はまだ降らず、むしろほどよく曇っていてくれたおかげでなんとかねじ伏せられた、というところだろう。

「いやー、できるもんだな」
「仕事早いなー」

あとはさっさと片付けて、雨に降られる前に下山した。
駐車場に戻ったのは12時前だった。
車で弁当を食べ、みずがき食事処でビスケットサンドとコーヒーをいただいて家に帰った。
セルフごほうび

ノミーが「静寂のバルジ登りました」と報告すると、「この時期に?ウソでしょ?」と驚かれたらしい。
そりゃあそうだよな。僕も前日までは半ばそちら側だったわけだし。
「どうせ信じてもらえないんで、静寂のバルジじゃなくて『静寂のバジル』ってことにしましょう」
ノミーがそう言うので、僕もそう言って回ろうかと思う。

静寂のバジル(5.13c)※8月に登った場合は『バルジ』ではなく『バジル』

しかしこの時期でも意外と勝負できるどころか、実際に登れたわけで、それなら信じざるを得ない。