2021年7月13日火曜日

CRACK CLIMBING by Pete Whittaker (訳者あとがきにかえて)

2020年春。療養中で、その後の身の振り方もなにも決めていなかった頃、僕は1冊の本を手にした。
ワイドボーイズのひとりであるピート・ウィタカーの『CRACK CLIMBING』。
いつこの本のことを知ったのかは思い出せないが、時間を持て余し気味だった僕は、とにかくこの本を読んでみたくなり、取り寄せた。
あらゆるサイズの最難クラスのクラックを登る世界最高のクラッククライマーであり、
かれこれ10年以上も僕の憧れの人であるピートが書いた本だ。
これが自分の糧にならないはずはない。
念願の本がやっと手もとに届き、ページを興奮気味に捲りながら、ふと思いついた。
「これを翻訳して、日本語版を書けないだろうか」
英国版と北米版があり、僕が買ったのは北米版だった


初めは完全に個人の趣味だった。
いまし監督の映像作品の英語字幕を担当させてもらったときにはやりがいとある種の手ごたえを感じたし、
本職の翻訳家さんには遠く及ばないまでも、クラックの心得がある自分だからこそ、訳してみたい。
そんな妙な自負と自己満足で始めたものの、やはり人間、もう少し欲が出てくる。
「訳すからには、どうにか形にならないだろうか」
決して多いとはいえないツテを頼り、話を聞いてもらったところ、幸運にも山と渓谷社から出版のチャンスをいただくことができた。

ヤマケイ編集部とのつながりができ、一緒に本を作っていただくことが決まっても、世の中はコロナ禍真っ最中。
携わっている他の誰かに実際に会うことはなく、翻訳作業は常に実家の自室で孤独にしていた。
好きな映画のサウンドトラックを聴きながらやっていたので、
もはやそれを聞くと映画のシーンではなく特定のジャムの解説が思い浮かぶ、ような気もする。



この本について、ひとつきっぱりと断っておくことがある。
それは、この本はいわゆる「読み物」ではない、ということだ。
専門的な技術書であり、そのため内容は全体的に硬く、情報量も多い。
訳者としてこう書くべきではないかもしれないが、決して「すらすら読める本」ではないと思う。
しかしそれは、ジャミングというクライマーそれぞれの感覚頼みだった技術を、
理解可能なコトバに落とし込んで伝えるということに著者が真っ向から取り組んだ証だ。
その途方もない挑戦に妥協なしで挑んだ筆者の気持ちが滲む原文を、できるだけ忠実に日本語で伝えるということを、今回は優先したつもりだ。

本文中に書かれたこの本の使い方を、ここで掻い摘んで紹介しておく。
1.ガイドブックとして読む。(自分が必要な内容を探して読む)
2.書かれている内容を真似てみる。(動きの解説を、実際に順を追ってやってみる)
この二つが、ピートからの提案だ。僕としても同感だ。
内容的にすべてに通じる第1章をまず読んで、それから各章の自分が特に必要な部分を選んで読み込むことをオススメする。



ロクスノに掲載された書評のためのインタビューを機に、筆者であるピート本人とのつながりもできた。
まだ出版が決まっていなかった頃、「翻訳版をだせたらいいなと思ってる」とメールを送ると、
「それはいいね、こっちは問題ないから是非やってほしい」との答えが返ってきた。
その後も解説の更に突っ込んだ部分や、細かな言葉遣いなどについて質問をすると、すぐに丁寧な返事をくれた。
面識はなくても、彼の親切で几帳面な性格が伝わってきて、とても嬉しかったのを覚えている。

第一稿を編集部に送った後は、校正が待っていた。
ここではイギリス在住のSさんに非常に大きなお力添えをいただいた。
大小さまざまな誤訳の指摘から細かなニュアンスの調整、内容的な指摘まで、
とにかくビッシリと赤が入った原稿が返ってきて、自分の勉強不足と読み込みの甘さを痛感したものだ。
この本を翻訳して世に出すことにも、とても前向きな励ましの言葉をいただいた。

技術的な考証はある程度自分でやっていったものの、経験の少ないワイド、さらにはルーフクラックについてはお手上げだった。
ということで、これはYさんとM師匠にお願いした。
お二人とも快く引き受けてくださり、僕としては命拾いしたような気持ちだった。
実際、この2章は全体の1/5以上の文量があり、いちばん難しいところだった。
日本を代表する2人のワイドクライマーがここに携わっていることも、お忘れなく。

出版のチャンスをいただくところから今日まで、
山と渓谷社の編集部の方々にはお忙しい中、非常に長い時間をかけてご協力をいただいた。
特にこの企画の始まりからすべての橋渡しをしていただき、
さらに校正では言葉遣いに限らず細かな内容、読みやすさという点に至るまで、
粘り強くご尽力いただいたOさんには、感謝の言葉もない。
今後もこの本が必要とする人のもとに届くまで、引き続きよろしくお願いします。


初めは素人の独りよがりにすぎなかったものが、本当にたくさんの人の協力を得て、こうして形になった。
自分の憧れのクライマーと、本を書くという冒険の一端を共有できたことは本当に光栄だった。
そしてそれを支えていただいた方々には、心から感謝を。
本当にありがとうございました。


ピートは謝辞で「ケーキとドーナッツをご馳走する」と書いていた。
僕はなにをご馳走しようか。ゆっくり考えておくので、どうぞお声がけください。

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