2024年10月8日火曜日

TheTribe 『中嶋渉、内省するクライマーの行方。』によせて

東京の神田小川町の一角に、TheTribeというギャラリーがある。
昨年11月にオープンし、クライミングの文化の共有・発信を目的としている。
クライミングというのはフリークライミングに限らず、アルパインも沢も、もちろん山もそうだ。
広義な意味での「クライミング」と考えるのがしっくりとくる。

そのギャラリーの運営をしているハカセこと門野くんから、
「展示で中嶋渉を取り上げる」と打診をもらったのは、昨年のヨセミテ前後のことだった。
それから数か月、先に取り上げた大木テルくんや大西さんの展示を経て構想を練り、
今年の3月からいよいよ中嶋渉展の制作が始まった。
インタビューという名の対談(ときに議論)を交わす中で、さらに展示の方向性は固まり、
僕が自分自身のことについて8本のエッセイを書く、という形に定まった。


ありがたいことに、これまでトークイベントや遠征報告会などで登壇させていただく機会は何度かあった。
いまし監督はじめチーム長野の関係の中で、映像作品に出ることもあった。
しかし自分の文章がそれ単体で取り上げられるというのは経験がない。
そもそも文章そのものをひとつの展示物とするなんて、聞いたことがない。
随分と攻めた方向になったなと思う一方で、僕は嬉しかった。
自分のクライミングについて思い切り書ける機会を、僕自身が望んでいたからだろう。
そして曲がりなりにも自分がずっと大切に思ってきたその表現方法にスポットを当て、
それが展示として成り立つと信じて期待を寄せてもらえたからには、奮起せざるを得ない。

展示の大枠が決まってから約3か月、未だに慣れない東京の街に通いながら、エッセイを書いた。
手書きのメモでもなんでも、とにかく書いた。
これだけ書くことに頭を使ったのは、高校時代に小説を書いたとき以来かもしれない。
原稿のチェックをした門野くんから「ここ、もっといい表現出せるでしょう」とか、
「内容が散らかってる」とかあちこちに赤を入れられるたびに、
「一生懸命選んだ言葉なんだけどなあ」と多少むっとする気持ちもあった。
もともと僕の内面なんだからケチをつけるなよチクショー、とか思わなくもなかったが、
毎回毎回、彼が文字通り心を鬼にして赤を入れていることは分かっていた。
彼が信じてくれているのだから、僕が信じないのは失礼だろう。
頭の中身を上手く言葉にできないことにヤキモキしながら、文章を整える時間が続いた。

8本のエッセイがおおよそ整ってきた頃、門野くんから追加で注文が入った。
「最後のまとめとしてもう1本、文が欲しい。できれば何か、宣誓文のようなものが」
僕は勿論承諾した。
そこから新しく構想を練り、また鬼編集者とのやりとりと重ねた。
6月某日、展示がスタートする数日前に、最後の文を原稿用紙に手書きして、僕の制作は終わった。

制作に入る前、ひとつ決めたことがあった。それは衒(てら)わないことだった。
なにぶん言葉での表現が好きな僕は、少し気を抜くと飾った言葉を遣ってみたくなってしまう。
が、今回書くのは物語ではないし、ユーモアもフィクションも許されるブログでもない。
「内省」という厄介で扱いに困るタイトルがついたエッセイだった。
誰に誓うでもなく決めたそのことを実直に守り、書き上げた文章だったけれど、
どうも生来の癖は誤魔化しきれないもので、今読んでみると所々どうにも鼻につく。
これはこれで、鏡を除くような感じがする。
僕という人間の持つ歪さが、結局そのままそこに表れたような気がしてくる。
しかし展示が始まった直後から、少しずつ前向きな反響が耳に入ってきて、内心ほっとしている。

この企画の発案者であり、同時に最大の功労者でもあるキュレーター兼鬼編集者の門野くん。
写真撮影、編集、構成、レイアウトの隅々に至るまで尽力をいただいた広告部の皆さま。
心から、ありがとうございました。



おわりに、今この文章を書いている最中に思い出した短い話を書こうと思う。

僕が書くことを好きになったのは、小学校の頃、担任のY先生に作文を褒められたからだった。
国語の授業で書いた、原稿用紙数枚程度の作文で、テーマはもう思い出せない。
Y先生から返された原稿用紙の最後には、赤ペンでこう書かれていた。
『流れるような文章です。でも、字が...』

展示を見ていただいた方は分かると思うが、僕は字が綺麗ではない。鉛筆の持ち方すらも、少し間違っているくらいだ。
Y先生は僕の、今よりももっと汚かった当時の字を見て、小さくため息をついていたことだろう。
しかしこのたった十数文字のコメントで、僕は書くことが好きになった。

もしも、本当にもしも、Y先生が今回のTheTribeの展示を見たら、どう言ってくれるのだろうか。そう妄想する。
きっと最後の、ただひとつ手書きのあの文章を読み終えて、
「やっぱり、字が...」
とため息交じりに言うのかもしれない。

それでもいいな、と今の僕は考えている。

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