2021年6月3日木曜日

Humble

5月30日、弁天岩のプロジェクトを登ることができた。


前回の反省から、ボルダーでの前日アップはやめた。
それでも天気はよく登りには行きたかったので、土曜日は山河微笑(5P 5.10c)だけ登りに行った。
十一面岩でも風は十分に冷たく、翌日のことを少し不安に感じつつ、久々に楽しいマルチだった。

当日の朝、いつもよりも少し早く起きて、泊っているあさこ邸のウォールで体を起こした。
核心のホールドで指の皮がやられることを考えると、アップは岩でないほうが良かったのだろう。
長モノでパンプしたくらいで時間になり、駐車場でいまし監督や泥攀氏らと合流した。

今シーズンで一番の快晴で、気温もそれなりだったはずだけれど、風はやっぱり強かった。
流石にまだダウンジャケット+ダウンパンツがないとツラい。
しかし、吹いてくる風だけで察しがついた。
ユマールしてトップロープを張り、ホールドに触れるとそれは確信に変わった。
今回は前回よりもコンディションが良い。

前回嫌なイメージがついてしまった核心のムーヴも、今回は1回でできた。
しかしそれでは不十分だということを、前回思い知らされた。
ムーヴ単体での感触が良くても、リードで繋げたときにどうなるか。
そう考えると、やたらと不安要素が湧いて出てきた。

中間部から上のリハーサルを終えて、トップロープを抜いた。
前回はしばらく迷ったけれど、今回は迷わなかった。
自信があったわけではなく、リードでトライする以外、今の自分にするべきことはないと思っていた。
恐らく、梅雨入り前にトライできるのは今週で最後だろう。
一週間前の苦い敗退の意味するところを確かめるためにも、自分は今もう一度トライするべきだ。

散歩したりして時間をゆっくり使い、気持ちを切り替えていった。
「頭の中をシンプルにする」という表現がしっくりくる気がする。
日向に座って目を閉じ、一から十までムーヴを静かに思い起こす。
カムのセットや定まり切らない足運びなど、いくつもあった不安要素は、
完全には消えないものの大分小さくなった。
前回のように、トライせずに済ませる言い訳を探すこともしない。
「今度はちゃんと核心に突入してより良いトライにしよう」とだけ考えていた。

日が真上を過ぎていくらか傾いてきたころ、登る準備をした。
ギアを整える僕に、いましさんが「グッドラック」と声をかけ、カメラを担いでユマールしていった。
ビレイは泥攀氏がしてくれた。

ルートの初めは6メートルほど上の木が生えたテラスへ、垂壁+スラブを登る。
テラスに出たらダブルロープを手繰り上げて、壁の正面に垂らし直す。
ビレイヤーの準備ができたところで、テラスに座り込んでシューズを拭き、また目を閉じる。
深呼吸をすると慣れ親しんだ、乾燥した初夏の瑞牆山のにおいがした。

短いフィンガークラック、緩く左上するランぺ状を登り、カンテに出る手前でレスト。
幾分上がってしまった心拍が落ち着くまで待ってから、カンテを越えて前傾フェースに出た。
ダブルロープの一方を捨てて、ここからはシングルで登る。
前回もたついた前半の小核心は、今回はスムーズに越えられた。
すぐにカムを固め取りして、長めのレストに入る。

レスト中、ここまで抑えられていた不安が顔を出し始める。
「この腕の張り具合で核心セクションを越えられるのか」という気持ちが湧いてくる。
呼吸に意識を集中してみても、目を閉じてみても、その疑念は消えない。
「トライをやめるなら今だ」と、そんな考えまで薄っすら影を見せた。
チョークアップした手で太ももを叩き、嫌な思考を打ち消す。
大丈夫、状況は前回と違う。きっと自分自身も違うはずだ。

レストポイントを離れ核心に入ると、ホールドは一気に細かくなる。
嫌でも指に力が入る数手をこなして一度チョークアップし、最大の核心に入る。
何度も試行錯誤して導き出した数メートルのシークエンス。
そこに入る瞬間までは、「これで落ちたらどうなるか」云々と考える自分がいた。
足を上げ、手を出した瞬間、頭の中の雑音が完全に消えた。
一番ハードな一手を完璧に捕らえて、漸く、「もう止まらない」と決めた。
続く遠いデッドも、想定よりも狙いが乱れずにしっかりと止まった。

そのまま上のレストポイントにたどり着き、プロテクションをセット。
ボールナッツの青、更に手前が閉じたスロット状のポケットにスリングをタイオフして使う。
ここは新しく買ってきた6mmのダイニーマが役に立った。
パンプの度合いは想定の範囲内だったけれど、やはりなかなか抜けない。
最後の核心は鋭い極小カチをロックオフしての1手で、
リハーサルで落ちたことはほとんどないものの毎回嫌だ。
固め取りしたプロテクションもそれぞれあまり信用できない。
最後のムーヴで落ちてボールナッツとスリングがはじけ飛ぶ様子がスローモーションで浮かぶ。

「これ以上は無意味だ」と思うくらいまで長くレストして、やっと心が落ち着いた。
最後の核心に入り、問題の極小カチを取ると、少し取る位置を外した感じがした。
でも、一度食い込んだらもうずらせない。あとは祈るような気持ちで握り込んだ。
必死で足を上げ、中継から手を伸ばして次のホールドを取った。
大丈夫だ、まだ落ちていない。
最後のカムを入れるアンダーフレークにハンドジャムをたたき込み、完登を確信した。

終了点にセルフを取って、ヘルメットを脱ぎ、何度も叫んだ。
すぐ下にぶら下がってるいましさんも、カメラが回っているのに珍しく叫んでいた。
少し潰れた喉から絞り出すようにして、ただ感謝した。

1週間前、最大の核心に入れずに敗退したときとは、身も心も大きく違っていた。
当日までの調整の仕方を変えて力が出せるようになった体と、それを信じられる心。
しかしたった1週間で体が大きく変わるはずはない。大きかったのは精神的な変化だ。
「何かを変えなければ」と感じたその「何か」は、精神の方だったわけだ。
どれだけ身体の調子が良くても、そのハンドルは頭の中にある。
トライ前、そしてトライ中も、後ろ向きなことを考えなかったわけではないけれど、
それでも心が乱れることはなく、さざなみが寄せる水辺のように静かだった。
核心の真っただ中でそれがついに凪になったあの瞬間は忘れられない。
それは1週間前の敗退を経験したからできたことだった。
リードしてみて初めて分かることは、やはり多かった。
及び腰になりながらもギリギリでリードすることを決めたあの日の自分に、今の自分は生かされている。


弁天岩のこの壁に初めてぶら下がったのは、今から10年前、19歳のときだった。
当時の僕は「ボルトを打たずにこの壁を登る」という理想を持って掃除を始めた。
その想いで、2年後に二十億光年の孤独を登ったけれど、ただ一つ心残りだったのは、
ルートの途中に2本のハーケンを打って残置したことだ。
それがその時の自分にできた精一杯だったし、間違った選択ではなかった。
その後サル左衛門がターミナルを、大ザルがセンス・オブ・ワンダーを初登して、
僕自身も矢立岩で数本のルートを拓いていく中で、考え方も少しずつ変わっていった。
それは安きに流れる妥協ではなく、成長と言うべき変化だと思う。
そうして意味のある回り道を経て、僕は弁天岩のハングに戻り、
10代の自分が思い描いた理想を形にすることができた。

この1年半で、強く感じたことがある。
自分を卑下することと、慎ましくあることは違うということ。
言葉を変えれば、厳しくあることと、真摯であることは違うということだ。
自分の身の丈を知らず、あるいは忘れてないがしろにしていた僕は、一度壊れてしまった。
ほんの少し何かの判断が違っていれば、クライミングを続けられなくなっていたかもしれない。
運のいいことに僕はどうにか踏みとどまり、また自分の足で立っている。
そして今、やっと10年前の自分が描いた姿に追いつくことができた。

想いが結実するまでの時間として、10年は長いのかもしれない。
しかし不動沢の最奥に通い続けた時間は、たくさんのことを教えてくれた。
敬意をもって学びつづけること、そして情熱をもって作りつづけること。
弁天岩とともにあった20代が終わろうとしている今、ここで経験したことが、
これから始まる新しい10年間を歩いていくための糧になることは、もう分かっている。
そして、自分がひとりのクライマーとして生きる時代が、まだまだ終わらないということも。


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