2023年4月2日日曜日

回顧録

Karmaを登った後、これまでとは違うなにか特別なことを感じた。
ツアーから帰って1か月弱、その整理がついてきたので、書き残しておこうと思う。

僕が感じたことというのは、弟と自分のクライミングのことだ。
結論から書くと、それは次のようなシンプルなことだった。
「随分前に分かれた道が、こうして交わることがあるのだな」と。


2013年、初めてのブローツアーで、Franchard Cuisiniereを回った日があった。
弟とふたり、Franchardの駐車場に置いて行ってもらい、夕方にピックアップしてもらった。
僕は指に穴が開いていたこともあって、この日はカメラだけを持って行き撮影に専念していた。
その日、彼はKarmaを登った。あまり時間はかからず、呆気ないくらいに早かったと記憶している。
ツアー中にメンバーの間で流行っていたコーラ味のグミを、Karmaの上に乗っている小さい岩に置いておいて、登った弟がそれを咥える、という一コマも撮った。


ここからは、酷く恥ずかしい話になる。
僕がなぜクライミングを始め、そして続けてきたのかということについてだ。
断っておくと、僕のクライミングはとても後ろ向きな感情がスタートだった。
純粋かつ前向きな気持ちでクライミングと出会い、それに向き合ってきたわけではない。
始まりにあったのは、ちっぽけな自尊心からくる自己否定だった。

話は僕がクライミングを始めた頃に遡る。
僕ら兄弟は言わずもがな、父の影響でクライミングを真剣な趣味として始めた。
が、これには言葉が少し足りない部分がある。
当時10歳の僕は、年の近い弟に勝てるものがないことに悩んでいた。
大人になってみれば「子どもらしい悩みだ」と感じるけれど、まさに子どもだった僕にとってはこれが何より重大な悩みだった。
特に理由もなく、「兄は弟よりも強いもの」という価値観が僕の中にはあった。
だからこそ、どんなものであっても、弟に先を行かれる自分を受け入れることが難しかった。
それを見かねた父が、「お前はクライミングを始めなさい。そして3年は絶対にやめないこと」と言った。これが本当の始まりだったと言っていい。
その後すぐ、地元にあったジムに通うようになり、ほどなく弟もついてくるようになった。

自信をつけるために始めたクライミングでも弟に勝てない、ということを思い知るのに、そう時間はかからなかった。
とあるコンペの後で、「お兄ちゃんの方はびっくりするくらい弱かった」という陰口のような言葉を、偶然聞いてしまったこともあった。

高校を卒業し、クライミング歴が10年目を迎える。
クライミング自体がどんどんと面白くなっていく一方、後ろ暗い部分が胸の奥にずっと根を張っていた。
そこだけが、僕の中で最後の最後まで子どものままだった、と言えるのかもしれない。
この頃僕はアルパインクライミング等にも手を出しはじめ、少しずつ自分のクライミングの幅を広げようともがいていた。
しかし自分が冬山に登っている間に、弟やその仲間は岩場でどんどんと成果を上げている。
努力をしていなかったわけではないが、自分と弟との差はむしろ加速度的に開いていったように思う。
時間は誰にとっても有限だ。新しい分野に挑戦するということは、その分もとからあった守備範囲を磨く時間は減っていく。
そのことは至極当然だが、当時の僕はそれがなかなか受け入れられず、「自分は一体何をやっているのだろう」と呆然とすることもあった。

僕はずっと、ただ弟に勝ちたかった。
そうでないならせめて、弟のようになりたかった。そういうことだったのだと思う。

ただ、この期間を経て、僕と弟の進む道は明確に分かれていった。
似たようなフィールドで登ってはいても、目指していくものは少しずつ違っていた。
20代になり、それぞれの進路を選んでいくのと重なるように、クライマーとして内に秘めるものも変わっていったように思う。
紆余曲折を経て、自分が弟とははっきりと違うクライマーであることを、今の僕はどうやら自覚できている。

…とここまで書いてくると、弟へのコンプレックスがどんどんと拗れているように感じるかもしれないが、弟に対してネガティブな気持ちを抱いたことはない。
弟は常に僕の気持ちを湧き立たせる存在であったし、出所がどこであっても、憧れという気持ちは強い力を生むものだ。
もうひとつ、僕にとって大きな幸運だったのは、家族をはじめ身近な人たちが決して弟と僕を比較しなかったことだ。
「弟にはできるのに、どうしてお前には」という言葉に晒されていたら、きっとそれは僕の抱く好奇心を惨たらしく押しつぶしていたことだろう。

弟と僕を比較してとやかく言うのは、いつだって僕自身だったのだ。

時は流れ流れて、2023年。僕はなんとかKarmaを登った。
10年前の弟とは違い、随分と苦労したし、ギリギリのクライミングだった。
あの頃を思い出して岩の上のグミを探すようなことをする余裕もなく、感情の嵐に流されてあっという間に岩から下りてきてしまった。
その嵐が過ぎ去って落ち着くと、「10年かかって、やっとここか」と思った。
10年前のツアーで、弟はKarmaだけでなくBig Islandまで登ってしまったわけで、そういう意味では僕はまだ当時の彼の背中に触ることすらできていない。
ただその「やっとここか」という感情に、悲嘆や諦観のようなものはない。
あるのはある種の感慨だった。
あの頃の自分はカメラのこちら側で何を思っていただろう。
彼が登ったことに喜びつつ、どこかで「悔しい」と感じていたかもしれない。
同じ家で同じ飯を食べて育ち、同じジムや同じ岩場で登っていても、まるで違うクライマーが出来上がるということを、当時の僕は知らなかった。
そして自分が弟ではなく、本当は何になりたいかを考えられるようになることも。

枝分かれして違う方角へ伸びていった道は、曲がりくねり、登り下って、気づくと10年前に見た景色の中に帰ってきていた。
道を辿った先で、ここに出るとは思っていなかった。
遠回りや寄り道を随分とたくさんしてきた気がする。
「もしもあのとき、あちらに行っていれば」と、現実とは違うことを思い描くことは今でもある。
しかし10年前のこの場所に思いがけずやってこれたことで、その分の距離と時間への後悔はもう感じなくなった。
ずっと前に分かれた道と、偶然また交わった。そんな気がしている。

自分の道がどこへ続くのか、もう一方の道がどこへ向かうのか。
それは今のところ分からないけれど、またいつか、どこかで交わったらいいなと思う。
また会いましょう。





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