以前、『さみしい夜にはペンを持て』という本をあさこさんにもらった。
それによると、日記は自分に向けて書くものだという。
今年のツアーは、これまでになく辛い時間をペン先に込めて文字にした。
身の丈に合わない目標など立てずに、もっと新しいこと、もっと楽しめることを求めていた方が、
この1年、あるいはこの4年は実りがあったのかもしれないと、今でも思う。
後悔と呼ぶには、まだ早い。しかし、そう呼ばれかねない感情が際限なく湧いてくるのは事実だ。
今年、はっきりと分かったことがある。
それは、ここが自分の持てる才能の限界なのだ、ということだ。
20年以上も前に一度思い至ったことに、改めて戻ったきたようだ。
自分には、才能がない。凡人、普通の人だ。
平山さんのような力と才能に溢れたクライマーではなかった。
世界で戦っていた人と、その世界に出たこともない自分。
競うまでもなく、立つ土俵が違うことは明らかだ。
それでも、と思う。
それでも自分は、まだSalatheを登りたい。
ここまで来て後に退けないからだろうか。意固地になっているだけなのだろうか。
もう純粋な冒険心では登れていないのかもしれない。
そうだとしても、ここまで来た自分の道筋がどこかに行き着くのだと信じたい。
願わくば、あの壁を登り切るというところに行き着くのだと信じたい。
それを抜きにして、過程だけに目を向けて「充実」や「成長」という言葉をあてがうのは、あまりにも綺麗事、あるいは絵空事だ。
「結果が出なくても、努力の過程こそが素晴らしいんだ」という考え方は、確かに前向きだろう。
しかし今の僕にとってそれは、どこかに行き着いた人の言う綺麗事だ。
僕はまだ、どこにも行き着いていない。
それでも、その才能に恵まれていない自分が辿り着きたいと望むのなら、
今ここにあるギャップを埋めるために何をしなければいけないのだろうか。
何を用意し、何を身につけなければいけないのだろうか。
1年後、今よりももっとボロボロになっていても、「いい旅だった」と笑えるように。
空しさではなく充足した心持ちでペンを握れるように。

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