2024年5月20日月曜日

そして時は進む

5月11日、やっとNINJAを登ることができた。
通算でのトライ日数は数えていないけれど、10日前後だろうか。今シーズンに入って4日目だった。


もはや花崗岩のハードなやつならこの男と、という感じになりつつあるノミーと、シーズン最後のアタックをすることになった。
日中はもう暑すぎるし、夕方の冷え込みもあまり期待できない。
それに金峰山荘の営業が始まったので、7時にはゲートをでなければいけない。ということで残業は無理だ。
つまり、早朝から行って日が当たるまでにトライを終えるしかない。
というわけで、「朝5時に行くっしょ!」と強気なノミー先輩に「行くっしょ!(早いなー)」と返した。
実際、当日の朝はお互い少し寝坊して、駐車場に着いたのは5時半過ぎだった。

誰もいるはずのないクジラ岩周辺でアップする。
スパイヤー右端の4級が、個人的に小川山・瑞牆で最強の4級だと思っているのだけれど、
足下が究極にシビアなNINJAのアップにはこの課題を登るのがちょうどいい。
NINJAに通うたびに登るようになったおかげで、毎回きちんと登れるようになった。
この日も1回でスッと立って、少し安心。今回の運試しも大丈夫だったな、という気分。
エイハブ船長などなど、普段なら人が多すぎて近づけない課題も一通り触って、早起きでギシギシ感じる体をほぐした。

アップを早めに切り上げて、お殿様岩に上がった。4月の前半よりも、明らかに空気が温かい。
予期せぬプレゼントを手早く登って、トップロープを張って掃除とムーヴの確認。
前回からGWを挟んで少し間が開いてしまったけれど、感触は悪くない。ヌメらなければ、だが。

ノミーが男らしく「最初からリードで行きまっす!」と言うので、先にトライしてもらった。
前にあれだけ嫌そうにしていた下部の小核心をスパッと止め、本当の核心の入り口で落ちてきた。
核心のムーヴをほどほどに確認して先輩が下りてきたので、こちらも気合を入れる。
お互いに一度は王手に持ち込んでいるのだ。競争意識ではなく、純粋に気持ちが盛り上がってくる。
しかしじっくりやっている時間はない。リードで勝負するチャンスは、あっても2回くらいだろう。

取りつきの狭いコルに上がってシューズを履くと、流石に緊張する。
ノミーが「決めてくれぇ」と言うので、「決めちゃうよーん」と軽くふざけて誤魔化した。
取りつくと、岩のフリクションは思ったほど悪くない。まだ朝の冷え込みが残っている。
ダイクにマントルを返してトラバース、そして最初の小核心。
と、遠いムーヴを止めたと思った瞬間に足が抜けて落ちた。やらかした。
一瞬焦りがぐんと増しそうになったものの、1回目はこんなところだと落ち着かせる。
「1回そこで落ちた後すぐやると、感触良くなるんすよ」
下からいつもどおり前向きなノミーの声が飛んできた。
シーズン最後の日、この数分間を逃してはいけない気がした。
「すぐにもう一回やっていい?」
「やろう!」

ロープを抜いて、もう一度取りつきのコルに上がる。液体チョークは面倒なので塗るのをやめた。
1回トライして、また少し緊張がほぐれたようだ。やれるだけやろう、という気持ちになっていた。
再びダンクにマントルを返すと、こめかみにそよ風が当たるのを感じた。フリクションもまだ良い。
先ほど落ちた小核心に、足を慎重に置いて入っていく。少しプルッときたが、止まった。
そのまま数手進んで、レストポイントに入る。
「これが今シーズン最後だ」という意識は、不思議と消えていた。
核心のムーヴのひとつひとつを思い浮かべることもなかった。
ただゆっくりと呼吸が整うのを待ち、もう一度深呼吸して核心に入っていく。
手も足も微かに震え、それでも狙いは外れずにムーヴが繋がる。
最大の核心になるシークエンスに入るところで、一瞬足が滑ったものの、落ち着いて置きなおす。
ただ「落ち着け、ゆっくり」と念じて、ポケットを差す。左右の足はまだ抜けていない。
そして、前に二度落とされた核心最後のムーヴに差し掛かる。
ここのフットホールドをよく見て、しっかりと狙って踏みなおす余裕が、この日はあった。
最後のホールドに手がかかり、体重が乗った。

核心を抜けたところにある大穴で長くレストして、上がった呼吸をもう一度落ち着け、
最後の11程度のフェースを登って岩の頭に抜けた。
春の日差しに岩が焼かれる前に、どうにか逃げ切ることができた。

「やりぃ!」
「ビッグウォールだったら俺、泣いてます」

その後、ノミーは壁が完全に日向になるまで粘ったものの、RPは秋に持ち越しになった。
最後に改めて予期せぬプレゼントを登りなおし、ヌンチャクを回収してNINJAを掃除して、昼前に下山。
あとは連休前にオープンしたばかりのRoofRockへ行って、お店の前にたむろして過ごした。

憧れのルートをまた1本、登ることができた。
杉野さんはOBGの記事で、『私は、このルートを登りたい』と書いていた。
僕もこの春、ずっとそういう気持ちでトライをしていた。
五月蠅い御託は抜きにして、僕はこのルートを登りたかった。
このルートに向かうことについて、頭の中はこれまでにないくらいシンプルだったように思う。
これでしばらく花崗岩のハードなルートはいいかな、と思いつつ、
一方で確かな自信を得ることもでき、すべて前向きに終わることができたと感じている。
そのことについては、僕を再びこのルートに誘って付き合ってくれたノミーに感謝するところだ。
前向きな心持ちでトライを重ねていくことが本当に大切だったし、
細く狭い針穴を通すようなムーヴでは、時にゆっくりと意識して動くことも必要、ということも学んだ。
学びが多いルートはそれだけで良いルートだと、僕は思っている。

もうひとつ、考えたことがある。
NINJAが登られた1987年は、日本のクライミング界にハンマードリルが持ち込まれた年でもある。
つまりNINJAは、国内で最初にハンマードリルでボルトが打たれたルートのひとつ、ということになるらしい。
初登者のグロヴァッツは当時、まず「ここだ」というラインに目測でボルトを設置し、
トライする中で必要があればボルトを抜いて違う位置に打ち直す、という考えでルートを拓いたようだ。
このことについては厳密な歴史的考証が要るのだと思うが、
あえて一言で書いてしまえば「とりあえず大体の位置でボルトを打って、後から直す」ということだ。
実際、最初のボルト位置はムーヴに対してかなり外れていて、
かなり長いスリングでヌンチャクを延長しなくてはならなかった、というのは事実だ。
その後、ルートがリボルトされる際に、グラウンドアップでもトライが可能な今の位置に変更されている。
グロヴァッツ自身も、「ボルトの位置はベストではなかった」と認めていたと聞く。

初登者がどのような考えでボルトを打ったのか。
そしてその後ボルト位置を変えることを承諾した彼にどのような経緯があったのか。
それに僕は今、思いを馳せる。
まず目測で打って後から直せばよい、というやり方は、今の自分からすれば驚きだ。
しかしNINJA以降、ハンマードリルとその考え方の流入を受け、
国内のボルトルートの開拓スピードは一気に加速したことだろう。
そして僕自身、そうして拓かれたルートを数多く登って育ってきた。
だから、当時のグロヴァッツの考え方を無碍に否定することは、僕には出来ない。

それならば、グラウンドアップでヌンチャクをかけながら登る、というのが理想だったのだろう。
しかし僕はそれをせず、トップロープで試登し、ヌンチャクを残した状態でトライして登った。
もっと出来ることがあったのかもしれない。
人の考え方は時代とともに変わる。グロヴァッツ自身も、変わったのかもしれない。
そして僕はその変化を経た後の時代を生きている。その時代で登っている。
このルートを登れたことは心から嬉しいけれど、歴史あるルートだからこそ、考えることもたくさんある。
そして、考えることをやめてはいけない。

素晴らしかったこのルートの記憶と共に、そのことを覚えておきたい。

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