2024年5月13日月曜日

GW前半戦

NHKさんは、この時期の連休のことを頑なに「大型連休」と呼ぶらしい。
ゴールデンウイークという名称は映画業界発のものなんだとか、なんとか。
僕はゴールデンウイークと呼びます。映画好きだし。


さて今年のGW、例年とは少し違うことをした。
コミネムが「山の壁行こうよ」と誘ってくれたので、懐かしの屏風岩へ行くことになった。
アルパインクライミングに憧れて山岳会に入った大学生時代に、結構頑張って登った岩場だ。
記憶を辿ってみると、最後に行ってから10年は経っている。いやはや。
登るのは青白ハングフリー(5.12b, 9P)。
初登から20年が過ぎたらしいが、第2登以降トライした話すらほぼ聞かない。

前日の深夜に沢渡まで行き、朝のバスに乗って上高地へ。
よく考えてみると、この時期の上高地に来るのは初めてだった。
山を登る人、涸沢まで行く人、スキーを担いだ人、いろいろいる。勿論観光客も多い。
小梨平から横尾までずんずん歩き、川を渡って壁の偵察にも行った。
雪解けの梓川は、冬の遠山川の比じゃないくらいに冷たく、足がなくなるかと思った。
取りつきのT4尾根は、1P目が丸々雪渓で埋まって上のビレイ点が雪から顔を出していた。
本当はT4まで登ってロープをフィックスしておきたかったけれど、ここで雨。
ロープをあまり濡らしたくなかったので、フィックスは諦めて翌朝早く出ることにした。
それにしても、今回朝と夕のメインにしたカレーメシが、荷物の中でどうにも臭って参った。
ジップロックに入れた程度では、あの強烈な臭いは閉じ込められないらしい。

2日目、午前3時に起きる。
薄明るくなってくる中T4尾根の取りつきまで上がると、流石に息が切れた。
岩と藪と雪が混じるT4尾根を登って、T4に上がると朝日が差してきた。
ここから青白ハングフリーのルートが始まる。
1P目(IV)をコミネムがリードして、2P目(5.8)は僕がリード。
この5.8から早速雲行きが怪しくなった。
見た目は易しいコーナークラックなのに、染み出しでびしょびしょ。灌木も伸び放題。
これくらいは予想していたけれど、3P目(5.10d)はもっと濡れていた。
見るからにどうしようもない前半を越えても、ずっとクラックは濡れているしフットホールドは埃まみれで、しかも悪い。
いつも優しい物腰のコミネムがFワードを連発しながらオンサイトしていった。
僕はフォローでも落ちるかと思った。

4P目(II)は大テラスの短いトラバースで、易しいもののやはりほとんど藪。
5P目(5.9)も顕著なコーナーだったはずなのに、気が伸びすぎて逆に難しかった。これもコミネムが奮闘してOS。
で、ここからやっと本題の青白ハングが始まる。
「もう既にお腹いっぱいな感じもするけど」と苦笑いするコミネムに激しくうなずく僕。
が、行ける限りは行ってみようということで、恐る恐る6P目(5.11d)を登りだした。
登ってみるとかなり傾斜を感じた。110度くらいはあったかも。
手元のホールドはかかりこそ悪くないけれど、根こそぎもげそうで、そうでもなさそうで、ひやひやする。
出だしのちょっと悪いセクションで腹が決まらず行きつ戻りつして、やっとムーヴを見つけて突破。
中間以降のハングのヘリをトラバースする個所は完全に現場処理で、どうにかOSした。
ここはRCCがそれなりに近い間隔で打たれているので、怖さはそれほどでもなかった。錆び気味だけど。
コミネムがひーひー言いながらフォローして、「前腕が終わった!」と報告してきた。
僕はそれ自体久しぶりな山の壁で5.11dをOSしたことにちょっと驚いていた。

が、コミネムがこの次にリードした7P目(5.11a)が全体で一番大変だった。
またしてもコーナークラックは濡れているし、打たれているのは錆びたリングボルト。
それだけならまだしも、中間部に巨大な浮石が挟まっている。
更に後半のルーフ下トラバースは濡れに加えて苔むしてどろどろ。
流石のコミネムもここで力尽きて、エイドで抜けていった。
僕も中間の浮石で心を折られ、トラバースを死に物狂いで越え、エイドとかフリーとかがどうでもよくなってきた。

コミネムが工夫を凝らして作った支点にぶら下がって、次のピッチのことを考えると、ここで降りたくなった。
8P目(5.12b)は恐らくルート全体の核心。ここまでのピッチのことを考えると腰が引ける。
そして見上げてみると、これは本当に山の壁なのかと思うほどハングしている。さらに腰が引ける。
が、ここでコミネムが一言、「今年は気持ちを前に向けるんじゃないのかよ」と発破をかけてきた。
リードが自分の番ではないので何とでも言える、と思って煽りに煽ってくる。
そこまで言われると登らないわけには...ということで、行けるだけ行ってみることにした。
登りだしてみると、案外岩は硬い。残置の支点も錆びてはいるものそこそこの間隔であった。
が、核心と思しきセクションで流石にテンションがかかった。
ここはライン取りがよく分からず、右往左往して、結局左寄りを登った。
一瞬体重を預けたアングルピトンは頼りなかったので、スモールカムを固め取りして突っ込む。
石灰岩の前傾壁かと錯覚するくらいのパワフルなムーヴをこなして、コーナークラックが開いている部分にたどり着いた。
下からは見えない位置のクラックが、しっかりと開いていて助かった。
あとは易しくはないけれど下に比べれば怖くない前傾クラックを大股開きで登って、ハングを抜けて一坪テラスに這い上がった。
とにかく驚いた。アルパインの岩場でこんなにジムナスティックなピッチが出てくるとは思っていなかった。
半分ユマールして上がってきたコミネムは、もはや売り切れ状態のご様子。
「最終ピッチ、任せた!」とおっしゃる。おいおい、さっきあれだけ煽られたんですけど。

しかしまあ、あと1ピッチだし、ということで僕が続投でリードすることに。
9P目(5.12b)は、「5.11と発表されたがホールドが欠けたらしい」との話だった。
たしかに核心らしいステミングでのムーヴは結構悪かったけれど、11の範疇だったような気もする。
僕はそれよりも、中間部のボロボロのコーナークラック(やっぱり濡れている)の方が辛かった。ここは残置ピトンを掴んで越えた。
ハングの切れ目のコーナーを抜けてスラブに出てから右にトラバースして、ブッシュに突っ込んで終了。
これで実質のクライミングは終わり、そこからさらに急な藪の中を2ピッチ登って、雲稜の下降点に出た。
あとは辺りがどんどん暗くなる中、雲稜ルートをラペルしてT4、そしてT4尾根から雪渓に降りて、ベースに帰った。

テントに着いたのは20:20だった。行動時間は約16時間。まあ上々だろう。
とにかくあれだけボロボロでビショビショの壁から無事に帰ってこられてほっとした。

3日目、ゆっくり起きてテントを畳み、小梨平へ向けて帰っていった。
徳沢、明神と近づくにつれて観光客が増えていく。
途中、追い抜いたおばちゃん集団から気になる話し声が聞こえた。
「最近の男の子は優しいのよね!」
「時代よ!時代!」
追い抜いて30秒後、コミネムとあれはなんだったんだろうという話になった。
並走してじっくり聞くのは流石に気が退けたので、そのまま行ってしまったけれど、一体どんな方向の話題だったのだろうか。
小梨平に着き、バスに乗って沢渡、お昼時には松本に下ることができた。
あとはコーヒーで眠気を飛ばしつつ、家まで帰った。
猿もたくさんいた

青白ハングフリーは、とにかく凄いルートだった。
ほぼ自然に還っていると言って差し支えないくらい汚れていたし、支点も朽ちかけているし、恐ろしいことこの上ない。
もともとこのルートは、緑ルートとトリプルジョーカーという2本のエイドルートのラインを出入りしながら登られている。
そのどちらのルートも、近年登られた形跡はほぼなかった。
唯一、ルートの前半でアルパインドローが1本残置されているを見つけたけれど、それもいつのものかは分からない。
これだけワイルドな状態だったのだけれど、ルートの内容は驚くほど充実したフリークライミングだった。
3P目、6P目、8P目、9P目は地上にあって乾いていたとしても、十分にそのグレードはあるし、内容も詰まっていた。
特に8P目の前傾コーナークラックは、自分の中で山の壁の概念がすべて覆りそうなクライミングだった。
そしてこんなに難しかったのに、青白ハングの弱点は今のところここしかない。
このラインが本当にフリーで可能だと分かった時、初登者たちはどれだけ興奮したことだろうか。
個人的に知る両氏には、本当に頭が下がります。足を向けて眠れません。

エイド交じりで登り切った時には、「もう登りたくない...」とぜーぜー言いながら思ったのに、
帰ってきてみるとオールフリーで登れなかったことに悔しさが増してくる。
次はいつ行けるだろうか、もっと乾いている時期がいいな、ともう考えてしまう。

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