2024年5月27日月曜日

2024年5月18日

不動沢、摩天岩にあるプロジェクトを初登した。


弁天岩のセンスオブワンダーが完成したのが2018年の5月。
その年の8月、大ザルと二人で摩天岩のこのラインを偵察に行った。
かぜひきルートを2ピッチ登って壁の上に回り、ラペルしてみると、思ったよりも傾斜があった。
明確な節理は繋がっておらず、途切れ途切れのフレークとポケット、浅いコーナーなど、ピースが散らばっているように見えた。
そしてその年から、大ザルがこのフェースを掃除してトライを始めた。

2023年、大ザルが心臓の病気で入院したという報せが、母から突然届いた。
兄も、僕も、サル左衛門も事態が分かってくるまで、前触れなく訪れた不安で騒然となっていた。
今にして振り返ると、母の抱えた心労は計り知れない。僕もすぐに面会に行きはしたが、頭が下がるばかりだ。
幸いなことに命に別状はなく、その後のリハビリの甲斐あって、日常生活には問題ないところまで回復した。
しかし登山やクライミングについてはより慎重にならざるを得ず、ずっと不透明だった。
入院前のように登ることはもうできないかもしれない。
誰も言葉には出さなかったけれど、僕はそう思っていた。
病気以前に、年齢的な衰えのこともある。あとは本人がどう受け入れていくのかだ、と。

その年の暮れくらいのことだったと思う。
「摩天のプロジェクト、代わりにやってくれていいぞ」
大ザルが僕にそう言った。
一度下りた時の記憶から、良いルートになることは分かっていた。断る理由はない。
以来僕はこの半年ほど、春が来るのを待ちわびていた。

今年の5月、GWの後半に改めて壁の上に回り、ロープを張って作業に入った。

NINJAを登った翌日、一人で摩天岩に向かった。
この日は前回終わらなかった掃除の続きをして、核心と思われるパートのリハーサルもした。
このルートはラインが蛇行している上に、前回ロープを切りかけた凶暴なダイクが上部に突き出ているので、
フィックスにぶら下がってすべてのパートを触るのは骨が折れる。
それに、掃除をした感じで、核心以外は初見でも大丈夫そうに見えた。
そこは楽しみを取っておこう、ということにした。
この日は一日曇りで、壁の状態は良かった。
核心のムーヴをやってみた感触では、暑いと歯が立たなくなりそうだ。
どのようにそのチャンスを作るか、それを考えながら、小雨が降り始めた登山道を下った。

「来週リードします」と大ザルに連絡すると、「ビレイしに行きたいな」と返ってきた。
そう来るだろうと思っていた。

5月18日、朝は5時に起きて不動沢に向かった。コンディションを掴むための作戦は、シンプルに早起き。
自分一人で先に行って掃除とムーヴの確認を済ませ、大ザルには後からゆっくり来てもらうことにした。
壁の下に着いたのは8時半前。ラジオ体操をして、ギアを用意し、フィックスをユマールした。
摩天岩は全体に南向きで、あっという間に暑くなってくるだろうと予想していたけれど、
実際に日当たりの変化を見てみると、このラインは若干南南西を向いているらしい。
9時を過ぎても、1P目の核心はまだ半分くらい影だった。

10時過ぎに大ザルが上がってきた。
それとタッチの差くらいでムーヴを確認し終え、体も温まったのでトライの用意をした。
ギアを取りつきに並べて、不足がないか、いつもよりも重ねて確認した。
大ザルとロープのやり取りのことも少し相談しつつ、壁を見やる。
最後まで影があった1P目の核心も、流石に日向になっていた。
しかし今さら暑さを気にしても仕方ない。やってみるだけだ。

木登りと易しいフレークを過ぎて、大ザルが打ったピトンにクリップ。
このピトンはポケットに突き刺さっているので、恐らく抜けないはずだ。
少しクライムダウンしてレストし、呼吸を整えて核心のボルダーセクションに入った。
最初の数手をこなして、左上のアンダーフレークで少しチョークアップして、ダイクを右へ。
ここのトラバースがいちばん悪く、ホールドもシビアで、よく繋がっていてくれたと思う。
少しばかり温まってしまったホールドを握りこみ、「抜けてくれるなよ」と念じながらデッドを出して、なんとか核心を越えた。
ピトンはしっかり入っているけれど、それでも足元を過ぎるのでなかなか緊張した。かなり声も出た。
あとはまた易しいフレークを登って、カムで支点を作りピッチを切った。

大ザルがユマールしてきて一言、「結構簡単に登ってくれたな」。
いやいや、簡単ではなかったって。
しかしとりあえず、いちばんの懸案事項は終わった。

ギアを整理し、2P目を登り始めた。
このピッチはムーヴをやっていない個所が多いが、そこは現場処理。
出だしから、1P目とは違う緊張があった。
最初のプロテクションを固め取りして、さっそくこのピッチの核心が始まる。
このパートは1P目よりもずっと易しいけれど、ランナウトも長い。
そしていちばんランナウトするところにちゃんとボルダームーヴが待っている。
ここも緊張でホールドを握りすぎ、壁に入り込んでしまったせいでフットホールドが見えにくくなった。ここでもまたしっかり吠えた。
核心最後の1手をこなしてガバを掴むと、とりあえずは一安心。
この手のランナウトには慣れてきたつもりだけれど、未だに怖いものは怖いのだ。
核心を抜けてから、しばらくは快適なフェースが続いた。
ここは大きなポケットがたくさん開いていて、登っていて驚くとともに楽しい。
上部のハングの付け根に潜り込むと、一際大きな洗面器上の穴が開いている。
ここはGWに来た時は乾いていたのに、このときは水が溜まっていた。
これからまた長いこと、この水は干上がらずにここに溜まっているのだろう。

最後のハングを越え、短いコーナーとその先のランナウトするスラブを慎重に登り、壁の頭に抜けた。
核心は明らかに1P目だけれど、2P目はとにかく内容が素晴らしかった。
大ザルがユマールしてきて、「よかったな」とだけ言った。
拳を突き合わせることはなかった。
ただ肩を寄せ合って記念写真を撮り、持ち上げた水筒でお茶を飲んだ。


このルートは大切に登りたいと考えていた。
大ザルが何年も通い詰めて可能性を探っていたことや、そのためのトレーニングを続けていたことは知っていた。
それに、それを諦めることが決して簡単ではなかったということも、想像がつく。
そのためか、かかった日数は少なかったけれど、このルートをどのように登ったものか悩んだ。
もともと大ザルが掃除していたラインに限らず、改めてその左右の壁をよく見て探った。
打たれているハーケンを使うか否かも検討したし、2ピッチに分けず1ピッチで通して登ることも考えた。
しかし結局は、登るラインは大ザルが見定めていたものと同じになり、
2本あるハーケンは両方とも使い、当初の構想通り2ピッチに分けて初登した。
ロープにぶら下がって岩を磨いているうちに、ある考えが浮かんでどうしても離れなくなったのだ。
「これは僕が見出したものではなく、あくまで引き継いだものだ」ということだ。
『引き継ぐ』という言葉をどのように考えるか、それは難しい。
少なくとも僕にとっては、この言葉の持つ意味はとても重く、そして大切だ。

ラペルで掃除して、時間をかけてリハーサルをして、プロテクションも確認済みの状態で登ったので、
開拓のやり方として新しい挑戦ができたわけではなかった。
そのことには少しばかり悔やまれるところもある。
しかし、このルートが無事に完成し、そしてとても良いものになったという結果だけで、今は十分なのだろう。
いや、十分すぎるくらいなのかもしれない。

ルート名は、大ザルにつけてもらうことにした。
トライの数日前、「何か考えている名前があればつけてください」と頼むと、「2031」と返事が来た。
2031年。指折り数えてみると、その年に僕はちょうど40歳になるようだ。
そして、クライミングを始めて30年になるのもこの年だ。
まだ随分先のようにも、そう遠くない未来であるようにも思える。

ラペルして取りつきに降り立ち、ロープを抜いて、また壁を見上げてみた。
複雑な形状が繋がった、特徴的な内容を持つルートだった。
「こういうのが残っていたんだな」と言うと、大ザルは「見る目が変わったっていうことだよな」と言った。
友達クラブによる不動沢の開拓当時は、綺麗な壁にはっきりと伸びる節理こそが美しいとされ、皆それを探し求めていた。
クライマーが持つその美的感覚は、今も概ね変わっていないのかもしれないが、視点は確実に変化した。
大ザル自身が初登したかぜひきクラックと、そこから20メートル左の壁にあるこのルートが、その変化の大きさを感じさせてくれる。
それは進歩と言えるのだろうか。それとも違う言葉を与えるべきなのだろうか。
いずれにせよ、僕はその新しい視点で岩を見ることが面白く感じている。
そして、その結果またひとつ出来上がったこのルートの持つ内容が気に入っているのだ。
大ザルがどのようにこの壁を見ていたのかを自分も共有できたことと、
そして古希が見えてきた大ザルのその目が未だ曇っていないと分かったことも含めて。

40歳になるまで、あとどれくらい自分はこういうルートを登ることができるだろう。
ひとつでも多く、そしてより良く登って、その時を迎えたいと願うものだ。
そして2031年の5月になったら、このルートのことをゆっくりと思い出し、父と子で語り合ってみたい。

『2031』 (不動沢、摩天岩)
1P目:5.13b 15~20m
2P目:5.12a R 30~35m
使用ギア:C#0.3~#3 アルパインドロー数本
備考:下降は同ルートをラペル(50m)。上部の鋭いダイクには注意が必要。



2024年5月20日月曜日

そして時は進む

5月11日、やっとNINJAを登ることができた。
通算でのトライ日数は数えていないけれど、10日前後だろうか。今シーズンに入って4日目だった。


もはや花崗岩のハードなやつならこの男と、という感じになりつつあるノミーと、シーズン最後のアタックをすることになった。
日中はもう暑すぎるし、夕方の冷え込みもあまり期待できない。
それに金峰山荘の営業が始まったので、7時にはゲートをでなければいけない。ということで残業は無理だ。
つまり、早朝から行って日が当たるまでにトライを終えるしかない。
というわけで、「朝5時に行くっしょ!」と強気なノミー先輩に「行くっしょ!(早いなー)」と返した。
実際、当日の朝はお互い少し寝坊して、駐車場に着いたのは5時半過ぎだった。

誰もいるはずのないクジラ岩周辺でアップする。
スパイヤー右端の4級が、個人的に小川山・瑞牆で最強の4級だと思っているのだけれど、
足下が究極にシビアなNINJAのアップにはこの課題を登るのがちょうどいい。
NINJAに通うたびに登るようになったおかげで、毎回きちんと登れるようになった。
この日も1回でスッと立って、少し安心。今回の運試しも大丈夫だったな、という気分。
エイハブ船長などなど、普段なら人が多すぎて近づけない課題も一通り触って、早起きでギシギシ感じる体をほぐした。

アップを早めに切り上げて、お殿様岩に上がった。4月の前半よりも、明らかに空気が温かい。
予期せぬプレゼントを手早く登って、トップロープを張って掃除とムーヴの確認。
前回からGWを挟んで少し間が開いてしまったけれど、感触は悪くない。ヌメらなければ、だが。

ノミーが男らしく「最初からリードで行きまっす!」と言うので、先にトライしてもらった。
前にあれだけ嫌そうにしていた下部の小核心をスパッと止め、本当の核心の入り口で落ちてきた。
核心のムーヴをほどほどに確認して先輩が下りてきたので、こちらも気合を入れる。
お互いに一度は王手に持ち込んでいるのだ。競争意識ではなく、純粋に気持ちが盛り上がってくる。
しかしじっくりやっている時間はない。リードで勝負するチャンスは、あっても2回くらいだろう。

取りつきの狭いコルに上がってシューズを履くと、流石に緊張する。
ノミーが「決めてくれぇ」と言うので、「決めちゃうよーん」と軽くふざけて誤魔化した。
取りつくと、岩のフリクションは思ったほど悪くない。まだ朝の冷え込みが残っている。
ダイクにマントルを返してトラバース、そして最初の小核心。
と、遠いムーヴを止めたと思った瞬間に足が抜けて落ちた。やらかした。
一瞬焦りがぐんと増しそうになったものの、1回目はこんなところだと落ち着かせる。
「1回そこで落ちた後すぐやると、感触良くなるんすよ」
下からいつもどおり前向きなノミーの声が飛んできた。
シーズン最後の日、この数分間を逃してはいけない気がした。
「すぐにもう一回やっていい?」
「やろう!」

ロープを抜いて、もう一度取りつきのコルに上がる。液体チョークは面倒なので塗るのをやめた。
1回トライして、また少し緊張がほぐれたようだ。やれるだけやろう、という気持ちになっていた。
再びダンクにマントルを返すと、こめかみにそよ風が当たるのを感じた。フリクションもまだ良い。
先ほど落ちた小核心に、足を慎重に置いて入っていく。少しプルッときたが、止まった。
そのまま数手進んで、レストポイントに入る。
「これが今シーズン最後だ」という意識は、不思議と消えていた。
核心のムーヴのひとつひとつを思い浮かべることもなかった。
ただゆっくりと呼吸が整うのを待ち、もう一度深呼吸して核心に入っていく。
手も足も微かに震え、それでも狙いは外れずにムーヴが繋がる。
最大の核心になるシークエンスに入るところで、一瞬足が滑ったものの、落ち着いて置きなおす。
ただ「落ち着け、ゆっくり」と念じて、ポケットを差す。左右の足はまだ抜けていない。
そして、前に二度落とされた核心最後のムーヴに差し掛かる。
ここのフットホールドをよく見て、しっかりと狙って踏みなおす余裕が、この日はあった。
最後のホールドに手がかかり、体重が乗った。

核心を抜けたところにある大穴で長くレストして、上がった呼吸をもう一度落ち着け、
最後の11程度のフェースを登って岩の頭に抜けた。
春の日差しに岩が焼かれる前に、どうにか逃げ切ることができた。

「やりぃ!」
「ビッグウォールだったら俺、泣いてます」

その後、ノミーは壁が完全に日向になるまで粘ったものの、RPは秋に持ち越しになった。
最後に改めて予期せぬプレゼントを登りなおし、ヌンチャクを回収してNINJAを掃除して、昼前に下山。
あとは連休前にオープンしたばかりのRoofRockへ行って、お店の前にたむろして過ごした。

憧れのルートをまた1本、登ることができた。
杉野さんはOBGの記事で、『私は、このルートを登りたい』と書いていた。
僕もこの春、ずっとそういう気持ちでトライをしていた。
五月蠅い御託は抜きにして、僕はこのルートを登りたかった。
このルートに向かうことについて、頭の中はこれまでにないくらいシンプルだったように思う。
これでしばらく花崗岩のハードなルートはいいかな、と思いつつ、
一方で確かな自信を得ることもでき、すべて前向きに終わることができたと感じている。
そのことについては、僕を再びこのルートに誘って付き合ってくれたノミーに感謝するところだ。
前向きな心持ちでトライを重ねていくことが本当に大切だったし、
細く狭い針穴を通すようなムーヴでは、時にゆっくりと意識して動くことも必要、ということも学んだ。
学びが多いルートはそれだけで良いルートだと、僕は思っている。

もうひとつ、考えたことがある。
NINJAが登られた1987年は、日本のクライミング界にハンマードリルが持ち込まれた年でもある。
つまりNINJAは、国内で最初にハンマードリルでボルトが打たれたルートのひとつ、ということになるらしい。
初登者のグロヴァッツは当時、まず「ここだ」というラインに目測でボルトを設置し、
トライする中で必要があればボルトを抜いて違う位置に打ち直す、という考えでルートを拓いたようだ。
このことについては厳密な歴史的考証が要るのだと思うが、
あえて一言で書いてしまえば「とりあえず大体の位置でボルトを打って、後から直す」ということだ。
実際、最初のボルト位置はムーヴに対してかなり外れていて、
かなり長いスリングでヌンチャクを延長しなくてはならなかった、というのは事実だ。
その後、ルートがリボルトされる際に、グラウンドアップでもトライが可能な今の位置に変更されている。
グロヴァッツ自身も、「ボルトの位置はベストではなかった」と認めていたと聞く。

初登者がどのような考えでボルトを打ったのか。
そしてその後ボルト位置を変えることを承諾した彼にどのような経緯があったのか。
それに僕は今、思いを馳せる。
まず目測で打って後から直せばよい、というやり方は、今の自分からすれば驚きだ。
しかしNINJA以降、ハンマードリルとその考え方の流入を受け、
国内のボルトルートの開拓スピードは一気に加速したことだろう。
そして僕自身、そうして拓かれたルートを数多く登って育ってきた。
だから、当時のグロヴァッツの考え方を無碍に否定することは、僕には出来ない。

それならば、グラウンドアップでヌンチャクをかけながら登る、というのが理想だったのだろう。
しかし僕はそれをせず、トップロープで試登し、ヌンチャクを残した状態でトライして登った。
もっと出来ることがあったのかもしれない。
人の考え方は時代とともに変わる。グロヴァッツ自身も、変わったのかもしれない。
そして僕はその変化を経た後の時代を生きている。その時代で登っている。
このルートを登れたことは心から嬉しいけれど、歴史あるルートだからこそ、考えることもたくさんある。
そして、考えることをやめてはいけない。

素晴らしかったこのルートの記憶と共に、そのことを覚えておきたい。

2024年5月15日水曜日

GW後半戦

屏風岩から帰って、思考が若干空中浮遊しつつ3日間の平日を過ごし、再び連休に突入。
後半は4日とも瑞牆に引きこもっていた。

5/3、あさこさんと二人、「マルチピッチでも行きますか」と出かけた。
お互いに今シーズン初だったので、易しめのルートを選んで調和の幻想(5.10a 5P)を登った。
ゆっくり出ていったのに、駐車場はまだ満車ではなく、奥の方にギリギリ停められた。
で、末端壁まで行くと、誰もいない。唯一、調和の幻想に先行が1組いるだけ。
これまでずっと、いつも混んでいるという理由で末端壁を避けてきたのに、これはどういうことだ。
「なんじゃこりゃ、クライマーはどこ行った」「滅んだんかな」となる。
まあ空いているのは良いことなので、のんびり準備して登りだした。
奇数ピッチがあさこさん、偶数ピッチが僕。
序盤のピッチのクラックが多少濡れていた以外は、春の乾燥した空気の中快適に登ることができた。
5P目の長いクラックは、フォローでもなかなか登りごたえがあった。
さくさくとこの日のクライミングを終え、早めに下山。
ボルダーエリアも、人は疎らだった。うーん。

5/4、この日は久しぶりにいましさんと登った。
初めはコスモスに行こうという話だったけれど、諸事情によりショートルートに変更。
そういうことならと、カンマンボロンの風のエリアに行くことにした。
暑くなる予報だったけれど、ここは西面なので午前中は結構涼しく登れることを再確認。
Celebrating Spring(5.10c)でアップして、オリヅル(5.13c)をやってみる。
昨年、隣のA Wish(5.13b)を登ってから、ずっとトライしてみたかった。
トポに11程度と書かれているクラックを登って、ハング下で一度レスト。
ハングの先は溝状とあったけれど、実際に来て見るとフレアしたフィンガーという感じ。
ここでクラックの奥の湿気から激しくヌメって、呆気なく心が折れてテンション。
このフィンガーが細くなって閉じるあたりがなかなか曲者で、プロテクションの効きも微妙だった。
結構苦労してムーヴを解決し、閉じたクラックから少しだけランナウトして上のボルトにクリップ。
その先がルート全体の核心になるフェースになるわけで、かなり身構えつつ突っ込む。
と、フェースのセクションは各駅停車したものの、ムーヴはすべて1回で出来てしまった。
お、これはいいぞ!
ロアーダウンしながらクラックのパートのプロテクションとムーヴをもう一度確認して、いましさんに交代した。

いましさんがA Wishをトライしている間に、昼を回って壁が完全に日向になった。日差しはかなり暑い。
しかしこれ以上待っても日没までこの状態なので、2回目のトライ。
序盤のクラックはもう分かったので手早く抜けて、ハングからフィンガーに突入。
プロテクションのセットがちょっとシビアになるので緊張した。
若干のヌメりを感じつつ、半ば強引にここのセクションをねじ伏せて、ボルト下の大穴へのムーヴも止まった。
あとはもう、ヌメろうが何しようが、このトライで登るしかない。
長めにレストを入れて、フェースの核心に入ると、やはり1トライ目よりもホールドの保持感が悪い。
一番悪い一手を出すときに、握っている結晶がすっぽ抜けそうだったが、なんとか堪えた。
あとはパンプと闘いながら、終了点まで走り切った。
このグレードがこのトライ数で登れたのは初めて。そしてとても良いルートだった。
トポでは☆☆だけれど、個人的には☆☆☆でもいいと思う。
暑さも相まって、痺れるクライミングでした。

5/5、この日はあさこさんと不動沢のプロジェクトの掃除に出かけた。
不動沢も、やっぱり屏風岩が賑わっているだけで、そこを過ぎるとクライマーは皆無だった。
やっぱり滅んでしまったんだろうか。
プロジェクトは、岩の上からシャクナゲの藪を漕ぎながらトップの木まで回り込んで、フィックスを張るところから。
前に一度、大ザルと下りてみたことがあるのだけれど、今一度見てみるとかなり長さがあった。
とりあえず下まで一気にラペルして、お昼を食べつつ掃除。
2ピッチのルートになるので、まず中間のビレイ点をカムで作って、1P目から磨いた。
これがあまり良くなかったらしい。
下を済ませて2P目にユマールしていくと、ロープが鋭く突き出たダイクに当たってしまっていた。
ダイクの5メートルくらい下から見上げて、当たっている部分の外皮が完全に切れているのが目に入った。
トップからラペルしたときには、ダイクの出た部分にロープが当たらないようにおりたのだが、
1P目の掃除をしている間にロープが一度緩んで位置がずれ、尖った部分に当たってしまったらしい。
このままユマールを続けてロープがさらに擦れれば切れる。
そう感じて、「頼む、切れるなよ...」と念じながらゆっくりラペルした。
どうにか地面まで戻って一安心した。本当に危なかった。
仕方ないので泣く泣くもう一度壁の裏からトップに回り込み、ロープを手繰り上げてみると、むき出しの芯も少し毛羽立っていた。
それから2P目を半分くらい掃除したところでこの日は時間切れになった。
ロープの外皮が切れるトラブルがなければ掃除を終えられていたかも。勿体なかった。
皆さん、ローププロテクターを正しく使いましょう。僕は大反省です。

5/6、この日は大ザルと不動沢へ。
未来の舞(5.11d 3P)の支点が昨年すべて新しくなったので、下から全ピッチ登ろうということで行った。
トライアングルフェースの下に着いて荷物を広げていると、あれ、ハーネスがない。
仕方なく車までダッシュで取りに戻った。
が、結局車にも僕のハーネスはなく、大ザルが予備で持ってきてあったハーネスを借りた。
さて未来の舞は、以前1P目だけ何度か登ったことがあった。
それもしばらく前のことなので、核心がかなり苦しかったこと以外ろくに覚えていない。
ゆっくりゆっくり登っていくと、核心の手前からそこそこ悪く感じた。
あれ、ここもこんなに難しかったっけ。
そして入った核心は、やっぱり厳しかった。
細かいポケットをゴリゴリ保持して、ラストのマントルもふーふー言いながら返した。
改めて登ってみると、El Capのフリーブラストの核心ピッチよりも少し悪いくらい。
そうなると、やっぱりこれは5.11dということでいいのだろう。

大ザルがフォローしてきて、2P目(5.10d)。
トポでは3ピッチのルートなのだが、3P目のビレイ点はリボルトの際になくなり、2P目でトップまで登るようになった。
このピッチが、大ザルが長いこと「あのピッチが素晴らしんだがなぁ」と話していたピッチだ。
中間に右へトラバース個所があり、下から見上げるとボルトが3本横並びに打ってあってオリオンのベルトのように見える。
ここはこんな風にボルトを打つ必要があるのか、と思ってしまうが、登ってみると納得。
たしかに3本とも必要だし、登るラインもここで合っている。
しかもちゃんとランナウトしつつ、核心になるムーヴもそれなりにピリッとしている。
核心を越えると、ご褒美と言わんばかりに棚のような特大のダイクが突き出ていた。
ハーフドームにひとりでたたずむオノルドみたいなことができそうなくらいだ(オノルディングというらしい)。
何度もマントルを返し、最後にまた少しだけドキッとする小核心があって、トップに抜けた。
このピッチは、個人的に不動沢のスラブの中でベストワンだと思う。
登っていて本当に楽しい、驚きに満ちたスラブだった。

大ザルがフォローしてきて、コズミックサーフィンとの間のルンゼから歩いて下り、取りつきに戻った。
未来の舞は大ザルと清水さんがフリー化したルートだ。
初登者のひとりと、このルートを登ることができて、贅沢な時間だったと思う。
登って感激したことを、「これは名作!」と少し早口で褒めちぎると、大ザルは少し俯いた。
「それだけ褒めてもらえると、嬉しいな」と照れているようだった。
なんとも、この人らしいなと思った。

2024年5月13日月曜日

GW前半戦

NHKさんは、この時期の連休のことを頑なに「大型連休」と呼ぶらしい。
ゴールデンウイークという名称は映画業界発のものなんだとか、なんとか。
僕はゴールデンウイークと呼びます。映画好きだし。


さて今年のGW、例年とは少し違うことをした。
コミネムが「山の壁行こうよ」と誘ってくれたので、懐かしの屏風岩へ行くことになった。
アルパインクライミングに憧れて山岳会に入った大学生時代に、結構頑張って登った岩場だ。
記憶を辿ってみると、最後に行ってから10年は経っている。いやはや。
登るのは青白ハングフリー(5.12b, 9P)。
初登から20年が過ぎたらしいが、第2登以降トライした話すらほぼ聞かない。

前日の深夜に沢渡まで行き、朝のバスに乗って上高地へ。
よく考えてみると、この時期の上高地に来るのは初めてだった。
山を登る人、涸沢まで行く人、スキーを担いだ人、いろいろいる。勿論観光客も多い。
小梨平から横尾までずんずん歩き、川を渡って壁の偵察にも行った。
雪解けの梓川は、冬の遠山川の比じゃないくらいに冷たく、足がなくなるかと思った。
取りつきのT4尾根は、1P目が丸々雪渓で埋まって上のビレイ点が雪から顔を出していた。
本当はT4まで登ってロープをフィックスしておきたかったけれど、ここで雨。
ロープをあまり濡らしたくなかったので、フィックスは諦めて翌朝早く出ることにした。
それにしても、今回朝と夕のメインにしたカレーメシが、荷物の中でどうにも臭って参った。
ジップロックに入れた程度では、あの強烈な臭いは閉じ込められないらしい。

2日目、午前3時に起きる。
薄明るくなってくる中T4尾根の取りつきまで上がると、流石に息が切れた。
岩と藪と雪が混じるT4尾根を登って、T4に上がると朝日が差してきた。
ここから青白ハングフリーのルートが始まる。
1P目(IV)をコミネムがリードして、2P目(5.8)は僕がリード。
この5.8から早速雲行きが怪しくなった。
見た目は易しいコーナークラックなのに、染み出しでびしょびしょ。灌木も伸び放題。
これくらいは予想していたけれど、3P目(5.10d)はもっと濡れていた。
見るからにどうしようもない前半を越えても、ずっとクラックは濡れているしフットホールドは埃まみれで、しかも悪い。
いつも優しい物腰のコミネムがFワードを連発しながらオンサイトしていった。
僕はフォローでも落ちるかと思った。

4P目(II)は大テラスの短いトラバースで、易しいもののやはりほとんど藪。
5P目(5.9)も顕著なコーナーだったはずなのに、気が伸びすぎて逆に難しかった。これもコミネムが奮闘してOS。
で、ここからやっと本題の青白ハングが始まる。
「もう既にお腹いっぱいな感じもするけど」と苦笑いするコミネムに激しくうなずく僕。
が、行ける限りは行ってみようということで、恐る恐る6P目(5.11d)を登りだした。
登ってみるとかなり傾斜を感じた。110度くらいはあったかも。
手元のホールドはかかりこそ悪くないけれど、根こそぎもげそうで、そうでもなさそうで、ひやひやする。
出だしのちょっと悪いセクションで腹が決まらず行きつ戻りつして、やっとムーヴを見つけて突破。
中間以降のハングのヘリをトラバースする個所は完全に現場処理で、どうにかOSした。
ここはRCCがそれなりに近い間隔で打たれているので、怖さはそれほどでもなかった。錆び気味だけど。
コミネムがひーひー言いながらフォローして、「前腕が終わった!」と報告してきた。
僕はそれ自体久しぶりな山の壁で5.11dをOSしたことにちょっと驚いていた。

が、コミネムがこの次にリードした7P目(5.11a)が全体で一番大変だった。
またしてもコーナークラックは濡れているし、打たれているのは錆びたリングボルト。
それだけならまだしも、中間部に巨大な浮石が挟まっている。
更に後半のルーフ下トラバースは濡れに加えて苔むしてどろどろ。
流石のコミネムもここで力尽きて、エイドで抜けていった。
僕も中間の浮石で心を折られ、トラバースを死に物狂いで越え、エイドとかフリーとかがどうでもよくなってきた。

コミネムが工夫を凝らして作った支点にぶら下がって、次のピッチのことを考えると、ここで降りたくなった。
8P目(5.12b)は恐らくルート全体の核心。ここまでのピッチのことを考えると腰が引ける。
そして見上げてみると、これは本当に山の壁なのかと思うほどハングしている。さらに腰が引ける。
が、ここでコミネムが一言、「今年は気持ちを前に向けるんじゃないのかよ」と発破をかけてきた。
リードが自分の番ではないので何とでも言える、と思って煽りに煽ってくる。
そこまで言われると登らないわけには...ということで、行けるだけ行ってみることにした。
登りだしてみると、案外岩は硬い。残置の支点も錆びてはいるものそこそこの間隔であった。
が、核心と思しきセクションで流石にテンションがかかった。
ここはライン取りがよく分からず、右往左往して、結局左寄りを登った。
一瞬体重を預けたアングルピトンは頼りなかったので、スモールカムを固め取りして突っ込む。
石灰岩の前傾壁かと錯覚するくらいのパワフルなムーヴをこなして、コーナークラックが開いている部分にたどり着いた。
下からは見えない位置のクラックが、しっかりと開いていて助かった。
あとは易しくはないけれど下に比べれば怖くない前傾クラックを大股開きで登って、ハングを抜けて一坪テラスに這い上がった。
とにかく驚いた。アルパインの岩場でこんなにジムナスティックなピッチが出てくるとは思っていなかった。
半分ユマールして上がってきたコミネムは、もはや売り切れ状態のご様子。
「最終ピッチ、任せた!」とおっしゃる。おいおい、さっきあれだけ煽られたんですけど。

しかしまあ、あと1ピッチだし、ということで僕が続投でリードすることに。
9P目(5.12b)は、「5.11と発表されたがホールドが欠けたらしい」との話だった。
たしかに核心らしいステミングでのムーヴは結構悪かったけれど、11の範疇だったような気もする。
僕はそれよりも、中間部のボロボロのコーナークラック(やっぱり濡れている)の方が辛かった。ここは残置ピトンを掴んで越えた。
ハングの切れ目のコーナーを抜けてスラブに出てから右にトラバースして、ブッシュに突っ込んで終了。
これで実質のクライミングは終わり、そこからさらに急な藪の中を2ピッチ登って、雲稜の下降点に出た。
あとは辺りがどんどん暗くなる中、雲稜ルートをラペルしてT4、そしてT4尾根から雪渓に降りて、ベースに帰った。

テントに着いたのは20:20だった。行動時間は約16時間。まあ上々だろう。
とにかくあれだけボロボロでビショビショの壁から無事に帰ってこられてほっとした。

3日目、ゆっくり起きてテントを畳み、小梨平へ向けて帰っていった。
徳沢、明神と近づくにつれて観光客が増えていく。
途中、追い抜いたおばちゃん集団から気になる話し声が聞こえた。
「最近の男の子は優しいのよね!」
「時代よ!時代!」
追い抜いて30秒後、コミネムとあれはなんだったんだろうという話になった。
並走してじっくり聞くのは流石に気が退けたので、そのまま行ってしまったけれど、一体どんな方向の話題だったのだろうか。
小梨平に着き、バスに乗って沢渡、お昼時には松本に下ることができた。
あとはコーヒーで眠気を飛ばしつつ、家まで帰った。
猿もたくさんいた

青白ハングフリーは、とにかく凄いルートだった。
ほぼ自然に還っていると言って差し支えないくらい汚れていたし、支点も朽ちかけているし、恐ろしいことこの上ない。
もともとこのルートは、緑ルートとトリプルジョーカーという2本のエイドルートのラインを出入りしながら登られている。
そのどちらのルートも、近年登られた形跡はほぼなかった。
唯一、ルートの前半でアルパインドローが1本残置されているを見つけたけれど、それもいつのものかは分からない。
これだけワイルドな状態だったのだけれど、ルートの内容は驚くほど充実したフリークライミングだった。
3P目、6P目、8P目、9P目は地上にあって乾いていたとしても、十分にそのグレードはあるし、内容も詰まっていた。
特に8P目の前傾コーナークラックは、自分の中で山の壁の概念がすべて覆りそうなクライミングだった。
そしてこんなに難しかったのに、青白ハングの弱点は今のところここしかない。
このラインが本当にフリーで可能だと分かった時、初登者たちはどれだけ興奮したことだろうか。
個人的に知る両氏には、本当に頭が下がります。足を向けて眠れません。

エイド交じりで登り切った時には、「もう登りたくない...」とぜーぜー言いながら思ったのに、
帰ってきてみるとオールフリーで登れなかったことに悔しさが増してくる。
次はいつ行けるだろうか、もっと乾いている時期がいいな、ともう考えてしまう。

2024年4月30日火曜日

スベる男

連休に入る前、3週続けて小川山に通った。
やりに行ったのは、いつの間にやらお久しぶりになってしまったNinja。
野猿谷・猿芝居被害者の会(仮)の初代会長ノミー先輩から「行きませんか」のお誘いをもらい、重い腰を遂に上げた。
思えばヨセミテに行くだのなんだので、完全に放置してしまい、2シーズンほどが経つ。
幸運にもマーズを登ることができた今、これを避けては通れない。

が、再スタートして3日、まだRPは出来ていない。

4/7、シーズン1日目。
あまりに久しぶりなので、まずはムーヴの組みなおしから、ということでゆっくり集合。
アップで登ったクジラ岩周辺は、平日に降った雨の湿気が残っていたのか、少しモンワリ。
とりあえず予期せぬプレゼントを登って、トップロープを張りに行く。
ヨセミテが終わった後はあれだけ登れる実感があったのに、少し間が開いたせいでワイドも苦しく感じる。
ともあれ落ちずにちゃんと登って、無事にロープは張れた。
それにしても日差しが熱い。熱すぎる。川上村の最高気温も20度近く。暑すぎる。
日中は壁がガンガンに日向になってしまい、ムーヴを細切れでこなすのが精いっぱいだった。
夕方、日が尾根の向こうに隠れてから急激に状態が良くなり、最後はムーヴも固まって、そこそこ悪くない感触で終えた。

4/13、シーズン2日目。
近頃の季節外れ(というかほぼ異常気象)な暑さを鑑みて、早朝アタックをかける。
が、1時間寝過ごして7時に小川山着。実際、朝の冷え込みだけは例年通りで、遅刻はうやむやにしてもらった。
前回同様に予期せぬプレゼントからトップロープを張ってムーヴの感触を確かめ、
日中はどうせ暑くて無理なので一旦撤収、夕方に出直す作戦にした。
核心のパートに日が当たるのは、だいたい9:40。感触が悪くなりすぎる前にさっさと下りる。
一度下山して、津金にある百番珈琲で買い物、それからロクボクに行って軽く体を動かし、15時に小川山に戻った。
お殿様岩に戻った時はまだ暑かったけれど、16時くらいからやっと日が陰り、ノミーと交代でリードでトライ開始。
1回目は核心に入るところで左足が滑り、なんとか堪えて続けたものの立て直せず落ちた。
2回目は下の核心になるポケットへのムーヴでスリップ。
3回目、岩もいい加減冷えてきて、「決めてくれぇ!」とノミーからの煽りも入り、
気合を入れて登っていくと核心の右アンダーポケットが何とか入った。
足を上げて左カンテのダイクを取りに行く。これをしっかり止められれば実質終了だ。
が、取ったと思ったところで一瞬早く足が抜けて落ちた。
やらかした。完全にやらかした。ここで終わらせたかった。
下ではノミーや、様子を見に来たイイダマンらがわーわー言っている。くそー。
前回の感触から、この日に確実にRPするつもりでいたけれど、もう一週持ち越しになった。

4/20、シーズン3日目。
また7時集合でボルダーでアップ、予期せぬプレゼントからトップロープ、そして一時下山。その後の動きも全く同じ。
さらに言えば、当日の天気や日差しの熱さもほぼ同じだった。窓を開けないとドライブもできない。
15時再集合で、ゆっくりとお殿様岩へ上がり、さらに岩が冷えるのを待って16時以降にトライ開始。
1回目、核心のアンダーポケットを捕らえたのに、次の動きに入る前に足が滑って落ちた。
2回目、アンダーポケットを差したときにまた足が滑った。
そして薄暗くなる中で出した3回目、風も吹いてきて一番条件が良くなった。
下の小核心から安定して動き、核心の入りも気持ちの焦りはなかった。
が、またアンダーポケットを差して足を上げ、カンテを取ったと思ったところで足が滑った。
前回と丸っきり同じ高度、同じ落ち方で終わってしまった。決定力がない。
「うわー、時間を戻してぇ!」と嘆くしかなかった。
これで今シーズンは最後かなと思っていたけれど、GW以降でチャンスはあるだろうか。
なんとかもう1日、条件が整ってほしい。

・・・と、こんな調子で、決めるべきところで決めきれないままになっている。
このルートはマーズとは大きく違い、個々のムーヴで失敗できるマージンが極端に少ない。
どの動きでもほぼ例外なく手足4点のすべてがホールドを捕らえているのだけれど、
それはつまり四肢のどれも疎かにできないということでもある。
例えばひとつの動きで少しでも捕らえどころを外せば、次の動きの精度は半分くらいになってしまう。
多少ミスがあってもねじ伏せられたルートとは、難しさの質がかなり異なる感じがある。

しかし、毎度悔しい思いをしてはいても、心は穏やかに前を向いている。
今、僕はNinjaにトライするのが楽しい。
裂けそうな指皮について熱く語るノミー先輩(この後しっかり裂けた)


2024年4月1日月曜日

転地療養

マーズから1か月以上経ち、今年もしっかり花粉症が出ている。
平日は関東平野で過ごすので、さすがに薬+マスクの装備なしでは辛いものがある。
が、週末に山の中へ帰ってくると一気に調子が良くなる。
関東は車体の色が変わるくらいなのに、やはり山奥は花粉が飛ぶ時期が遅く、量も少ないらしい。
なんなら週末を終えて月曜日まで体調がいい、気もする。

マーズ前後で野猿谷通いは続いていたのだけれど、毎度毎度、猿芝居にボコボコにされるばかり。
ノミーとふたりでトライしに行き、大セッションの末にムーヴすら解決できず。
「これやろ!」→「ちがうかー...」
「これに違いない!」→「ちがうかー...」
二人で10通りくらいムーヴのアイディアを出してみたものの、未だ登れていない。
これは本格的に初段ではないのでは、というのが通説になりつつある。

季節は少し進み、3/10、単身野猿谷へ。
2月の後半から毎週のように南岸低気圧が来たおかげで、日陰には相当雪が残っていた。
独り、しかもマットを1枚しか持ってこなかったので、高い課題は諦めてぶらぶらと8番のエリアに行った。
(ちなみにスマートフォンをうっかり車に置いていってしまったので、写真は一切撮れず)
実は前回このエリアで、重力波(二段)だと思って登ったラインは隣の1級だったことが後で判明。単にトポの見間違い。
このときは「見るからに得意系で、FLできた」とかなんとか書いてしまって恥ずかしい限り。
ということで、今回こそはきちんと重力波を登るつもりで行った。

すぐ上の岩にある凱風(3級)と黒富士(2級)にハマりかけながらアップ。
更に上の岩のトーダンス(2級)も登って、本題の重力波。
「これで一撃すればウソにはならん!」と意気込んだものの、あっさり落ちて、
それから1時間ほどムーヴをこねくり回した。
3月の強くなってきた日差しでヌメりを感じ始め、ちょっと焦ったものの、危なっかしく登った。とりあえず宿題(?)は回収。

これで下のエリアに戻ろうか、とも思ったけれど、ちょっと奥にある砂の本(二段)が気になったのでトライする。
前半のハングは風化でじゃりじゃり、後半は高さのあるフェースからカンテ、そして下地はかなり斜めで狭い。
チョーク跡はほぼなく、どうにも人気がなさそう。
が、それでもやっぱり気になったのでトライしてみると、感触は結構いい。
ハングから抜け出すあたりのムーヴをバラして、後半のカンテは現場処理することにした。
スタートからの繋げトライ数回で核心になる抜け口をこなし、フェースに突入。
ここからは下から見上げただけで、ほぼ未知。下地がアレなので落ちるのも嫌だ。しかも独りだし。
ただラッキーなことに、カンテに出てから悪いムーヴはなく、無事に登り切った。
こういう緊張感のある課題は、グレード云々を抜きにして、充実感があっていい。
良い拾い物をした気分だった。

それからは9番のエリアでアイアンモンキー(三段)、5番のエリアで猿の手(三段)をやったもののどちらも出来ず。
アイアンモンキーはトライされた形跡すらなく、かなり汚れていた。そしてムーヴも「???」だった。
さらに下って、これもまるで出来ないエクトロメリア(二段)をやって、やっぱりまるで出来なかった。

これだけで帰るのもなんだか...となったので、最後にエリザベスの岩にあるジャンキーモンキーLow(二段)をやってみた。
ハサマリング課題のジャンキーモンキー(初段)に右から合流するらしい。
トポを見てもスタート位置はイマイチ分からないので、どうやらそれらしいところからやる。
何通りかスタートとその後のムーヴを試すと、どうも思っていたより右から合流するようだ。
最後は「ハサマリング課題に合流」という内容をフルに活かしたシークエンスで登った。
エリザベスやらファンキーモンキーが目立つけれど、これはこれで面白い。
ということでそこそこ気分よく撤収した。


翌週の3月16日、今度はコミネムとブラックフラット(四段)をやりに行った。
知る人ぞ知る課題だけれど、登ったという話はほとんど聞かない。
数年前から何度も見に行っていたけれど、だいたいは雪の下かびしょ濡れで登れないかだった。

辺りには雪、しかしどうも暑い。日向は完全に春の陽気。
そして今回もクラックからは染み出し。やっぱり秋の終わり、雪が降りだす前でないとだめなのか。
中間にある顕著なガバから後半だけなら、水気を拭きながらギリギリトライできそうだったので、やってみることに。

周辺の詳細が分からない課題を数本登ってアップ。
それだけの時間でクラックが乾くはずもないので、ティッシュを詰めつつトライしてみる。
手も足もそれなりに掛かる、はずなのだが、濡れているせいなのかジャムがまるで効かない。
そしてその状態でなんとか効かせようと足掻くので、指がゴリゴリ抉れていく。
クラックが広がってくる上部に突入するところまで、いろいろと試して2通りくらいのシークエンスができた。
が、どちらも指先が濡れすぎてあまり繋がる気がしない。
最後はフィンガージャムで指の側面をゴッソリやられて撃沈した。
割れ目に生えるティッシュ

これを真剣に登ろうと思うなら、秋のツアーの日程をどうにかする方向で考えないといけないのかもしれない。
でも、それくらいに登る価値がありそうな一本ではある。

2024年2月26日月曜日

そこにあるものは

2月17日、城ケ崎のマーズ(5.13d)を登ることができた。

いわゆる「〇〇リスト」というものを頭の隅に持っている人は、多いことだろうと思う。
僕の中にも実に様々な類のリストがある。
そしてマーズはもう長いこと、「いつか絶対に登らなければならないルートリスト」の筆頭にあった。

マーズについて初めて知ったのは、Rock&Snowの24号、杉野さんのOldButGoldだった。
この号は2004年夏に発売されたもので、なんと今年で丸20年になる。もうそんなに経ったのかと驚くばかりだ。
読んだ瞬間に、それまで読んだ様々な記事とは明らかに異なるものを感じた。
ありがたいことに、実家には岩雪のバックナンバーも相当に揃っていたので、岩と雪の134号を手に取り、吉田さんの初登の記録を読むこともできた。
見るからに何もないルーフの角を、まるで明確なエッジがあるかのように押さえる吉田さんの姿に衝撃を受け、
当時通っていたジムのルーフで似たようなことをしてみた覚えもある。
ペンキとニスが塗られた直角なベニヤの角では、ろくにぶら下がれるはずもなかったけれど、サル左衛門と二人で「マーズごっこ」をした。
周りの諸先輩方には、いったいどんな風に見えていたのだろう。

2017年2月、Stingrayを登って抜け殻のようになった僕は、実家にある岩雪134号を再び手に取った。無心に、あの記事が読みたくなった。
当時のことを、僕はROCKCLIMBING誌にこう書いていた。
『そして読み返した後、「そうか」と思った。僕は白髪鬼とStingrayを登って、一先ずすべてやりきった気でいた。でも、自分はまだマーズにだって、コブラにだって、出会っていない。(中略)燃え尽きたと思っていた自分の中に、また小さな灯が灯った気がした。』

そして7年後、ついにマーズに向かう時がきた。
関東に移り住んでしばらく経つ。2年前に初めて行った城ケ崎の岩場は、驚くほど難しく感じた。
生まれも育ちも山の中だった僕にとって、背後や足元で波が砕け散る環境はどうも緊張を強いられるし、
そもそも城ケ崎の岩やルートに慣れていくのには時間がかかった。
この冬、やっと本腰入れて城ケ崎に通うようになり、タコやシュリンプなどのルートにも足を運んだ。
そうしていたとき、ついにあの不死鳥と名高い鉄人ウラノさんからお誘いをいただいた。
僕は、「今はまだ早い」と言っていられるほど若くもなければ、「今でなくてもいい」と言えるほど強いわけでもない。
ただ何となくの恐怖心で、マーズに向かうことを避けていたようだ。
しかしこの数年のクライミングが自分を変えてくれたらしい。今なら、きっとマーズに対峙することができる。
そう感じた僕は、ウラノさんに「よろしくお願いします」と返信をした。

2月10日、伊東の道の駅で集合し、海亀エリアへ向かった。
ウラノさんの案内で、民家の脇をポータレッジを担いで下りていくと、ほとんど藪のようなアプローチになった。
「ここだよ」と教えられたところを覗いても、チョーク跡すらろくに見えず、目に入るのは海面と、その向こうに揺れる海底の岩だけだった。
下降ポイントを教わり、ギアを用意し、ポータレッジを組み立て、ウラノさんが先に降りていった。
ポータレッジを下し、続いてラペルしていくと、目の前にあの海亀ケイヴが現れた。
想像していたよりも洞窟は小さく、ルートは短く見えた。
しかし、憧れのルートを前に興奮しながらも、「飲まれる」と思った。
またいつもの、シークリフで登るときに感じる湿気っぽい怖さが下りてきた。
「どうする?先にトライする?」と聞かれたけれど、「先にトライしてください」と答えるしかなかった。

ウラノさんが先に1トライし、その出来上がったムーヴとエイドダウンでの回収の様子をよく見て覚え、僕も恐る恐るトライしてみた。
当然、フラッシュを狙えるほどの勇猛さはなく、ダイモスと分岐するよりも手前のセクションでテンションをかけた。
水平のルーフクラックには未だに慣れない。
しかしテンションをかけながら少しずつ探っていくと、自分でも驚くほど早くすべてのムーヴを解決できた。
ウラノさんのムーヴを見ていたし、ハングドッグしながらセッションするようにあれこれと教わったことが大きい。
エイドダウン(というかほぼ水平移動)での回収も、思っていたよりずっと滞りなく済んだ。
この日はウラノさんも僕も3回トライし、それぞれに収穫を得た。
僕は2回目で曖昧だった中間のシークエンスを定め、核心のボルダーセクションも詰めた。
そして3回目、平日のジムで追い込んだ疲れも感じつつ、核心まで繋げてあと数手のところで落ちた。
核心前のガバからルーフを完全に抜けるまでで、僕の、ムーヴで8手。難しめの二段といったところだろうか。

ポータレッジを引き上げ、ヘッドランプを点けて帰る頃には、マーズに対する恐怖心はすっかり薄れていた。
それどころか、早くこのルートに戻ってきたい、あのルーフの下で過ごしたいと思っていた。
これは偏に、マーズに通いつめて完登をリアルにイメージしながら、常に前向きな姿勢を崩さないウラノさんのおかげだった。

続く週はできる限り回復に努め、2月17日、僕らは再び伊東の道の駅に集まった。
朝から小雨が降っていたが、それほど酷くはならないようだった。
それにウラノさんによると、海亀ケイヴは雨に強く、染み出しも驚くほど少ないのだという。
実際にルーフの下に入ってみると、本当にそのとおりだった。
風が強く、波も前回よりも高かったが、むしろそのおかげでケイヴの中の空気が動き、コンディションは良かった。

ウラノさんが1回目のトライを終え、ポータレッジに戻ってきて、すぐに僕がトライした。
アップは足りないはずだが、1回目から登るつもりでクラックに入っていく。
しかし、ダイモスから分かれる直前で決め方が雑になったフットジャムが抜け、あっさり落ちてしまった。
ここはカムを省いてランナウトするし、さらにこのときは右足がロープに掛かってしまい、
そこそこの距離を結構危ない体勢で落ち、下の壁に叩きつけられた。
咄嗟に右手を突いて腰などは打たずに済んだけれど、右の手のひらを切ってしまった。手首も軽く捻ったらしい。
しばらく「今日はもうトライできないかもしれない」と、あの瞬間の自分の迂闊さを呪った。
それでも時間が経って手のひらの血が止まり、多少痛みはあるものの手首も問題なさそうだったので、トライを続けることにした。

ウラノさんは2回目のトライで核心のシークエンスの最後の1ピースを見つけ、ムーヴの安定感が格段に増したようだった。
僕は2回目のトライで先ほど落ちたパートを慎重に越え、核心に突入、前の週の最後のトライと同じ1手で落ちた。
しかし、感触はやはり今回の方が良かった。
次で確実に登る。ウラノさんも、きっとそう考えていたことだろう。

ウラノさんがロープを結び、ギアを携えてポータレッジを離れる。
「浮遊感」という言葉が似あう、とても軽い身のこなしで淀みなくルーフを進んでいく。
ケイヴに反響する波の音に交じって、フーッ、フーッと呼吸する音が聞こえてきた。
核心の前で短くレストし、足ブラになったウラノさんの体がぐるりと回転する。
一瞬、少しだけ浮ついた足元を丁寧に落ち着け、核心に入っていく。波の音に負けないように、僕は声を張り上げる。
最後は細く閉じるクラックを渡り切り、ルーフの角の向こうにウラノさんの上半身が隠れ、すぐに歓喜の叫びが響いた。

さて、これで僕も登るしかなくなった。少しばかり、プレッシャーが増す。
しかしここで登り切ろうと逸る気持ちに手綱を渡せば、心のざわつきが大きくなってしまう。
それもあの杉野さんの文章を読んでからの20年で学んだことだ。

ポータレッジを離れる。
嫌でも力が籠る最初のセクションをこなして、カムを固め取りしてから少し戻ってレスト。
呼吸が落ち着くまで待つと、思考もクリアになってきた。
緊張感と、少しばかり残る恐怖心と、トライすることへの楽しさが同居し、次第にその境目がなくなっていった。
ダイモスのパートを慎重にこなし、核心前のガバで止まる。
第5登したミヤシタさんやウラノさんは、ここまでではほとんど消耗しなくなったらしい。
僕はまだそこまでではなく、緩やかなパンプを感じていた。
でも大丈夫、この程度であれば走り切れる。そう確信して、足を切った。
ビレイしてくれているウラノさんが視界から消えた。ぐるりと体を回し、核心のパワフルなムーヴに入る。
一瞬でも速く抜け出したい気持ちを抑え、ゆっくり確実にムーヴをこなす。
最大の核心になる1手を捕らえ、やっと声が出た。そこからは何度も叫びながら、コーナーに這い上がった。

2日間、6回目のトライだった。
前回が終わった時点で、「次回絶対に登る」と決めていた。今シーズンが残り短いことも分かっていた。
しかし、これだけ早く決着がついたことに驚いているところもあった。
ホールドを掃除しながらエイドダウンでポータレッジに戻り、ウラノさんと互いの完登を喜び合った。

マーズを登ったことについて、大きな喜びと共に、残念に感じている部分もある。
ゼロに近い地点からあのルーフの出口を目指す過程を踏み、登ることができたのなら、どんなに素晴らしかっただろう。
僕は何から何まで、ウラノさんのサポートを受けて登ってしまった。お膳立てをしてもらったようなものだ。
勿論、それは心からありがたいことで、ウラノさんと核心のムーヴについて議論した時間は忘れられない。
第一、その後ろめたさだけで目減りしてしまうほど、マーズというルートの持つ価値は軽くない。
だから、願うだけ詮無いことなのだが、マーズというルートをもっと冒険できていたら、と思う。
それは今なお残る自分の未熟さとして、このルートの素晴らしさと共に覚えておこう。


OldButGoldの記事で、杉野さんはこう綴っている。
『このルーフに込められた情熱のかけらが消えてしまうほど、日本のクライミングは浅くないと思いたい。』
何度も何度も読んだはずのこの一文の意味するところが、今になってやっと分かったように思う。

僕はずっと、クライマーの紡ぐ言葉を読むのが好きで、これまでそれなりにいろいろな人の文章を読んできたつもりだ。
そのうえで、冒頭で書いた吉田さんと杉野さんのマーズを巡るふたつの手記を越えるものには、未だ出会っていない。
そして僕の中では、読むことと同じくらいに自分で書くことも大切で、好きだと感じている。
そこにもまた、二人の先達が遺したこの文章たちから強く影響を受けていると言っていい。

『定宿となったオーシャンの駐車場で、ナイターでテニスのボールを打つ音をイライラして聞きながら、僕はうめく。「たのむ、登らせてくれ」』
そう書かれた吉田さんの手記に、狂気じみたものを感じた人は少なくないだろう。僕もそうだった。執念であり、あるいは妄執のようなものがあると。
しかしそれは、紛れもない情熱から生じる献身だったのではないか。


吉田さんは、青い鳥を追いかけてどこまで行ったのだろう。
杉野さんは、この磯で感じたものを誰に届けたかったのだろう。
僕にとっての青い鳥は、このケイヴの中には居なかったけれど、またひとつ大切なものを学ぶことができた。
それはカバンの中に入れた石ころのようで、誰の目にも美しく映るものではないけれど、今の僕にはその美しさが分かる。
そしてその重みが、僕の背中をそっと押して支えてくれることだろう。
だからこそ、まだ進み続けたい。自ら登り、読み、書き続けたい。
受け取り、考えて、誰かに繋いでいく、その営みの中。そこに情熱と名の付くものがある限り。

ウラノさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。